第22話 謎の少女
暗闇の中で聞こえてくるのは心音のような音だけ。最初は緊張から自分自身の鼓動がリズムを奏でているのかと思った。しかしそれは間違いだとすぐに気がつく。
音は確実に背後から聞こえてくる。
それが意味するのは世界樹が鼓動しているということ。
カレンが何をしているのか気になって仕方がない。心が空中浮遊し誘惑に負けそうになる。少しぐらいなら平気かも──いや、ダメだ。約束を反故にしてはいけない。とはいえ、一度気になりだしたらどうしても知りたくなるもの。
こっそり見るべきか否か。颯斗は心が大きく揺らいでしまう。見たいという衝動と、約束を死守するという想いがぶつかり合い、どちらに傾いてもおかしくない状況を作り出す。
心の奥に住む天使と悪魔が颯斗に囁きかけ、進むべき道を悩んでいると──。
「終わりましたよ、颯斗さん。もう振り向いても大丈夫ですわ」
「う、うん……」
タイミングよく終わってしまい、颯斗は複雑な気持ちであった。
「それで、本物の世界樹かどうか分かったのかな?」
「はい、ですが……余計に分からなくなってしまいました」
「えっ……。それはどういうことなの?」
「世界樹というのは神界に一本だけ、というのがわたくし達女神の間では常識なのですわ」
「それじゃ偽物だった、ということになるのかな?」
「いいえ、『本物』なので困惑しているのですよ」
世界樹が複数あるなど初耳。もしくは女神の雫と同じで、情報規制されている可能性もある。カレンが思考を張り巡らせ答えにたどり着こうとしていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「やっぱり……間違いないようね。でもどうして世界樹がここにもあるのよ……」
声の主はウルド。殺伐としたオーラは消えており、代わりに動揺が心を支配している。情報開示レベルが最高であるウルドですら、世界樹が複数ある事に驚きを隠せなかった。
「う、ウルド!? どうしてここに……」
「どうしても何も、気がついたらこの近くに倒れていたのよ。それよりも、どうして世界樹がここにもあるのよ。こんなこと、このあたくしでさえ聞いたことないわよ」
「そうなんですね。でも、ウルドでも知らないとなると──ここはユグドラシルではないどこか、ということになるのかしら」
「そのようね、状況が分かるまで一時休戦としましょうか」
ここが人間界でも天界でもないのは確か。未知の世界で任務遂行しても不毛であり、一時的に争いを中断するのが最善だとウルドは判断した。
休戦は颯斗達も望むもの。
元の世界へ戻れるかも分からない。
得体の知れないこの世界の正体を明かすのが最優先であった。
「分かりました。い、一応確認しておきますけど、不意打ちとかはしないですよね?」
「なるほど、その手があったわね」
「えっ……」
「冗談よ、じょ、う、だ、ん」
後出しで冗談と言われても、自分を殺そうとしていたのだから警戒するのは当たり前。信じたい気持ちはあるものの、一度でも警戒するとそう簡単にはいかない。颯斗は乾いた笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「ここが天界のユグドラシルじゃないゆーことは分かったけどな、この先どないすんねん。地球でもない、天界でもない、ならここは、どこやゆー話やねん」
「他に手がかりになりそうなモノはないのかな?」
「そう言いましても世界樹があるだけで、他に目立ったモノは何もありませんわ」
カレンの言う通りで、ここは世界樹が大地に根を下ろしているだけ。その世界樹も変わったところはなく、他に手がかりらしきものは見当たらない。
完全に手詰まりとなり困り果てる颯斗達。
何気なく周囲を見渡すと──。
「初めまして、とでも言っておくね」
視界に映ったのはひとりの少女。肩まである青い髪にエメラルド色の瞳は人形のような可愛らしさ。幼さが残る顔つきで、表情からは何を考えているのか読み取れなかった。
「えっと、キミは誰でどこから来たのかな?」
誰もが困惑する中、最初に口を開いたのは颯斗であった。
「颯斗、ボクの声に聞き覚えがないかい? それとも『妾』の方が分かりやすかったかな」
「えっ、まさか……」
「そのまさかだよ。ボクの名前はシズク、颯斗の魂と同化してた女神の雫だよ」
衝撃の告白はその場にいた全員を固まらせる。女神の雫が話すだけでも(颯斗は知っていたが)驚きなのに、実体化までしているなど予想外の出来事。
どう反応していいものか。
混乱が大きな波となり襲いかかってきた。
「ありえません、女神の雫が喋るなど、あたしは聞いたことがない! ましてや実体化するなど……」
「ウルド落ち着いて、現実に目を向けなければなりません。それに、わたくし達がすべきことは、この場所がどこか知ることですわ」
激しく動揺するウルドを落ち着かせるカレン。疑問をひとつずつ解決するのがベストだとの考え。
とはいえ、推測しようにも情報不足なのは否定できない。さすがのカレンも焦り始めていると、シズクが無邪気な声で話しかけてくる。無表情はすでに消え去り、いたずらっ子のような顔を見せていた。
「なーんだ、ここがどこだか知りたかったの? なんならボクが教えてあげようか」
「シズク──でしたよね、アナタには分かるというのです? この世界樹が存在する世界がどこなのかを!」
「そんなの簡単だよー。それにさー、この木が世界樹だって分かってるなら、答えはもう出てるんじゃなーい?」
「それはいったい……」
教えると言っときながら、状況をより複雑にするシズク。ウルドの心を掻き乱し思考までも迷宮へと誘い込む。答えが出ている──そのまま理解すればウルド自身も知っている世界となる。
有り得ない。それだけは現実的な答えではない。
導き出した迷宮の出口への道を引き返すほどウルドには衝撃的だった。
「そんな……そんなこと、あ、ありえない。だってここがユグドラシルだなんて──天界なわけないじゃないのっ」
ユグドラシルは天界が存在する世界。唯一無二の世界であり、世界樹も一本しか存在しないはず。だがユグドラシルは広い。発見されていないだけで、世界樹がもう一本あるのかもしれない。
否、世界樹とは女神にとって母なる存在。
仮に世界樹がもうひとつ存在していれば、必ず誰かしらの耳に入るはず。つまりここは、ユグドラシルであってユグドラシルではない、という矛盾する答えとなる。たどり着いた答えに理解が追いつかず、ウルドだけでなくカレンも驚きを隠せなかった。
「驚いたー? 予想通りの反応でボクは嬉しいよ。正確には今あるユグドラシルとは別の存在だけどねー」
「そ、それなら本物のユグドラシルはどうなったのですか?」
「もちろん、『それも』あるよ。あー、それは正確な表現じゃなかったかぁ。今はまだ存在している、と言った方がいいかな」
「意味がわかりません、まだ存在しているって、わたくしにはこれから消滅するとしか聞こえませんわ」
「あれー、ボクはそう言ってるんだけどなー」
悪気なく答えるシズクに恐怖さえ覚える。
天界を消滅させるなど尋常ではない。そもそもの話、現実的にそのような事が可能なのか。もし可能であるのなら──考えただけで背筋が凍るほど恐ろしかった。
「そもそも女神の雫は涙が結晶化したものでしょっ! それなのに……どうして喋って、このユグドラシルみたいなモノまで創ることが出来るのですっ」
「あー、そっか、まずはそこから説明しないといけないね。女神の雫は涙の結晶のことなんだけど、実はボクの結晶にはある女神の想いが込められているんだよ。名前は──思い出せないけど、『願いを叶えたい』という想いが強く刻まれてるんだ」
ウルドの認識は正しい。女神が心底願いながらこぼす涙から作られるのが女神の雫。願いによって効果は異なり、雪の結晶のように同じ色や形は存在しない。
では、シズクが持つ本当の力とは。なぜ意志があり姿を変えられるのか。それは遥か遠い昔の悲しい出来事。あるひとりの女神に起きた悲劇が発端であった。
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