第4話 Day.4 口ずさむ
寺でも暑いと思っていたが、街中に来ると、それでもまだマシなんだなと思う。
去年も思ったが、京都の夏は暑い。
関東とはまた違う、暑さの種類だ。
熱い空気と、久しぶりの人混みに俺はうんざりとする。
通信制高校の登校日は、週に一度。
そのたった一度の登校に慣れたのは、つい最近の事だ。
俺が通う高校は、京都の四条駅近くにある。
繁華街を抜ける通学路は、最初は苦痛以外の何物でもなかった。
俺は人混みが苦手だ。できれば人混みになど、近寄りたくない。
人が多いところには、アレがいるから。
アレらが蠢いて、こっちを見ているから。
本来暗闇に潜んでいる存在なのに、繁華街では人の負の感情に影響されるのか、力が増しているのを感じる。アイツらは、人の欲望や、嫉妬、憎しみなど、黒い感情が大好きなのだ。
夏の日差しに濃くなった、黒い影までもが、不気味に揺らめく。
そしてアレらは、寄ってくるのだ。
俺を引きずりこもうとして。
こちらへ来いと誘うのだ。
それが嫌だから、極力繁華街には近寄らない。
だが、世捨て人になる気もないから、少しは慣れなくてはいけない。
週に一度と言うのは、今の俺にとっては、ちょうど良い距離感なのだ。
定食屋の戸がカラリと開いて、中から客が出てくる。
それと一緒に聞こえてくる歌。
毎年この時期になると聞く、あの歌だ。
思わず足を止め、中を見ると、どうやら高校野球の特番を流しているらしい。
組み合わせがどうの、開幕は何日からだとか。
夏の風物詩だが、最近の暑さを考えると、色々考えた方がいい気もする。
何人かの客が出てきて、戸が閉まると、聞こえなくなった。
俺は再び歩きだしたが、気づけばその歌を口ずさんでいる。
歌が記憶を刺激する。
先日の鏡の件もあり、脳裏に一つの顔が浮かんだ。
高校野球が好きだった、凛々しい眉と、生意気そうな瞳を思い出す。
彼はサッカー少年だったが、野球も好きなのは知っていた。近所に少年野球のチームがなかったから、サッカーチームに入ったが「どっちでも良かったんだけどな」と話していたのを覚えている。
素晴らしく運動神経がよく、スポーツが好きな少年だった。
二つ年下だというのに、不思議と気があったから、良く練習相手に選ばれたものだ。
キャッチボールをしながら、零れ出る本音。
きっと誰にも話したことのない、彼の思いを、俺は知っていた。
俺にだけ、話してくれたのに。
本当の夢を圧し殺し、家のために生きると決めた少年の目を思い出す。
力強い瞳。
あの眩しい光。
俺にはなかった。俺には選べなかった。
だから逃げ出した。
彼のように、生きられたら良かったのに。
けれど、その強さが俺にはなかった。
恐怖しかなかった。
一年も経つのに、まだそんなことを思うなんて。
全てを捨てたのは、俺だ。今更何の資格もない。
けれども。
彼の事だけは、きっと一生負い目に思うことだろう。
彼を置いて、一人で逃げ出した俺。
それだけは、臆病者の俺が負うべき罪なのだ。
彼が歌っていた、あの歌を口ずさむ。
なんか好きなんだよなぁと言っていた、笑顔が浮かぶ。
もう会うことはないけれど。
それでも。
捨ててきた日々を思い、呟いた。
「……願わくば、最高の栄冠が、貴方に輝きますように」
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