第17話 Day. 17 空蝉

 玄関で打ち水を撒いていると、声がかかった。

はくのヤツは、在宅だろうか」

 なんだか前にもあったなと思いながら振り向くと、托鉢笠を被った墨染めの僧侶がたっていた。

 法衣どころか、袈裟まで黒い。

 背の高いその人は、しゃらんと長い錫杖を鳴らした。

「それがしは、こくしょうと申す。お取りつぎを」

「は、はい!少しお待ちください」

 低い、かすれがちな声は、どこか辛そうに聞こえた。

 この暑さで、お坊様も参っているのかもしれない。

 俺はあたふたと寺に戻り、はくどーさんを呼んだ。

「はくどーさん!お客さまです、こくしょうさんって言う方」

 部屋で本を読んでいたはくどーさんは、はっとしたように顔をあげると、らしくもなく、バタバタと玄関へと向かった。

「久しぶりだな、白」

「そらこちらの台詞や。早う上がれ」

 広縁へと招くと、二人は石庭を眺めるように腰を下ろす。

 この時間は、ここが一番涼しいし、遠くのお山が絵画のように美しいのだ。

 暑そうだし、ひとまず先に麦茶を運ぶと、笠を脱いだこくしょうさんは、目を細めて景色を眺めていた。

 浅黒い肌に、短い髪。

 はくどーさんよりも大柄だけど、どこか疲れているように見える。

 いや、やつれているのか?

 そっと麦茶を出すと「ありがとう」と微笑んだ。

「初めて見る顔だな」

「古い知り合いに頼まれてな。預かってるんや」

「そうか」

 俺はぼそぼそと挨拶をすると、そそくさと引っ込んだ。

 どうやら久しぶりに会うみたいだし、邪魔しちゃ悪いだろう。

 それでも、風に乗って二人の声が聞こえてくる。

「どうやら、そろそろのようでな。お前に会っておこうと」

「寂しいことを言う」

「仕方あるまいよ、こればかりは」

 俺は庫裡に行き、何か茶菓子はなかっただろうかと、戸棚を漁る。

 確かこの辺に水羊羹があった筈だ。

 はくどーさんの好物だが、客人は甘いものは好きだろうか?

 銘々皿に水羊羹を乗せ、黒文字を添える。

 ちゃんとした来客なんて、滅多にないから、準備に手間取ってしまった。

 急いで広縁に運んでいくと。

「あれ?お客様は?」

 はくどーさんが、一人で空を見上げている。

 その隣、客人が座っていた場所には、誰もいなかった。

 まるで蝉の脱け殻のように、黒い袈裟があるだけ。

 はくどーさんは、隣を見ると、そっと袈裟を撫でる。

「まったく。ほんまにいらちなヤツめ」

「はくどーさん?」

「それ、京義君が食べてええわぁ」

「え?」

 そう言うと、袈裟をもって自室へ戻ってしまった。

 俺は、どうしたものかと迷ったが、折角なので二人前の水羊羹を平らげた。


 翌日。

 七尾の恋さんがやってきて、山の上の神社にある、黒松の巨木が、昨夜の風で倒れてしまったと教えてくれた。

 樹齢四百五十年と言うことだから、寿命だったんだろうねぇと、恋さんはどこかしんみりと呟いた。

 あの黒い袈裟は、はくどーさんの部屋にしばらくかけられていた。

 その後どこに行ったのか、俺は知らない。

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