第21話 存在しない世界

「まってーな、ウチを置いていかんでー」

 お約束と言わんばかりに無視される莉乃。慌ててカレンの足を掴み、間一髪であったが無事に飛び立てた。

 見渡す限りの大草原に取り残されるなど、罰ゲームどころの話ではない。地平線がハッキリ見える平原を歩くのは、並大抵の精神力があっても不可能。まさに九死に一生を得たと言っても過言ではなかった。

「空を飛ぶって不思議な感じだよね。気持ちがいいというか、夢みたいに思えてくるよ」

 本来なら風圧で目を開けていられないはず。しかし地上にいるのと変わらず、その瞳に景色を焼き付ける余裕がある。おそらく女神の力であろうと颯斗は推測した。

 しばしの間ではあるが、悪夢のような現実を忘れられる。普段では見られない上空からの景色を楽しんでいた。

「本当に綺麗だよ……」

「えっ……。そ、そんなわたくしは……」

 颯斗が放った言葉をカレンが勘違いする。あくまでも景色に対してなのだが、自分に向けられたモノだと思い顔が真っ赤に染まる。心音が激しくなり周囲に聞こえるほどの大きさに。羞恥心が突如湧き上がり、落ち着かせようと両手を胸に当てた。片方には颯斗の手があるのを忘れて……。

「か、カレンさん!? いきなり何をするんですかっ」

「颯斗さんはいったい何を言って──って!? きゃーーーーーっ」

 柔らかい感触とともに驚く颯斗。不意打ちの一撃が破壊力抜群すぎた。

 それ以上に驚きを見せたのはカレンで、反射的に颯斗の手を離してしまうほど。瞬時に『ここで離したら颯斗を落としてしまう』という言葉が浮かび上がり、羞恥心と戦いながら耐えるしかなかった。

「颯斗はんはどこ触ってるん。やっぱり女神という属性が有利ってことなんか。ウチじゃ物足りないってことなん……」

「今のは僕のせいじゃないよっ」

「そうですか、事故を装ってわたくしの胸を触るだなんて」

「そんなカレンさんまで……。僕が自分でカレンさんの胸を触るわけないのに……」

「つまり、わたくしの胸は触る価値すらない、ということなのですね」

「そんなこと言ってないのにっ」

 颯斗に非がないのは確か。自分の意志ではないのは明白であったが、数の暴力という絶大なる力で濡れ衣を着せられた。こうなってしまうと諦める選択肢しか残されておらず、話題を変えようとカレンに気になっていた事を質問した。

「話が変わるけど、カレンさんはどうして喋り方を変えてたのかな? べ、別に深い意味はないんだけど、ちょっと気になったというか……。で、でも、どっちの喋り方も好きだからねっ」

「そんなツンデレで言われましても……」

「颯斗はんは隠れツンデレやったんやな」

「ちっがーーーーーう。僕はツンデレじゃないからぁぁぁぁぁ」

 心の叫びが周囲に響き渡る。

 ツンデレのレッテルは不本意。

 こればかりは何がなんでも否定したい颯斗であった。

「冗談や、冗談。本気にしたらあかんで颯斗はん」

「わたくしも半分はジョークですわ」

「残りの半分は本気だったのね」

「そんなに落ち込まないでくださいね」

 二人の少女に手玉に取られ落ち込む颯斗に、カレンが優しく頭を撫でる。自分で落としてから上げるという高等テクニック。本人は無意識であったが、心の内側にある本能は正直だった。

「別に落ち込んでなんか──って、僕は絶対にツンデレじゃないからねっ。それで質問の答えは……」

「ふふふふ、颯斗さんは素直ですわね。えっと、わたくしが喋り方を変えた理由でしたよね。それはですねぇ、下界──つまり人間界では、どのようなタイプの女性が人気あるのか調べましたところ、自分のことを名前で呼ぶ方がいいと分かりまして、それであのような喋り方にしたんですけど……」

 僅かに潤ませた瞳で颯斗を見つめるカレン。

 その瞳は颯斗を夢中にさせるほど魅力的。

 人間界での調査とは言いつつも、この結果はカレンの独断と偏見によるもの。たどり着いた答えは世間一般的な基準とは多少ズレていた。

「そうだったんだね。でも、喋り方なんて僕はあんまり気にしないかも。だ、だけど、カレンさんはどっちの喋り方でも可愛いかな」

 颯斗の無自覚なひと言がカレンの心に痛みを与える。針を刺したような痛みではあるが、嫌悪感はまったく感じられない。きっと人間界特有の病気が再発したのだろう。

 早く人間界から離れれば──そう思えば思うほど心の痛みは激しさを増していった。

「なーんか、ウチだけ蚊帳の外って感じや。むぅ、そうや、颯斗はんはウチとカレンちゃん、どっちが好きなん? 両方好きとかはなしやで」

 仲間はずれにされた恨みから、莉乃がキラーパスを回す。退路を塞がれ窮地に陥る颯斗。もし、もしも第三の選択などしようものなら、カレンの手によって地上に投げられること間違いなし。

 どっちの選択肢が正解なのか。

 答えにたどり着こうと必死に悩み抜く。その姿を言い出しっぺの莉乃はもちろん、カレンも横目で見るほど気になっている様子。

 周囲に独特な緊張感が漂い、カレンと莉乃が見守る中、ついに颯斗が重い口を開いた。

「僕は……って、ちょっと前見てよ前!」

「話をはぐらかさんといてーや。颯斗はんはどっちが好きなんや」

「い、いや、それより遠くに大きな木が見えるんだよっ」

「そんなん後回しでいいやんか。ウチとカレンちゃんのどっちが好きやねん」

「莉乃さんちょっと待ってください。あの木……どこかで見覚えが……」

 自分の中で答えを出したものの、瞳に映りこんだ巨大な一本の木を無視できなかった。莉乃から問い詰められるが、カレンが助け舟を出し事なきを得る。

 仮に巨大な木が視界に映らなければ、地獄絵図が待ち受けていたはず。シズクの力なのか、単なる偶然か、どちらにせよ運良くこの危機を見事に回避できた。

「しゃーないなぁ、カレンちゃんがそうゆーなら待ったる。でもなぁ、颯斗はんにはちゃんと答えを出してもらうで」

「ぜ、善処するよ……。それでカレンさんは、どこであの木を見たんです?」

「それがですねぇ、答えが喉元まで来てるんですけど、そこから動いてくれないのですわ。何かきっかけがあればいいんですけど」

「きっかけか……。うーん、というより、地球にあんな大きな木なんてあったかな。雲を突き抜けそうなくらいの大きさって、よくゲームとかで出てくるけど、なんて言ったかなぁ。そうだ、世界樹だったっけ、あれと同じようなのが現実にも存在してるんだねぇ」

「そうよ、そうですわ、あれは間違いなく世界樹ですわ」

 興奮するカレンの声で颯斗と莉乃は驚きの視線を向ける。数日という短い付き合いではあるが、カレンが大声を出したのは初めてのこと。普段が冷静なだけに、意外すぎだと思っていた。

 そもそも世界樹とは人間界には実在せず、颯斗が言うようにゲームの世界にしか存在しない。つまりここが人間界でないのは確実であった。

「カレンさん、それっていったい……どういうことなの?」

「世界樹ってゲームの世界の話やないん?」

「いいえ違いますわ。世界樹とはわたくしが住む世界、ユグドラシルに存在するモノなのです。それがどうしてこんなところに……」

「ということは、ここがユグドラシルってことなの?」

「颯斗さん、それも違いますわ。ユグドラシルに存在する世界樹の周囲には大きな街がありますの。ですが、今見えている世界樹の周辺は……」

 街どころか建物ひとつ見当たらない。その事実が意味するのは、『ここはユグドラシルではない』ということ。まさに未知の世界──女神であるカレンも知らない世界である可能性が高かった。

「んー、もしかしたら、コピー商品みたいに、見かけだけそっくりなだけとかやないん? あの木──世界樹やっけ、あそこまではまだまだ距離があるし、いくらカレンちゃんが女神でもこんな遠くからじゃ断定できへんちゃう?」

「それは……確かに莉乃さんの言う通りかもしれません。もしかしたら、世界樹に似ているだけで別のモノという可能性もありますし」

「確認する方法はないのかな?」

「そうですねぇ、わたくしが直接触れるしかありませんわ」

「それなら実際に触って確認してみようよ。あっ、もしかして、触ると危険だったりするの?」

 カレンの身を案じ心配そうな顔の颯斗。今いるこの世界がどこか知りたいが、カレンに危険が及ぶのなら別の方法を考えようとしていた。

「もしかして触ったら爆発とかしたりするん? もちろんカレンちゃんがやけど」

「それはありませんが、世界樹というのはですね、わたくし達女神の母なる存在なのです。ですから、触れるという行為はとても神聖なことで、天界では滅多に触ったりしないのです。別に触ったからといって罰があるわけではありませんが、あの、その……少しだけ恥ずかしくなる衝動に駆られてしまうのです」

 莉乃の軽いジョークにカレンが真面目に答えてしまう。ボケがスルーされ悲しむ莉乃だったが、ひとつの疑問が不意に浮かび上がる。それはなぜ木に触るのが恥ずかしいのかだ。

 いくら考えても理由は不明。

 ならば直接本人に聞くのが一番早い。莉乃が疑問を投げかけようとすると、思考を読み取った颯斗が代弁してくれた。

「カレンさん、どうして世界樹に触ると恥ずかしくなるの?」

「──!? そ、それは……。話さないとダメ、ですか?」

 真っ赤に染まった顔と潤んだ瞳がすべてを物語る。口を挟んだのが失敗だった。後悔しても一度外に出た言葉を取り消せるわけがない。この流れは不利になると思っていると、乙女の反応に気がついた莉乃から鋭いツッコミが飛んできた。

「颯斗はん、ひょっとしてセクハラとちゃう?」

「僕は何も……」

「ダメやで、乙女には秘密がつきものなんやし」

 言い訳する暇もなかった。理不尽ではあるが、ここで反論しようものなら傷口が広がるのは明らか。心では納得していないが、颯斗は素直に莉乃の忠告を聞き入れた。

「わ、分かったよ。あっ、もう世界樹が目の前じゃない。降りてから確認しようよ」

 気がつけば世界樹と思われる木が目の前に存在する。これ以上は飛び続ける意味がなく、颯斗達は木の近くで地上に降り立った。

 間近で見るとその大きさがよく分かる。

 幹の太さだけでも学校一周ぐらい。

 まさに規格外であり、時間を忘れしばらく瞳に焼き付けていた。

「改めて近くで見ると大きいよね」

「せやなー、こないな大きな木なんて、ウチは見たことあらへん」

「天界にある世界樹も、これと同じくらいの大きさですわ。女神は世界樹から生まれるのですから、巨大になるのは当然なんですよ」

「そうやったんや。ラノベとかアニメに出てくる女神っちゅーのは、世界樹から生まれてたんやなぁ。これでウチはまたひとつ賢くなったで」

 頷きながら莉乃は自分なりの解釈で納得する。ずっと疑問であった女神の誕生。その答えを女神本人から直接聞け、長年の謎が解けた事でスッキリとした笑顔を浮かべた。

「それは作者の世界観次第だと思うけど……。それじゃ、カレンさんにこの木が世界樹かどうか確認してもらおうか」

「は、はい、えっとですね、その……颯斗さんにお願いがあるんですけど」

「僕にお願い? いいよ、僕に出来ることならなんでも言ってよ」

「ではお言葉に甘えまして……。世界樹かどうか確認するときにですね、後ろを向いて目を瞑って欲しいのです。ダメ、でしょうか?」

 女神の上目遣いは破壊力抜群。いや、女神かどうかは関係ない。絶世の美女であるカレンだからこそ効果的なのだ。これがウルドであったのなら、同じ結果にはならないであろう。そもそもあの冷酷な女神が上目遣いをする姿など想像できなかった。

 可憐な上目遣いは世の男性を惑わす。颯斗も例外ではなく、心を鷲掴みにされてしまい、満面の笑みでカレンのお願いを聞き入れた。

「分かりました。カレンさんが世界樹かどうか確かめてる間は、後ろを向いてるよ。もちろん目も瞑っておくから安心してね」

「ありがとうございます、颯斗さん」

 この先は乙女だけが入れる禁断の花園。カレンに言われるがまま、ゆっくり振り向き瞳を閉じた。先ほどのような失敗は絶対にしない。理由は聞かずカレンを信じるだけ。颯斗は自分にそう言い聞かせ、確認が終わるのを静かに待っていた。

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