第28話 希望の光
ごく普通の家庭に生まれ、莉乃は何不自由なく育った。両親からは愛情をたっぷり注がれ幸せな生活だった。
順風満帆の人生が狂ったのは中学三年生の頃。両親が知り合いに唆され、株に手を出し三億もの借金を作ってしまう。全額返済は非常に困難で、利息分を支払うのが精一杯な毎日を送っていた。
「ウチ、必死に勉強して愛染高校をトップで合格したる。そしたらな、学費が免除されるだけでなく、特待生手当まで貰えるんや。トップやなくとも、五位以内なら貰えるんやで。もちろん成績を維持しなあかんけどな」
まだ中学生でありながら、両親の借金返済に協力しようとする莉乃。特待生手当てがあれば、借金返済の一部に充てられると考えた。
しかし、入試で五位以内はかなりの難易度。
ただ、三億という巨額の借金返済のためには、何がなんでも成し遂げる必要があった。
「せやから、高校での学費は考えんでええ。ウチが頑張って借金返済の手伝いしたる。これなら高校へも行けて一石二鳥やろ」
決して楽な道ではない。むしろ自ら地獄へ飛び込むようなもの。幸せな生活を取り戻すためとはいえ、青春を捨てるなど愚かな決断と言ってもいい。
本音は好きな人と一緒に高校生活を満喫したかった。
恋人を作って普通にデートをする。
決して叶えられないわけではない現実的な願望。それなのに多額の借金が現実的な願望を打ち砕いてしまう。
最初の難関は入試試験。五位以内は不合格と同じで、毎日血反吐を吐きながら受験勉強をする。遊びはもちろんのこと、睡眠時間を削り、学校の休み時間を削り、ご飯とお風呂以外は勉強に時間を費やす日々だった。
報われない努力はない。地獄を生き抜いたおかげで、愛染高校にはほぼ満点入学という、設立以降で最高得点を叩き出した。
高校生活も当初の予定通り過ごすはずが、颯斗の実家が超お金持ちだと知る。これはきっと神様からのプレゼントに違いない。莉乃は計画を方向転換し、颯斗と婚約して親の借金を返済して貰おうとした。
そこに愛などない。
ましてや好きなタイプでもない。
欲しいのは借金を返済してくれるお金だけ。
青春など自分とは無縁だと思っていたが、颯斗の人柄に触れ自然と心から惹かれ始めた。本当に苦しかった。勉強の日々の方が天国だと思えるくらいに。罪悪感との板挟みで颯斗に真実を打ち明けるまで、莉乃は苦しんでいたのだ。
「颯斗はん、ウチは普通に颯斗はんと恋人になりたいだけなん。それ以外のモノなんて、なーんもいらへん。せやから──お願いやから、ウチに返事を聞かせて欲しいねん」
今返事を聞けなかったら、永久に颯斗の気持ちを知る事が出来ない。たとえ自分が求める答えでなくとも、莉乃は颯斗の口から直接聞きたかった。
「分かったよ、莉乃さんの告白の返事を今するよ」
最後かもしれない。
颯斗は迷うことなく莉乃に自分の気持ちを伝えようとする。
「僕はね、莉乃さんのことが──」
運命とは残酷で非情すぎた。二度目も見えない巨大な力によって邪魔される。
颯斗の声が莉乃に届く事はもうない。そう、時間切れだった。体力が限界に達し、ふたりを繋いでいたトビラは引き裂くように閉じてしまう。あと数秒あれば伝わったはず。たった数秒は今の颯斗と莉乃には長すぎる時間であった。
「颯斗はん、颯斗はーーーーーんっ!」
暗闇に響き渡る莉乃の悲痛な叫び声。
トビラはすでにその存在を消し、周囲の景色はありふれたモノとなっていた。
「これでよかったんだよね」
偽りのユグドラシルに取り残された颯斗。後悔しているのは莉乃に返事を届けられなかったことだけ。崩れゆく景色の中、最後の時間はシズクと過ごした。
「ねぇ、シズクさん。僕はこのあとどうなるんだろうか」
「そうだねぇ、ボクは無に帰るだけだけど、颯斗は永遠に次元の狭間を彷徨うんじゃないかな」
「そっか……」
これは予想していたこと。
沈んだ顔を見せるも、この選択はすべて承知の上で後悔していなかった。
「そうだ、悲恋の女神の名前って、シズクさんは本当に知らないの?」
「それを知ったところでなんの意味があるのかな?」
「特に意味はないさ。ただ、名前くらいは覚えておこうかなって。きっとその名前をあの青年に伝えたかったと思うし」
「……グラッシュ、リーノ・グラッシュだよ、彼女の名前は」
「リーノ・グラッシュ……。生まれ変わっても名前までそっくりだね」
「どうしてもその名を伝えたかったんじゃないかな」
それが颯斗の聞いた最後のシズクの声。
偽りのユグドラシルは共鳴するようにその姿を消した。
「シズクさん……。消えてしまったんだね。僕はこの暗闇の世界で永遠に生きるのかな」
常闇の世界でたったひとり。急に恐怖心が湧き上がり、不安が大きな波となって押し寄せてくる。覚えているのはそこまで。颯斗の意識は波に飲み込まれ途絶えてしまった。
「嘘……でしょ。本当に颯斗さんは戻ってこないの……?」
夢であったのならどれだけ幸せな事か。山道で呆然と立ち尽くし、カレンは無慈悲な現実を受け入れられなかった。真っ白に染まった思考では何も浮かばず、気がつくと頬に何かが流れる感触が伝わってくる。
「えっ、これはいったい……」
地面を湿らせるひとしずくの涙。
なぜ泣いているのか自分でも理解できない。
颯斗が帰って来ないのが理由なのか。いや、それは違う、悲しい事には間違いないが、本当の理由を大粒の涙が教えてくれた。
「そう、だったのですね……。わたくし、本当は颯斗さんのことを愛していたのですね。どうして今なのよ、どうして颯斗さんがいなくなってから気づくのよ! もう少し早くこの気持ちに気がついていれば……」
ひと足遅かった颯斗への想いは、カレンに後悔の二文字を刻みつける。
二度と会えない悲しさ、届けられない本当の気持ち。考えただけで胸が張り裂けるほど。女神という立場は忘れ去られ、周囲を気にせず大声で泣き叫んだ。
「颯斗さん、颯斗さん、わたくし、ようやく気づいたのです。わたくし、本当はアナタのことが好きだったのに。それなのに、この想いを伝えられないなんて……」
辛い、苦しい、切ない、様々な感情が入り交じり、涙を止まらなくさせる。言葉にすらならなく泣き続け、悲しみの沼から抜け出せないでいた。
「カレン、あたしは先に天界へ帰るね。人間界にいる用事もないことですし」
痛々しいカレンの姿が見ていられず、先に天界へ戻るウルド。天界に持って帰る女神の雫も失われ、人間界に留まる理由がないのもあった。
ウルドが去ったあとも、カレンから涙はまったく消えようとしない。止まる気配すらなく、むしろ流れる量は増えている。
このまま放って置くわけにはいかない。自身も心に深い傷が残ってはいるが、莉乃は優しくカレンを抱きしめた。本当は一緒に泣きたいくらい。悲しみを今だけは胸の奥にしまい込み、冷えきった心に温もりを与えた。
「やっぱりカレンちゃんも、颯斗はんのことが好きやったんやな」
「うぐっ……。でも、でもですよ、莉乃さんと違ってわたくしは颯斗さんに想いも伝えられず……」
「それでもな、自分の気持ちに気がつけたんやからいいやんか」
「ぐすん……」
一旦は落ち着くも、すぐに大粒の涙がこぼれ落ちる。悲しみはそう簡単には消えない。もう一度だけでいい、颯斗に会ってこの想いを伝えたい。強い願望がカレンの中に湧き上がる。
それは前触れなく突然起きた。
最初は自然現象かとも思ったがすぐに違うと気がつく。地面が光り輝き始め、眩しすぎて目を開けていられないほど。自然現象でないとすると光の正体はなんなのか。もしかすると女神に関係する可能性が高かった。
「ま、眩しすぎるやん。いったい何が起きたっちゅーねん」
太陽を直視したような輝き。いや、それ以上であるのは間違いない。不思議と心が癒されるほど温かい。女神であるカレンも初めての経験で、止まらなかった涙すら止める力があった。
「このような現象は見たことがありませんわ」
暗闇を照らす光は一筋の細い光柱となり、天へとまっすぐ伸びていく。それはまるで想いを繋ぐ架け橋のようにも見えた。
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