第12話 旅館へようこそ

 あれから誰にも不幸は訪れていない。颯斗がカレンと莉乃以外との接触を断ったというのが大きい。ただ、二人になぜ不幸が訪れないのか疑問は残る。その理由さえ明らかになれば、普通の生活が送れるはず。颯斗は数日間も悩んだが疑問の解消に至らず。気がつけば、商店街の福引で当たった温泉旅行の日を迎えていた。

 三人で仲良く──とは理想の話で、現実とは残酷なもの。カレンと莉乃は言葉だけではなく、視線すら合わせようとしない。宣戦布告をしたのか分からないが、異様な空気が周囲を漂っているのは確かだった。

「あの……。ふたりとも機嫌が悪かったりする?」

「そ、そんなことあらへんで。颯斗はんと旅行するのに機嫌悪いとかあるわけない」

「カレンだって嬉しいに決まってるよ。楽しみにしすぎて、夜あんまり眠れなかったし」

 カレンの目の下には薄らと隈らしきものが見える。どうやら遠足の前日に眠れないタイプらしく、その姿を想像するだけで颯斗の口元には自然と笑みが浮かんだ。

 絶世の美女──それが第一印象であった。

 近寄るのさえ恐れ多い存在。それが強引に同棲しようとしたり、楽しみがあると眠れないとか、颯斗が持っていたイメージとは遠くかけ離れており、ギャップが大きすぎる。美しさを鼻にかけないのも、カレンの魅力だと思っていた。

「はははは、カレンさんって子どもっぽいところがあるんだね」

「むぅ、そんなことないよーだっ。カレンは大人な女性なんだからっ」

「別にからかってるわけじゃないよ。ただ、初めてカレンさんが可愛いなって思っただけだし」

「──!? な、何を当たり前のこと言ってるの。カレンは宇宙一可愛いに決まってるもんっ」

 颯斗から放たれた不意打ちの言葉は、カレンの顔をわずかに赤く染まらせる。綺麗とは言われ慣れているが可愛いというのは初めて。完全に意表を突かれ鼓動が心地よいリズムを刻む。

 不思議な感覚で悪くはない。

 ずっとこの余韻に浸っていたい。

 だが現実はそう甘くはなく、妄想の世界から引きずり出されてしまった。

「普通、自分のこと、宇宙一可愛い、とか言うか?」

 カレンの暴走に耐えられなかったのだろう。分厚い壁を消し去り莉乃が華麗なツッコミを入れる。颯斗に褒められた事実を認めたくない、その想いが強く機嫌は急降下。黒いモヤが湧き上がり心を支配する。

 しかし当のカレンは、キョトンとした顔で頭上に疑問符が浮かび上がるだけ。

 冗談とでも思われてるのか──事実を言って何がいけないのかと思っていた。

「カレンの美貌に勝てないからって、嫉妬はよくないよ」

「嫉妬なんてするわけないやん。だいたいウチの方が──って、なんでもない。それよりも颯斗はん、カレンちゃんだけ褒めてウチは褒めてくれへんの?」

「えっ、そ、そんなことは……。莉乃さんも十分可愛いから」

「なんか取って付けたような感じや。でもま許したるで、なんせウチは心が大海原のように広いからなー」

「許すも何も……」

 颯斗が釈然としないのも無理はない。流れで褒めるしかなかったのに、褒めたら褒めたでこの言い草。白いモヤに包まれ、苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

 電車を乗り継ぐこと数時間。たどり着いた先に見えたのは、商店街の景品とは思えないほど豪華な旅館。古くはあるが趣のあるしっかりとした造りで、ひと言で表現するなら老舗の一流旅館と言ったところ。圧倒的な存在感に飲み込まれたのは莉乃だけ。驚きのあまりしばらく石化してしまった。

「ウチ、こないな豪華な旅館初めてや」

「この程度で驚くなんて、莉乃さんはお子ちゃまだねー」

「むっ、そんなことないで。ウチは驚いてへんもん」

「ふぅーん、まっ、いいけどね。カレンは颯斗さん以外のことは興味ないしー」

 強がる莉乃──いや、負けず嫌いが表に出たと言った方が正しい。相手が誰であろうと自分の弱みを見せたくない性格だった。それに対してカレンはマイペースを極めた性格の持ち主。相手に合わせることなく、我が道をひたすら突き進むタイプであった。

「せっかく旅行に来たんだから楽しもうよ」

「せやね、颯斗はんのゆーとおりや。ウチ、旅行中は大人しくしておくで」

「カレンはいつだって楽しんでるよー。で、も、今日は颯斗さんのために、さらに特別に楽しんであげるねっ」

「そ、そっか、ありがとう」

 腑に落ちない気がするも、それで楽しめるなら納得するしかない。無理やり気持ちを捻じ曲げ、湧き上がるモヤモヤを心の奥に押し込めた。

 旅館へ足を踏み入れるとそこは別世界。桃源郷という言葉がよく似合い、浮世離れした玄関には仲居が立ち並ぶ。一番奥にいるのは品位が漂う若女将。気品に溢れた美しい笑顔で颯斗達を出迎える。

 初めて体験する独特な雰囲気。それは颯斗ですら飲み込まれるほど。莉乃と同じように一瞬ではあるが固まってしまった。

「「いらっしゃいませ、ようこそ旅館天空の城へ」」

 事前に打ち合わせでもしたのかと思うくらい、お辞儀と挨拶は綺麗に揃っていた。誰ひとりとして乱れる事のない動きは、操り人形と間違えてもおかしくはなかった。

「お待ちしておりましたわ、鬼龍院様。さっそくお部屋へご案内いたしますね」

「は、はい……」

 女将の放つ魅力的なオーラに萎縮する颯斗。案内されるがまま部屋へと向かう。年季の入った廊下ではあるが、歩く度に音はまったくしない。別次元の世界にいるようで、移動中はひたすら無言のままであった。

「ここが天馬の間にございます。お客様にお似合いのお部屋となっております」

「あ、あの……部屋って、ひとつだけなのでしょうか?」

「もちろんでございます。あっ、ご安心くださいませ。部屋で何が行われようと、当旅館のセキュリティーは万全ですので。それと、本日は満室なので部屋をもうひとつ取るのは無理でございますから」

「なっ……」

 若い男女が同じ部屋。しかも逃げ道まで塞がれ、颯斗からは言葉が失われる。何かを想像したようで、顔がわずかに赤く染っていた。

「颯斗はん、顔が赤いけど何を想像しとったんー? ウチは別に……颯斗はんのためなら捨ててもいいかなって思ってるで」

「莉乃さんは何か勘違いしているようで。颯斗さんが想像してたのはカレンとのことに決まってるよっ」

「ふ、ふたりとも何を言ってるのかな。僕は何も……」

「分かっとる、ウチと颯斗はんは以心伝心や。せやから、何も言わんでええよ」

「もぅ、颯斗さんったらっ。照れなくてもいいんだよ?」

「以心伝心じゃないし、照れてもなーーーーいっ!」

 全力否定は本音の裏返し。

 カレンや莉乃の言う通りで、誤魔化す手段として大声を上げただけ。

 恥ずかしさを押し殺し、颯斗は普段の自分を演じるようにした。

「では、わたくしはこれで失礼いたしますね。ごゆっくり楽しんでいってください」

 意味深な言葉を残し、女将は颯斗達の前から去っていく。その後ろ姿は凛として美しさに満ち溢れる。それは時間を忘れ見入るほどであった。

「颯斗さーん、ボーッとしてないで部屋に入ろうよー。えへへへ」

「せやで、ここまで来たら覚悟を決めへんとあかんでー」

「な、何を覚悟するんだよっ! カレンさんは笑い方が怖いんだけどっ」

「大丈夫やって、そんな警戒せんといてやー」

 不敵な笑みのカレンと莉乃に恐怖を感じる。子犬のように小刻みに震え、颯斗は後ずさりしてしまう。壁際まで追い詰められると、強引に手を捕まれ天馬の間へ連行される。

 抵抗しても無駄。

 選択肢は身を任せる事しか出来なかった。

「ひろーい、なんて贅沢な部屋なんだろ。感動しすぎてカレンは涙が出ちゃうよ」

 カレンが驚くのも無理はない。颯斗の家ほどではないが、高級ホテルのスイートルームクラスの広さ。オーシャンビューの窓から見えるのは美しい青色の海。部屋の片隅には高級そうな美術品の数々が置かれていた。

「ほんまやな。こないなところに泊まれるなんて、ぜーんぶ颯斗はんのおかげや」

「ただ運がよかっただけだよ」

 本当に運がよかっただけなのだろうか。シズクの力が誰かの幸運を奪わず発動したのなら、以前カレンの言っていた事が真実味を増す。先日の事故もカレンがいない時に起きた。つまり、カレンに秘密があっても不思議ではない。

 シズクという存在はファンタジーの世界。

 それが実在しているのだから、カレンもファンタジー世界の住人の可能性もある。答えを知ろうとシズクに問いかけるも返事は一切なく、それどころかあの日以来話しかけてこなかった。

 まさか本当に女神なのか──。

 自分の身に起きている事象を考えれば、その可能性が非常に高くなる。そう思った瞬間、颯斗はカレンが本当は何者なのか急に知りたくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る