第14話 混浴へ
最初は世迷言だと軽く受け流していたが、真実味が増してきた途端にカレンの美貌の虜となる。もちろん、心が惹かれたのは美貌だけではない。いつもは余裕のある態度と子どもっぽい一面とのギャップが、見事に颯斗の心に突き刺さった。
「そんで颯斗はん、ウチにはキスしてくれへんの?」
余韻に浸っている颯斗を襲った言葉。現実世界へ引き戻されたと同時に莉乃とのキスシーンが蘇ってくる。鼓動が激しいリズムを奏で、颯斗はほんのり顔を赤く染める。
あの時はキスというよりおまじない。
絶望の波に飲み込まれた時に救い出してくれたモノ。
単なる同情心からだと思っていたが、このタイミングで求めてくる理由が分からない。まさか純粋な恋愛感情が本当にあるからなのか。いくら考えても答えが出ず、今は話題を変えた方がいいと思った。
「り、莉乃さん落ち着いて。それよりも温泉に──」
「『それよりも』なんて、そんないい加減に扱わんで。ウチは真剣なん、だってウチは……」
話題を変えるどころか火に油となった。莉乃の瞳がわずかに潤み颯斗の心に罪悪感を刻みつける。動けない──金縛りにあったような感じとなり、接近してくる莉乃を止められない。
互いの唇が重なるまで残り数センチ。
この前とは違い今は冷静そのもの。雰囲気に流されてはいけないと思い、颯斗は渾身の力を振り絞った。
「ち、ちょっと待った」
「なんで……。もしかして、颯斗はんはウチのことが嫌いなん?」
「そういうわけじゃないよ。だって莉乃さんとは出会ったばかりだし、それに……キスとかは本当に好きな人同士がするもんでしょ」
「ウチは颯斗はんの事がホンマに好き、やで。それにな、この前はよくてなんで今はダメなんよ」
「そ、それは……」
莉乃の正論に反論できるわけもなく。言葉が途中で喉元を通過しなくなる。沈黙が正解でないのは理解しているが、颯斗の取れる選択肢は説得し続ける事だけであった。
「なんでカレンちゃんとはキスする仲なんよ。ウチだけ置いてけぼりってことなん?」
「カレンさんとはそんな仲じゃないよ。それにさ、僕は莉乃さんを置いてったりしないから。絶対にひとりにはさせないよ」
「なんかカレンちゃんに負けてる気がして、ウチ悔しくて仕方ないん。せやから、ウチはどうしても颯斗はんと本当のキスがしたいん!」
単なる負けず嫌いなのか、それとも本当にキスをしたいだけなのか。莉乃本人にも気持ちがどこへ向いているのか分からない。迷走し始める本心に刺激され、莉乃の瞳からひとしずくの涙がこぼれ落ちた。
それは鋭い矢となり颯斗の心臓に突き刺さる。
罪悪感が無尽蔵に増殖し、心が光を求め動き始めた。
「莉乃さん……」
魔法にでもかかったのだろうか。操り人形のように目を瞑る颯斗。抵抗する気はまったくなく流れに身を任せていた。莉乃の放つ独特なオーラがその場を支配し、狂わせた感覚が広い部屋を狭く感じさせる。
密着する二人の心拍数が跳ね上がる。もう誰にもこの流れを止められない。そう思い始めたときに運命がイタズラしてきた。
最初は気のせいだと思った。
それは小さな音から始まり、何度も繰り返され確実に耳まで届く大きさになる。
幻聴などではなく現実の異音に、颯斗の体が即反応した。
「危ない!」
叫び声を上げながら莉乃に覆い被さる颯斗。その直後だった、天井に吊るされていた照明が牙を剥き襲いかかってくる。直撃コースかと思われたが、運良く照明は颯斗の真横に落下してきた。
「莉乃さんケガはない?」
「う、うん……」
まさに危機一髪だった。少しでも反応が遅れていたら──いや、そうではない。颯斗が莉乃を庇ったから逸れた、と言った方が正しいのかもしれない。カレンが不在だからシズクの力が猛威を奮ったはず。しかしそうなると疑問がひとつだけ残る。
あの日、颯斗が泣き崩れた日もカレンはいなかった。にも関わらず、莉乃には何も起こっていない。それが今日に限って起こるという事は、カレン以外にも要因があるように思える。
だいたい照明が落ちてくるなど異常な話。
しかも莉乃を狙ったかのようにだ。
もう一つの要因はまったく見当がつかない。
ただ確実に言えるのはカレンの正体が何者かということ。冗談だと聞き流していたが、ここに来てその言葉が颯斗に絡みついてくる。確証はないが確信は持てる。真実の扉を開けようとしていると──。
「は、颯斗はん……。あんな、その……何か考え込んでるとこ悪いんやけど、先に退いてくれると嬉しいんよ」
「えっ、退くって……」
もう少しで答えにたどり着く予定が、顔を真っ赤に染めた莉乃に邪魔される。違う、それは表現的に少しおかしい。正しく言うのなら、今の状況を教えてくれたということ。
吐息が肌に触れるほどの距離。
状況を理解した途端に、颯斗の鼓動が大きく跳ね上がる。時間差で顔が赤く染っていき、真っ白となった頭のまま慌てて莉乃から離れた。
「ご、ごめん。助けるのに夢中だったから……」
「べ、別に嫌いやない、ただその……ちょっとビックリしただけや。だから気にせんといて」
最近の自分がおかしいと思っている莉乃。いつからなのか、最初は颯斗など目的達成の手段でしかなかった。そのはずが、今では颯斗が頭の中で暴れ回り、心を大きく揺らがせてくる。でもダメ、勝手に動かれては非常に困ってしまう。
元々莉乃には鈴原家を救うという使命がある。
だからこそ颯斗の恋人──正確には婚約しなければならない。
それが出来なければ明るい未来は永久に来ないのだから。
「分かったよ。それじゃ温泉にでも入ろうか、えっと、入るならやっぱり混浴だよ……ね?」
「ふぇっ!? あっ、う、うん、もちろん混浴、やで、そう混浴……。でないと、ウチだけ除け者にされた気分になるし」
揺らいでいる最中に混浴という言葉で、湧き上がった羞恥心で莉乃の全身が火照りだす。胸の鼓動は収まる気配すらなく、むしろより一層激しさを増していく。
今すぐこの場から逃げ去りたい。それが本音であるも、簡単に逃げ出すわけにはいかない。重くのしかかる責任が気持ちを奮い立たせ、莉乃を前へ突き進ませた。
「仕方ない、僕も覚悟を決めるよ」
温水プールの延長だと思えばいい。納得する理由を見つけると、颯斗は緊張した趣で温泉へ歩いていった。
たどり着いたのは誰もいない脱衣場。今日は満室のはずが異世界へ迷い込んだように錯覚する。単に時間が早いだけなのか、実は満室ではなかったのか、それともシズクの力なのか……。なんにせよ、見ず知らずの人と入るよりはマシだと、颯斗の思考はポジティブへと切り替わった。
「さてと、湯着も着たし混浴の方に向かうかな。ここまで来て混浴じゃない方に行くのも悪い気がするし」
根が真面目なだけに、乗り気ではない混浴へ向かおうとする颯斗。当然ながら他の女性客がいる可能性もある。たとえ湯着を着ていたとしても、恥ずかしさが心の奥底から込み上げてくるのを止められなかった。
しかし、禁断の地へ足を踏み入れた先に見えたのは、誰ひとりいない別世界の風景。それこそ、旅館側から入浴禁止とでも通達されているように感じた。
「颯斗はん来てくれたんや。ウチ、ちょっと心配やったんよ」
異様な雰囲気に飲まれていると、少し遅れて莉乃がやってくる。異世界なんかではなく現実世界だと、颯斗はほんの少しだけ安心する事が出来た。
「ちゃんと約束したからね」
「嬉しい、ウチとの約束を守ってくれてホンマに嬉しいんやで」
「そう言われるとちょっと照れるかな」
「そなら婚約するしかないな。うん、混浴で婚約とか縁起よさそうやし」
「縁起とか関係なさそうだけど。それに婚約はしないからねっ」
「もぅ、颯斗はんのいけずー。って、颯斗はんネックレスつけっぱなしになっとるやん」
「えっ、あー、いつもの癖で外し忘れちゃったよ。ちょっと外してくるね、すぐ戻るからー」
緊張のせいもあったのかもしれない。颯斗は一旦脱衣場へと足早に戻っていった。
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