傲慢勇者

蛞蝓

第1話

 五年前、世界が世紀末になった。人間素体の能力が謎に向上し、世界の至る所で国に対する反乱が発生して、政府というものは大方権力を失った。

 そうして世の中は、力こそ全ての世界に移り替わった。


 日本はというと、比較的良心的な有力者が多く、数多の自治体が自然発生して、その中でそれぞれが協力しながら生活が成されていた。それぞれの自治体はその有力者に名前を冠して呼ばれることが多いが、そのような文化が日本全体に普及するほどに、平和な世界が築かれていた。


 そんな中、俺は体を鍛えていた。


 ジムに行くのが好きだった。汗臭いのはどうしようもなく嫌だったが、利用代金が高いジムに行くとそれが解消されることを知ってからは、バイトに奔走するようになった。どういう理屈なのかは分からないが、高いジムは良い匂いがした。

 とはいえ、筋肉はデカければデカいほどいいというものではない。俺は絞られた肉体美こそ美しいと思うタイプの人間だった。そしてやはり、実用的でなければ意味がない。削ぎ落とされた実用美こそ至上なのだと信じていた。

 話が逸れたが、俺はジムに行くのが好きだった。


 だから俺は体を鍛えていた。


 日本政府が倒れて、近くにできた自治体の守護下に入り、そこにあったジムがまだ継続しているのをいいことに通い続けた。段々と自らの力が強くなっているのが嬉しかった。体を鍛えていると、人生の全てを忘れられた。

 ただやはり、太いだけの筋肉はいけない。人を威圧するために身体を鍛えているのではない。使える筋肉が欲しいのだから。

 話が逸れたが、俺はこんな世の中になってもジムに通い続けていた。


 そうして、俺は体を鍛え続けていた。


 だが、あるときに気が付いた。気が付いてしまった。もうこれ以上に掛けられる負荷がないことに。ウェイトが足りなくなっていたのだ。どれだけ回数をこなしても、一度の負荷が小さすぎるために筋肉に負担がかからない。これでは体を鍛えている意味がなかった。

 そこで見つけたのが、ランニングマシンだった。このマシンであれば、ウェイトのように上限のある負荷ではない。時間という、無限の負荷をかけられる。自分が走り続ければ良いだけだった。


 俺はまた体を鍛え始めた。


 時間という負荷をかけられるマシンとして、バイクもあった。バイクとランニングマシンでは使用する筋肉が微妙に違う。そのため、バイクとランニングマシンを交互に使用することで、効率的に鍛えられるのではないかと考えたりもした。

 しかしその考えは間違っていた。一つのことに集中するほうが、より大きな負荷をかけられるためだった。

 ある日、俺は天啓を受けた。ウェイトを持った状態で走れば良いのではないか、と。しかし実行しようとした時点で受付のお姉さんに止められた。折衷案として、リュックの中にウェイトを入れて走れば良いのではないかと提案された。

 俺は受付のお姉さんに感謝した。体にかかる負荷が倍増したのだ。


 俺は体を鍛え続けた。


 鍛えて、鍛えて、鍛え続けた。俺の体は強く強靭になった。しかし同時にしなやかさを持ち合わせていた。引き絞られ、美しい魅力を持った自らの筋肉を鏡越しに見て、俺は神に感謝した。体を鍛える機会を与えてくださった神に。

 凄まじい万能感。完成し切った自らの体を見て、俺は涙を流した。そんな俺の姿を、受付のお姉さんが小さく拍手をしながら見守っていた。


「次は水泳をなさってはいかがでしょうか」


 受付のお姉さんが言った。確かに、今以上に心肺機能を酷使するには水泳も良いかもしれないと思った。

 聞けば、このジムにはプールが併設されているとのことだった。利用者がいなかったために閉じていたが、俺が利用するならば特別に開けてくれるとのことだった。俺は神と、神に等しい慈悲深さを見せる受付のお姉さんに感謝した。

 水泳は負荷が高かった。しかし、どこか物足りないような気もした。泳ぎ終わった後には体の重さを感じるのに、泳いでいる最中は負荷が少ないように感じたためだった。何か行き詰まりにいるような感覚がした。


 それでも、俺は体を鍛え続けた。


「おもりを背負って泳いでみてはいかがですか?」


 俺の沈んだ表情を見て何かを察したのか、受付のお姉さんがそう声をかけてくれた。良いのだろうか、と思いつつ、いつものリュックにウェイトを詰め込んで泳いだ。

 最初は溺れるかとも思ったが、手足をいつも以上に動かしていれば問題なかった。そして負荷は上がった。泳いでいる最中も苦しかった。ただ体が重いだけではなかった。それがどうしようもなく嬉しかった。


 俺はいっそう体を鍛えた。


 ある日はウェイトをして、ある日は走って、ある日は泳いだ。ウェイトだって、レップを増やせばいいということに、受付のお姉さんに言われてやっと気が付いた。

 毎日が充実していた。最低限のバイトをして、残りの時間は体を鍛えることに使う。こんなに幸せな人生があってもいいのだろうか。


 俺にとってこの世界は世紀末ではなかった。天国だった。


 だから俺は体を鍛えた。

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