第16話 抜け駆けする乙女

「いい湯やったー、ホンマに気持ちよかったで。それにな、颯斗はんと一緒に入れたのが嬉しすぎやねん。颯斗はんもウチの美肌に釘付けやったしな」

 温泉のあとに楽しむのは部屋での食事。テーブルに並ぶ豪華すぎる夕食に颯斗達の瞳が大きく開く。本当に商店街の景品なのかと疑うほどで、妙な罪悪感が胸の内側から湧き上がってくる。

 シズクという裏技でこの贅沢を手に入れた。

 しかも不思議な事に本来あるべきリスクがない。

 もしその原因が判明したのなら──いや、邪な気持ちは捨てるべき。颯斗は黒い思考を厳重に封印した。

「美肌とか普通は自分で言わないでしょ。それにしても、湯着で入るのは初めてだったけど、思ったよりもいいものだね」

「颯斗はんが望むならウチは湯着なしでも──」

 そう言いかけた瞬間に蘇ってきたのは、お互いが重なり合った時の出来事。お風呂では平気であったのに、羞恥心が前触れなく莉乃に襲いかかる。

 平常心は崩れ去り、心音が徐々に大きくなっていく。

 顔はほんのり赤みを帯び、全身が再び火照り始めた。

「い、いや、なんでもない。もぅ、颯斗はんのえっち〜」

「僕は何もしてないんだけど……」

「そんなことないで、ウチの大切なモノを奪ったやないか」

 話をすり替えなければきっと暴走してしまう。責任転嫁と言われようとも、ここは颯斗のせいにするのが得策。動揺を上手く隠し、莉乃は強い口調で颯斗に詰め寄った。

「僕にはまったく身に覚えがないんだけど……。って、カレンさん……?」

 冷静さをまったく崩さず受け答えするも、いつもなら割り込んでくるカレンが無反応だった事に違和感を覚える。不思議に思った颯斗がカレンに視線を向けると、何か考えている様子で一向に気づく気配がない。

 何度見ても美しすぎる横顔。

 莉乃と会話中なのを忘れるほどで、つい見入ってしまった。

「はにゃ? 颯斗さんどうしたの? カレンの顔をじっと見たりして」

「あっ……。べ、別になんでもないんだけど、その……何か考え事でもしてるのかなって。つい見とれちゃうほど可愛かったからさ」

 数秒のラグを挟みようやくカレンが反応。まるで何事もなかったかのように女神の笑顔を見せ、颯斗に激しい動揺を与える。思考までも混乱させ、言葉が自らの意志で勝手に外へ出ていった。

「──!?」

 何気ないひと言であり、深い意味は存在しないはず。それなのにカレンの顔を真っ赤に染め上げる。心が擽ったくなり、まるで心を見透かされたよう。何かを考えていたのは事実で、それが脱衣場での出来事だとは口が裂けても言えない。

 ここで心が揺らいではダメ。

 頭の中までは絶対に覗けないと信じるのみ。

 カレンの精神は崖っぷちであった。

「顔が赤いけど大丈夫?」

「な、なんでもないよっ。そう、なんでもないの」

「もしかして──」

「わぁ──。それ以上言ったらダメだよー。うん、イジメはよくないよ颯斗さん」

 崖から突き落とされまいと、大声で颯斗の言葉を遮るカレン。口までも両手で塞ぎ、これ以上秘密が露呈するのを阻止した。

「隠し事はずるいで、ウチにも教えてーな」

「か、隠し事なんてしてないよっ。それよりもさ、夜景が綺麗なとこがあるって仲居さんが教えてくれたの。ご飯食べ終わったら行ってみよーよ」

 強引に迫ってくる莉乃を回避する必要がある。ここは切り札を使ってでも乗り切らなければならない。本当は颯斗だけ誘うつもりだった。

 だが、悠長な事を言っていられる場合ではなく、カレンは誤魔化すための最終手段として使わざるを得なかった。

「夜景か……。せっかくだから見に行ってみようか」

 カレンの思惑通りに莉乃の思考は夜景一色に染まる。チャンス到来とはこのこと。必ずカレンを出し抜き颯斗と二人っきりになってみせると、悪巧みが浮かび上がってきた。

 今度こそ勝負を決めてみせる。

 既成事実さえ作れば勝利は目前。

 静かに闘志を激しく燃やし、莉乃は決戦に向け気合いを注入した。

「颯斗はんが行くなら、もちろんウチも行くで。夜景を颯斗はんと見るとか、今から楽しみやねん」

「あのー、カレンも一緒なんですけどー? それ以前に颯斗さんは──う、ううん、やっぱりなんでもないや」

 恥ずかしさが抜けておらず、途中からカレンの声が小さくなる。穴があったら入りたい──いや、むしろ一刻も早くこの場から逃げ出したかった。

 しかし逃げ出すわけにはいかない。颯斗が身につけるネックレスを奪う必要があるからだ。もし失敗でもしたのなら……『だめがみ』のレッテルを貼られてしまう。

 それぞれの思惑が交差する中、運命の夜景を見る会が始まろうとしていた。


 澄んだ空気がすべてを浄化してくれる。

 月明かりに照らされる景色は街灯よりも優しく映す。

 外は想像よりも暗くなく足元もハッキリと見えた。

「都会とは違って空気が美味しいね」

「せやな、空気ってこんなに美味しいとは思わへんかった。それとな、薄暗くてウチ迷子になりそうなん。せやから……手を繋いでくれると嬉しいんやけど……」

 心臓が大きな音を鳴らし今にも飛び出しそう。それでも莉乃は気持ちを奮い立たせ、目的達成に向けて大きな一歩を踏み出そうとする。すべては家族のため、なんとしてでも颯斗の心を鷲掴みにしたかった。

 胸の内側から湧き上がる不協和音が止まらない。

 本当に家族のためなのだろうか。その疑問が莉乃の中でずっと渦巻いている。ファーストキスの時もそうだった。家族のためでもなく、ましてや颯斗のためでもない。あの時は分からなかったが、今ならその理由が鮮明に分かる。

 ワガママと言われればそれまで。

 それでも自分の心にウソはつけない。

 いくら否定しようとも、想いが変わる事はないのだから。

「確かにそうだね、迷子になると困るからいいよ」

「颯斗はん感謝やで。ホンマ優しくて惚れ直しちゃうで」

「はいはい、足元に気をつけて──って、カレンさんはどうする?」

「ひゃいっ!? か、カレンはねー、その、服を掴ませてくれればいいよ」

 いまだに動揺が収まらず、颯斗の問いかけに驚くカレン。あまりの動揺振りで服という禁句を口にするほど。まさに自爆以外の何者でもなく、それでも恥ずかしさを必死に堪えながら普段の自分を演じようとする。

 任務が終われば天界へ戻るだけ。

 寂しさがないと言えばウソ。

 それどころか、この時間が永遠に続けばいいと思うほどであった。

「うん、それくらい平気だよ。それじゃ出発しようか」

 夜景が見えるスポットまでは山道を歩いて二十分ほどの距離。道幅は広く端にさえ気をつけていれば危険はない。目的地まではすんなり到着する予定であった。

 ここが運命の分岐点。

 五分ほど歩いたところで莉乃が仕掛けてきた。

「は、や、と、はーん。ウチ……大事な話がしたいん。せやから──ちょっとだけ走ってーな」

「は、話って……」

 電光石火のスピードで莉乃は颯斗を連れ去った。返事など求めていない。まずは二人っきりになる事が最優先。呆然と佇むカレンを放ったらかし、颯斗と莉乃は瞬く間に姿を消してしまった。

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