第19話 危うい運命

「アナタの処分は後回しよ。すべてが終わるまでそこで待ってなさい」

 それだけ言い残し、ウルドはカレンの前から姿を消した。

 このままでは颯斗の命が危ない。カレンは内なる自分に話し掛け女神の力を解放させる。だがウルドを退けるにはまだ足りない。己の限界さえ超える必要がある。涙を必死に堪え、眠れる力を無理矢理にでも引き出そうとしていた。

 急がなければならないが焦ってはダメ。

 全神経を集中させ、自然と力が湧き上がるのを待った。

 時間にして数秒、不思議と力が溢れかえる。今ならウルドの術くらい簡単に解けるはず。力任せに光の筋を引きちぎり、ようやく束縛から解放された。

 早くウルド追わなければ。カレンは休む暇もなく颯斗の元へ飛び立った。


「アナタが颯斗ね?」

 目の前に舞い降りた少女に固まる颯斗。疑問がいくつも浮かび上がるが、それより気になるのは少女の服装。初めて見るデザインで、フィクションの世界に登場する女神のようであった。

「そう、だけど……。アナタはいったい誰なんですか?」

「そうね、名前ぐらいは教えてあげようかしら。あたしの名はウルド、女神ウルドよ。カレンの上司でもあるけどね」

「えっ、カレンさんの上司……? それに女神って……」

「あら、女神についてカレンから何も聞いてないのね」

 聞き間違いではない、確かにウルドは女神と言った。あまりにも突然すぎる話に、颯斗と莉乃の思考はパンク寸前。いきなり女神だと言われても、すぐに信じられるわけがない。

 ただでさえ颯斗は莉乃からの告白で動揺している。

 せっかく用意した莉乃への返事も泡となって消えてしまった。

「あの、女神というのはあの女神です? もしくはメガミというお店で働いてるとか……」

「人間というのは理解力が乏しいようね。女神というのは、天界に住んでいるの。神様の一種だと思ってくれてもいいのよ。で、も、これは覚えなくていいから。だって──アナタは今ここであたしに殺されるのですから」

「ちょい待ってーな、颯斗はんを殺すとか何物騒なことゆーとるん。ウチがそんなこと許すわけない。それに、こんなん警察案件やないか」

 莉乃が割り込んだのは、颯斗を殺すという言葉が飛び出したから。大好きな人を失うわけにはいかず、怒りが胸の内側から湧き上がってきた。

 妄想好きな変質者を目の前に、恐怖心がないかと言えばウソになる。愛する者を守るため、膨れ上がる恐怖心を力づくで抑え込み、莉乃はウルドの前に立ちはだかった。

「別にアナタに許可なんて貰う必要なんてないの。さっ、お喋りの時間は終わり、せめてもの情けよ、苦しまずに逝かせてあげる」

 颯斗以外の人間は眼中にない。ウルドの瞳が虫を見るような冷たさとなり、非情な術が颯斗を終焉へと導こうとする。

 まさに絶対絶命。

 シズクの幸運が発動する気配もなく、颯斗は莉乃を庇い覚悟を決めた。

「短い時間だったけど、さようなら」

 心のこもっていない冷たい言葉。光の玉を素早く出現させ、颯斗達に向けて容赦なく放つ。空気が一瞬で凍てつき死への招待状を突きつける。もはや万事休す──颯斗は自らの運命を素直に受け入れた。

「颯斗さんに危害は加えさせません!」

 間一髪だった。天から舞い降りたカレンが、華麗な動きでウルドの攻撃を弾き飛ばす。いつもの笑顔は消えており、突き刺さるような鋭い視線をウルドに向ける。すでに上司という認識はなく、颯斗を害する敵として認識していた。

「カレンさん!」

「ごめんなさい、颯斗さん。わたくし、アナタに謝らなければならないことがあるのです」

「謝るって何を? それよりも助けてくれてありがとう」

「お礼なんて……。だってわたくしは、颯斗さんを騙していたのよ? わたくしの目的、それは女神の雫を回収することだったの。そのために颯斗さんに近づき……。でも、誤解しないで欲しいのです。確かに最初のわたくしは、回収だけが目的だったの。ですけど、颯斗さんと過ごす日々が楽しくて、それに──わたくし、颯斗さんのことが嫌いではありません。むしろ……好きな分類だと思ってるのですわ」

 カレンから告白された真実に、颯斗はまったく動揺しなかった。これは予想の範囲内。シズクの力で不幸にならない理由が、カレンにあると推測していたくらいだった。

「カレンさん、やっぱり秘密があったんだね。でも、僕はそんな些細なことは気にしない。だってカレンさんはカレンさんなんだから」

 その言葉で心に巣食った罪悪感が消え去り、秋晴れのような晴天に恵まれる。カレンの中で生まれつつあった闇は、颯斗の放った光で完全消滅した。

「ありがとう……。わたくし、颯斗さんと出会えて幸せだよ。たとえきっかけが任務であっても、この出会いはわたくしにとって、かけがえのないものですわ」

「それはウチだって同じや。颯斗はんがいたからこそ、ウチは人の道を外さなくて済んだんやし」

 二人から感謝され悪い気がしない颯斗。そもそも褒められて嬉しくない人はほとんどいないはず。それこそ余程ひねくれた性格の持ち主ぐらいであろう。

 しかし颯斗は純粋で穏やかな性格。心の中は嬉しさで満たされる。それが理由ではないが、すべてを受け入れると決めた。

「このあたしを無視するなんていい度胸じゃない。だいたい、あの拘束から逃れるなんて、カレンの力を少し見くびっていたみたいね」

「別に無視なんて──してたわけじゃないよ。それと、ひとつ教えて欲しいんですけど、ダメでしょうか?」

 普通の神経なら冷静でいられるはずがない。だが颯斗は、このような状況でも沈着冷静そのもの。どうしても知りたい事があり、聞かずにはいられなかった。

 探究心が自分の生死を上回る。

 今それを聞かなければきっと後悔する。

 ウルドがどう返事をするのか。颯斗は期待しながら静かに待っていた。

「……まぁそれぐらいいいわよ」

「あ、ありがとうございます……。ではなぜ、女神の雫は関係する者の幸運を奪って、持ち主に絶大なる幸運を授けるのです?」

 ウルドからまさかの返事が飛び出し、ほんの少しだけ動揺する颯斗。これは単なる気まぐれかもしれない。たとえそうであったとしても、ずっと抱いていた疑問を聞けるのならそれでいい。なにせ相手は自分を殺そうとしているのだから。

「それは正確じゃないのよ。だって女神の雫とは──女神がこぼした涙が結晶化したモノで、すべて効果が違うのですから」

「えっ……。そんなこと、わたくしも知りませんでしたわ」

「当たり前よ、このことはトップレベルの情報規制がされていますし。まっ、死にゆくアナタたちに話しても、何も問題ありませんけど」

 言葉のひとつひとつが冷たい。

 それこそ颯斗達の心を凍てつかせるほどに。

 想像とかけ離れた現実が颯斗に恐怖を植え付ける。

 そう、颯斗の中で女神という存在は慈愛に溢れている。しかしだ、現実の女神は非常に残酷で幻想をいとも簡単に打ち砕く。植え付けられた恐怖心が体内で暴れ沈着冷静を破壊してしまう。最後の砦が失われると、颯斗の全身が急に震えだした。

「大丈夫やで颯斗はん、ウチがついとるから。せやから、なーんも心配することあらへん」

「わたくし──カレンだって颯斗さんを守るって決めたんだよっ。だから、怖がる必要なんてどこにもないんだからねっ。カレンはいつだって、颯斗さんの味方なんだから」

「莉乃さん、カレンさん……」

 まるで魔法のように、二人の声が颯斗の震えを止める。凍てついた心を溶かし、希望という光で闇を照らした。

「ウルド教えてちょうだい、そもそも、なぜ女神の雫を回収する必要があるのです? 颯斗さんが持っている女神の雫は幸運をもたらす代わりに他人を不幸のどん底に落としてしまいます。だけどそれは、わたくしがそばにいれば解決するだけですわ」

「そうね、女神の雫は女神が近くにいると、デメリットが発動しないのは確かよ。だけどね、あれは天界から出してはいけないもの、もし外に出してしまったら……世界が混沌へ導かれるのよ。人間ひとりの命で世界が救われるのなら、あたしは迷わず颯斗の命を奪うことを選択するだけ」

「おかしい、そんなのおかしいですわ! 女神とは神聖であり、弱者を守らなければいけない存在のはずよ。それなのに……どうして颯斗さんを殺さなくてはならないのですか!」

 カレンは必死だった。何がなんでも颯斗を守ろうと、屁理屈を並べてウルドに訴える。女神だからという言い訳をしているが、本音は颯斗への個人的感情が理由。

 きっと女神としては失格であろう。

 それでも自分にウソはつけない。

 なぜならカレンは女神という立場でありながら、颯斗というひとりの人間に恋をしてしまったのだから。

「カレン、アナタは自分が矛盾していることに気づいていないの? 弱者を守るのは女神の宿命であるのは間違いないけど、今回の場合の弱者は颯斗ではなく世界なのよ?」

「そ、それは……。で、でも──」

「これ以上は時間の無駄のようね。カレン、残念だけどアナタも一緒に消えてちょうだい」

 必死の説得も虚しく、ウルドにカレンの声は届かなかった。反論しようにも言葉が出てこない。代わりに告げられたのは死の宣告。場の空気がより一層張り詰め、もはや激突を回避するのは不可能であった。

「ちょいまちーや。女神だかなんだか知らんけど、そんなん一方的すぎるやない。そもそも、女神の雫を落としたのは天界の落ち度やろ? それなのに、颯斗はんに責任があるような言い方は無責任すぎるやないか」

 不可能だと思われた激突を止めたのは人間である莉乃。恐怖心がないと言えばウソ。大好きな人を失いたくない、その想いが侵食する恐怖心をかき消した。

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