第26話 偽りの世界の崩壊

「颯斗はんっ!」

 心配した莉乃が叫び声を上げる。

 あれでは助からない。胸が張り裂けそうになるも、爆風の中から見える無事な颯斗に安心する。どうやら無傷であったようで、シズク目掛けて立ち込める煙の中を一直線に向かっていった。

「やっぱりあれくらいじゃ、ノーダメージだよねぇ。ここは接近戦しかないかな」

 颯斗が無傷でも驚かず、まだ余裕があるシズク。自らも近づき接近戦に持ち込んだ。

 開始の合図などない。激しい攻防がすぐに繰り広げられ、地形が瞬く間に変化していく。互いの攻撃が当たりはするも決定打には欠ける。戦闘はより激しさを増していき、世界樹の周辺は見る影もなくなってしまう。

 もっと力が欲しい。

 このままでは体力を無駄に削るだけ。

 シズクを圧倒するだけの絶大なる力が今は必要。

 颯斗がそう願えば願うほど力が増大する。それは自らの中に眠るもう一つの魂が呼応しているかのよう。限界などまるで存在しないかの如く、シズクとの差を徐々に広げていった。

「くっ、まさか颯斗の力がこれほどとは……」

 シズクの顔が初めて歪んだ。力関係は颯斗の方が完全に上となり、決着の瞬間が刻一刻と近づき始める。

 それは想定よりも早く訪れた。

 颯斗の強烈な蹴りがシズクの横腹に直撃。その威力は猛スピードで世界樹へと叩きつけるほど。衝撃で世界樹の幹がへこみ、シズクは木の葉のように大地へ舞い落ちた。

「はぁ、はぁ。これで終わりかな」

 天を仰いだまま動く気配がまったくないシズクに、息を切らせながら近づく颯斗。生存確認をしようと、シズクの口元に耳を当てた。

「息は──あるかな。よかった、夢中だったから少し不安だったんだよね」

「何キスしようとしてんねん」

「颯斗さん……。まさかシズクさんのような幼女体型が好みだったんですね」

 後ろから聞こえる悪意のこもった声。決着を見届けていたカレンと莉乃がジト目を向けて立っていた。もちろん濡れ衣であるのは確かなのだが、ふたりから放たれるオーラに罪悪感を植え付けられる。

 こうなった以上は弁明するしかない。

 悪くないのは分かっている。

 だが、ふたりの威圧感には逆らえなかった。

「ち、違うから。僕はシズクさんが生きてるか確認しただけだから」

「ホンマにー?」

「本当だって! 僕を信じてよ」

 真実を話しているはずが、ふたりからは疑いの眼差しを向けられる。ここで引いてはダメ。颯斗は心の声を必死に伝え続けた。

「ふ、ふたりとも、僕は本当のことしか言ってないから。だから──」

「は、や、と、さんっ、その右手はどこにあるのでしょうねぇ?」

 颯斗の言葉を遮るカレンの声。どことなく棘があり、しかも普段怒らない顔に怒りマークが浮かび上がる。

 それもそのはず颯斗の右手がある場所とは──。

「──!? ち、違う、わざとじゃないからっ。これは、事故、そうだよ、事故なんだからねっ」

 倒れて動けないシズクの胸の上には、颯斗の右手がしっかり置かれている。しかも指がほんの少し動いているようで、カレンの瞳にはシズクの胸を揉んでいるように映っていた。

「べ、別に颯斗さんの好きなタイプがどうであろうと、わたくしには関係ありませんし。たとえ好きなタイプだからって、胸を揉んでもわたくしは何も思いませんからねっ。そうですわよ、わたくしの唇を奪ったり、一緒にお風呂に入ったり、あれは単なる遊びだって分かってますから」

「あ、あの、カレンさん? 僕からキスをしたことなんて、一度もないと思うんですけど。それに、なんだか怒ってませんか?」

「わたくしは怒ってませんっ」

 誰がどう見ても怒っているようにしか見えない。鋭利な言葉が颯斗の心を抉り、額から冷や汗が滝のように流れ落ちる。必死に言い訳すること数分、ようやくカレンの機嫌が戻り、話が前身すると思っていたら第二の刺客が現れた。

「ずるい、ウチだけなーんもないのは不公平や。こんなに颯斗はんを好きなのに、ウチだけキスしてないのはイジメとしか思えへん」

「り、莉乃さん、ちょっと落ち着こうよ。それにキスならあのときにさ……」

「ウチは落ち着いとる。だいたいあれはノーカウントや。せやから、ウチとキスして欲しいねん」

「あのー、前後の文脈が繋がってないんですけど……」

「そんなの関係あらへん。それともあれか、カレンちゃんやシズクちゃんとはキス出来て、ウチとは二度としたくないっちゅーんか」

 強引な屁理屈でキスを迫る莉乃。

 何よりも好きな人が他の女とだけキスしているのが許せなかった。

「そうは言ってないけど……。そ、それじゃ、おでこなら……」

 莉乃の迫力に負け、颯斗は自らの意思でキスする事を決意する。さすがに唇同士は抵抗があり、おでこという無難な選択を選ぶ。これで莉乃が納得してくれなかったら──いや、きっと納得してくれるはず。

 鼓動が跳ね上がり緊張感はシズクとの戦闘以上。

 颯斗は運命に身を委ね、莉乃からの返事を静かに待っていた。

「しゃーないな、おでこで勘弁したるで。唇は次のチャンスまでおあずけにしといたる」

 唇は諦めていないのか。忘れる事を願いながら、颯斗は莉乃の両肩を優しく掴む。跳ね上がった鼓動は限界突破し、颯斗の頬を微かに赤く染める。緊張が最高潮に達する中、ゆっくりと莉乃のおでこへ唇を近づけていく。

 時間の流れが遅く感じる。

 羞恥心からつい目を瞑ってしまう。

 互いの皮膚が接触した瞬間、颯斗の心臓は大きな音色を響かせ破裂寸前であった。

「嬉しいで、颯斗はんからキスしてもろた。カレンちゃんとは違ってなー」

「わたくしは別に……。颯斗さんに近づいたのは、単に任務があったからですわ。本当にただそれだけなんですから……」

 否定はしたものの、颯斗と莉乃のキスはカレンの心に黒いモヤを残す。

 胸に感じる針を突き刺されたような痛み。なぜキスを目撃しただけで、激痛に襲われるのか。もしかすると、人間界特有の病気が進行している可能性もある。早く天界へ戻らなければ。そう思えば思うほど痛みが強くなってしまった。

「どうやら、終わったみたいね」

「ウルド!? 無事だったのですね」

 心がかき乱されている最中に現れたのは満身創痍のウルド。とても無事とは言えないが、自らの足で歩けるほどには回復していた。

「生きていることが無事という意味なら無事ね。それで、このあとはどうするのかしら? シズクを倒せばこの世界も消えると思ったのだけど」

「そんなことはないさ。ボクの力がなくなれば、この世界は次元の狭間に消え去るだけだよ」

 ウルドの疑問に返事をしたのはシズクだった。辛うじて口は動かせるも、全身は微動たりともしなかった。

 突きつけた絶望がせめてもの反撃。

 薄らと笑みを浮かべる姿が不気味に見えた。

「で、でも、崩壊してないってことは、まだシズクさんの力が消えてないってことだよねっ」

「それは違うよ、颯斗。もう、このユグドラシルは崩壊が始まっているんだ。ほら、聞こえないかい? 世界樹の泣き声がさ」

 耳をすますも颯斗には世界樹の泣き声は聞こえない。いや、颯斗だけではなく莉乃にも聞こえていないようであった。

「本当ですわね。シズクさんの言う通り、世界樹が泣いていますわ。いいえ、これは泣き声というよりも、悲鳴の方が近いと思います」

「そうね、この声は人間である颯斗たちには聞こえないみたい」

「本当に聞こえるの? 僕には何も聞こえないけど……」

「ウチも全然聞こえへん。世界樹の泣き声──ちゅーより、悲鳴っちゅーのは、どんな声なん?」

 世界樹の泣き声が届いているのはカレンとウルドだけ。だからこそ莉乃は、どのような泣き声なのか興味が湧いたのだ。

「それはですね、なんと言いますか、例えるなら──カラスの大合唱みたいな声ですわ」

「それってめっちゃ不吉やない」

「不吉も何も、この世界が崩壊するのですから、そのような声になるのは当然ね」

「ここから脱出する方法はないの? 僕たちをここへ呼んだシズクさんなら元の世界へ戻せるんじゃない?」

「残念ながら今のボクは非力な人間と同じさ。それに、ボクもこの世界とともに消えてなくなるんだし。まぁ、千年かけた計画を台無しにされたのに、ボクが協力でもすると思うかい? でも──次元の狭間で颯斗と莉乃が永遠に結ばれる結末もありかな」

 まさに万事休す。手の打ちようがないとはこのこと。絶望だけが颯斗達を嘲笑っているように見える。

 ここで諦めたら今までの努力が水の泡。

 考えろ、必ず活路は残っているはず。

 颯斗は元の世界へ戻るのを一切諦めていなかった。

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