第27話 迫る別れのとき

「えっと、女神の力でここから移動とかは出来ないの?」

「それが出来るならとっくにやってるわよ」

「厳密に言いますと、女神の力を使っても、この世界を構成している力が邪魔してくるのです。わたくしにもっと力があれば、それを無視することも可能なんですけど……」

「女神の力を超える力……」

 その答えがぼんやりと颯斗の中に浮かぶ。白いモヤは徐々に晴れていき、その姿がハッキリと見えてくる。そしてそれは、道標となって脱出方法を教えてくれた。

「分かった、僕、ここから脱出する方法が分かったよ」

「ホンマに!? さすがウチの颯斗はんやっ」

「颯斗さんはいつから莉乃さんのモノになったのでしょうか?」

「別にいいやん、どうせカレンちゃんは任務のためだけに近づいたんやろ?」

「そ、それはそうなんですけど……。で、でも、颯斗さんにだって選ぶ権利はありますよ」

「そんなん決まっとるやない。さっきのキスは颯斗はんからしてきたんやで? せやから、颯斗はんはウチにベタ惚れっちゅーことや」

「あれは莉乃さんがワガママを言ったからじゃないですかっ。颯斗さんが優しいからおでこにキスしただけですわ」

 話が完全に脱線し、せっかく颯斗が考えた脱出方法は忘却の彼方。宙に浮いたままとなり、手元に戻る気配がまったくない。このままでは埒が明かず、颯斗はふたりの争いを止めに入った。

「あ、あの、ふたりとも一旦落ち着こうよ」

「わたくしはいたって沈着冷静ですって。落ち着いていないのは莉乃さんですわ。まったく、たかがキス程度で浮かれてるなんて、今までまともな男性とお付き合いしたことがない証拠よ」

「ウチの理想は高いんや。今までカレシとかいなかったんは、単にそのせいなだけやし。カレンちゃんこそ『任務のためにー』とかゆーて、自分の欲望を満たすために好き勝手やってたやないかい」

「だ、誰が欲望を満たすために好き勝手やってるですって」

「そんなん鏡見たら分かるっちゅーねん」

 おかしい。止めるはずが火に油を注ぐ結果となる。颯斗の力ではシズクを倒せても、カレンと莉乃の争いは止められなかった。

「はいはい、ふたりとも、そこでストップよ。続きは戻ってからにしてちょうだい」

 混沌へ一直線かと思いきや、見かねたウルドがふたりの間に割って入り争いに終止符を打つ。本心は面倒極まりないが、元の世界に戻るのが最優先で、渋々ではあるが動くしかなかった。

「ウルドがそう言いますのなら、この件は帰ってからにいたしますわ」

「ウチは悪くないもん。颯斗はんもそう思っとるやろ?」

「あはははは……」

 カレンから注がれる鋭い視線は、颯斗に恐怖心を刻みつける。

 下手な言葉はふたりの争いを再燃させるだけ。

 最善の一手は苦笑いで誤魔化すという結論に達した。

「それで話を戻すと、颯斗が考えた元の世界に戻るという方法というのを教えてちょうだい」

「は、はい。それはですね、僕の中にある女神の力と女神の雫の力を使えば、この世界を構築している力に邪魔されることなく脱出できるかなって」

「なるほど……。確かにそれは名案ね」

「果たしてそう上手くいくかな?」

「シズクさん、それはいったいどういう意味ですか?」

「ふふふふ、颯斗はボクとの戦いで消耗してるんだ。ボクと戦う前ならそれも可能だったかもしれないけど、今となっては本当に脱出できるか怪しいんじゃないかな」

 女神の雫の力を失い姿が薄くなっているシズク。水を差す言葉で颯斗達に不安を与える。

 計画が破綻した今、これが最後の抵抗なのだろう。道連れとまではいかないが、せめて颯斗と莉乃を一緒にいさせたい。その願いを叶えるため、絶望という闇で包み込んだ。

 自分の存在理由はないに等しい。

 結局、女神の少女の想いを完璧には叶えられなかった。

 悔しさが残るもどうする事も出来ず、ただ運命にすべてを委ねようとしていた。

「そんなこと……やってみなければ分かりませんわ。颯斗さん、シズクさんの言葉を信じてはいけませんからね」

「う、うん……。でも、シズクさんの言う通り、闘っていたときよりも力を感じないのは事実かな。だけど、ここから脱出するには僕の力を使うしか方法がないんだよ」

 シズクが植え付けた不安が頭をよぎる。闇に飲まれてはダメ。今は自分の力を信じるしかない。颯斗が目を瞑り力を振り絞ろうとしていると、それは前触れなく訪れる。

 何かが避ける音。

 小さすぎて気がついたのは莉乃だけだった。

「なんの音やろ……。ちゅーか、空にヒビが入っとるやないかい」

 非現実的な光景に驚くばかり。莉乃の声に反応し、颯斗達が一斉に空を見上げる。瞳に映りこんだのは一本の大きな亀裂。段々と広がっていき、増殖するかのように他の場所にも亀裂が入る。

 空を埋め尽くす巨大な蜘蛛の巣。

 それは崩壊へのカウントダウンにも見える。

 急がなければ手遅れになる。颯斗の中で焦りと不安が増大していった。

「こ、これは……。本格的にこの世界が崩壊しだしたってことなの!?」

「あの様子だと、あんまり時間はなさそうね」

「ですわね、ここは颯斗さんを信じましょう」

「ちなみに、あの亀裂に飛び込んだら、元の世界に戻れるとかはないんかな」

「そうだったら苦労しないわよ……」

「試しに飛び込んでみよか、なっ、カレンちゃんっ」

「な、なんでわたくしが飛び込まないといけませんの。それなら、莉乃さんが飛び込めばいいじゃないですかっ」

 時間が差し迫る中、再び始まる因縁の対決。崩壊がすぐ目の前に迫っているのすら忘れ、睨み合うふたりの少女はまさに一触即発であった。

「あ、あのー、今は揉めてる場合じゃないと思うんですけど」

 ここで止めなければ間に合わなくなる。なけなしの勇気を振り絞り、颯斗は戦々恐々としながらふたりの仲裁に入った。

 本音を言うと、ふたりから放たれる異様なオーラに恐怖を覚える。

 だが、立ち向かわなければ後がない。自らを追い込み強敵に挑んだ。

「ちょい待ってーな颯斗はん、今カレンちゃんと決着つけるとこや」

「そうですわ、元の世界に戻るのなんて待っていられませんもの」

「え、えっと……。このままだと元の世界に戻るどころか、この世界の崩壊に巻き込まれて次元の狭間に飲み込まれちゃうんだけど」

 争いが止まらないふたりに絶望的な現実を突きつけ、この世界の実情を颯斗が教える。その言葉で冷静になりふたりは周囲を見渡すと、悲惨な状況が瞳に映りこんだ。

 空を埋め尽くすほどの亀裂。

 大地は引き裂かれ地底から唸り声が聞こえてくる。

 景色が歪み始め存在そのものが消え去ろうとしていた。

「し、しゃーないな、颯斗はんに免じて決着は元の世界でつけたる」

「それはこっちのセリフですわ」

「それじゃ、元の世界に戻れるよう、空間に穴を開けるね」

 力の使い方はすべて心が教えてくれる。それこそ長年使い続けたように自然と体が動く。

 ゆっくり深呼吸し、頭の中でイメージするのは元の世界と繋ぐゲート。次第に全身が温かくなり、融合した力が内側から溢れ出してくる。

 消耗した体力ではそう長くゲートを維持できない。

 悔しいがシズクの言う通りで、想像以上に体への負担が大きかった。

「そんなに長い間ゲートを維持できないから、ケンカせずに早く通ってね。もちろん、シズクさんも連れて行くから」

「ふふふふ、颯斗は優しいね。でも、ボクは遠慮しておくよ。どうせ戻ったところで消えゆく運命は変わらないからね」

「……そ、そっか」

 シズクの意思を尊重するも、颯斗の顔は少し暗い表情であった。後ろ髪をひかれる中、溜め込んだ力を一気に放出する。

 何もなかった空間に突如出現する謎のトビラ。

 これこそが元の世界へ続くゲートであった。

「思ったよりきついな。さぁ、早くトビラの向こうへ!」

 心の奥底から振り絞った颯斗の声で、カレン達は一斉にトビラへと走り始めた。ドアノブを掴み急いでトビラを開けると、その先には懐かしい風景が広がっていた。

 感傷に浸っている暇はない。

 一刻も早く崩壊する世界から脱出しなければ。

 カレン達は無我夢中でトビラをくぐり抜け、無事に元の世界へ戻る事に成功した。

「あとは颯斗さんだけですわ。早くこちら側に来てください」

 残りはあとひとり。颯斗を残すだけ。カレンが必死に手を伸ばし叫ぶも、颯斗はその場から動こうとはしなかった。

「カレンさん、ごめんなさい。ひとつだけ隠していたことがあるんだ」

「えっ……」

「実はね、ゲートって維持するにはこちら側から力を出し続けないといけないんだよ」

「それってまさか……」

「うん、僕はここに残るよ。ううん、みんなを助けるため犠牲になるのを選ぶんだ。だって僕は──飛行機事故で多くの命を奪ってしまったからね」

「ちょいまちーや。そんなん昔の話やんか! それにな、颯斗はんが悪いわけじゃないやろ」

「それは違うよ莉乃さん。僕が女神の雫を持っていたせいで、みんなが事故に巻き込まれたんだ。だからね、その責任を取らないといけないと思う。これですべて責任が取れるとは限らないけど」

「そんなん自己満足やない! ホンマに責任取るゆーなら、亡くなった人たちの分まで生きるのが責任の取り方やないん」

 大粒の涙をこぼしながら必死に颯斗を説得する莉乃。ほんの数メートル先、すぐそこに世界一好きな人がいる。それなのに、助けられないという事実が悔しさと悲しみとなって表に出てくる。

 そう簡単に諦めてはダメ。

 二度と颯斗に会えなくなるのは絶望でしかない。

 だからこそ莉乃は、燃え盛る炎のように声を振り絞った。

「僕はずっと考えていたんだ。シズクさんと出会って、飛行機事故で両親を失い、他人の幸運を根こそぎ吸い取る。そう、僕は幸運を奪われた人の人生を狂わせたんだって。だから僕は罰を受ける必要があるんだよ」

「それなら颯斗はんは生きなあかんやん! ウチらを助けることが罪滅ぼしやないでっ」

「莉乃さんの言いたいことは分かるよ。でも、もう決めたことなんだ。それに、そっちの世界へ行く方法がないんだよね」

「諦めたらあかんって。必ず方法があるはずや!」

「ううん、そんな都合のいい方法なんてないんだよ」

 届かない。いや、届いてはいるが弾かれてしまう。情熱の炎を冷静さでかき消し、颯斗は自らが歩む道を突き進む。これが自分の運命、責任の取り方だと受け入れ、声だけではなく表情までもが穏やかであった。

 どのような言葉も颯斗の心は動かない。

 固い決意の前には無力すぎる。

 莉乃だって分かっているはず。颯斗という人間は優しさに満ち溢れ、すべてを自分で背負ってしまう性格だと。頭では理解できていても、心が納得するわけもなく、大きく揺れ動く天秤の狭間で苦しんでいた。

「僕はね、莉乃さんやカレンさんと出会えて本当によかったって思ってるよ。この先ずっとひとりで生きていくしかないって思ってたからさ。だから、本当に嬉しかったんだよ」

「颯斗はん……」

「少しの間だったけど、僕は本当に幸せだった。こんな日がずっと続けばいいなって思ってたけど、そんな資格は僕にはないからね。それと言い忘れてたけど、莉乃さんが──ううん、莉乃さんの両親が作ってしまった借金は気にしなくていいよ」

「それはいったいどういう意味やねん……」

「実は莉乃さんから話を聞いたあとで──ウルドさんが来るまでの間に、肩代わりしてもらえないか、お義父さんに連絡して問題ないって答えをもらったからね」

「あの短い時間でいつの間にや……」

 心が拒絶する中、早すぎる颯斗の行動に莉乃は驚きを隠せない。時間はないに等しかった。おそらく数分ぐらいであろう。その短い時間で借金の肩代わりを決断し、父親までも説得する有能さ。しかも莉乃に気づかれずにだ。

 隠れた才能なのか。それとも努力して得た能力なのか。いずれにせよ、秀でた力なのは間違いなかった。

「もっと褒めてくれてもいいんだよ?」

「そんなんちっとも嬉しくない。ウチはお金なんていらへん! ウチがホンマに欲しいんは……颯斗はんだけや。借金なんてウチが働いて返すねん。せやから……」

 止まることなく流れ続ける涙。

 莉乃が本当に欲しかったモノとは、普通の恋人であった。

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