第11話 不幸の連鎖

「そんなんがあったんやね。でも偶然なんやから、颯斗はんのせいやないんやし、気を落とさんでーな」

「う、うん……」

 下校時に莉乃に慰められる颯斗。その心は闇に支配され、自分を責める事で罪の意識から逃れようとする。こういう時はカレンが真っ先に癒そうとするのだが、この場には颯斗と莉乃の二人のみであった。

「ところでカレンさんはどうしたの?」

「なんか少し用事があるとか言うとったで」

「そっか……」

 カレンの幸運の女神という言葉が颯斗の中で駆け回る。あれは本当の事だったのだろうか。もしくは莉乃の言う通り単なる偶然なのか。もしシズクの力だったのなら……そう思うと颯斗は恐怖に飲み込まれてしまった。

「颯斗はん元気出してーな。ウチは何があっても一緒におるから」

「ありがとう」

 これ以上は莉乃に心配をかけられない。少なくともカレンと莉乃に不幸は起こっておらず、今は考えなくてもいいはず。きっと偶然が重なっただけ。頭の中にそう刷り込ませる事で気持ちを楽にした。

 忘れていた当たり前の日常に感謝しかない。

 それはカレンと莉乃が与えてくれたもの。

 二人がいなかったら、この気持ちは存在しなかっただろう。今さら孤独には戻れないところまで颯斗は来ていた。

「やっぱあれやな、カレンちゃんがおらんと静かやな。ホンマ騒がしいけど、いないと寂しく感じるな」

「そうだね、ちょっとだけ心に隙間が出来た感じだよ。本当にちょっとだけだけど」

「颯斗はんもウチと同じ気持ちなんやな。以心伝心でウチは嬉しいで」

 笑顔の裏は莉乃は緊張でいっぱい。キスという使命が重くのしかかり、今にも潰されてしまいそう。諦めるべきか──否、カレンがいないこのタイミングこそチャンス。この機を逃したら二度と巡って来ないだろう。

 迷っていてはダメだ。

 待つだけでは未来は掴めない。

 なけなしの勇気を振り絞り、莉乃は行動に移そうと決意した。

「そんなにはしゃぐほどかなー。それよりさ、最近、変わった事とかない?」

「な、ないで。何も変わらへんよ」

 何気ない颯斗の言葉が莉乃の心を刺激する。踏み出そうとした一歩を止められ、激しく動揺し心拍数が跳ね上がる。一瞬企みが露呈したのかと思ってしまう。

 心の中を読まれるわけがない。

 落ち着いていれば誤魔化せるはず。

 まだ失敗したとは決まったわけではないのだから、ここで焦るのは自ら敗北を認めるようなもの。勝者しか道がない莉乃にとってそれは致命的。慎重にならなければと、言動だけでなく行動もより一層注意しようと決めた。

「ならいいんだけど」

 莉乃に危害は及んでいないと知り、颯斗の心が安心感に包まれる。これならきっとカレンも大丈夫なはず。確証こそないが本能がそう告げる。忘れかけていた危機感を心に刻みつけ、二度と誰も傷つけないと固く誓いを立てた。

「颯斗はんはいきなり何言うとんやか。あっ、あのお婆さんなんか困ってそうやな」

「えっ……」

 関わればきっと訪れるのは不幸。だが莉乃に言われては、助けるという選択肢しかない。

 独りを望んでいたはずが、いつの間にか莉乃に嫌われたくないという想いが強くなる。いや、莉乃だけではなくカレンにも同じ事が言える。何事も起こらないよう天に祈りながら、颯斗は優しい口調でお婆さんに声をかけた。

「あの、どうかしましたか? 困っているように見えたので」

「実はの、反対側に渡りたいんじゃが、信号が変わるのが早くて渡れる気がしなくての」

「それなら僕が背負って渡りますよ」

「本当ですか。それは助かりますじゃ」

 短時間ならシズクの影響がないはず。根拠などないが願いは叶うと信じるしかない。それにいくら信号があるとはいえ、年配の人が渡るには交通量がかなり多かった。

「任せてください」

 お婆さんを優しく背負い、信号が青になった途端に急いで渡りきった。時間をかけてはダメ。接する時間を最小限に抑え、颯斗はお婆さんの元を離れた。

 これならきっと不幸は起こらない。

 そう思っていたのだが、誠意ある行動に感銘を受けた者が話しかけてきた。

「若いのに偉いなー。ほれ、これでも食いなよ。揚げたてだから美味いぞ」

「あ、あの……」

「遠慮するなって。いいもん見せてもらったお礼なんだからさ」

 中年の男性から受け取ったのは揚げたての天ぷら。拒否権はなくお礼を言うとすぐその場から去ってしまう。これ以上は人と関われない。早く莉乃の元へ戻ろうと横断歩道を走りながら渡った。

 誰にも不幸が訪れなく安心する颯斗。やはり短時間なら大丈夫だと思うも、それは前触れもなくやってくる。耳を塞ぎたくなるような大爆発の音。振り返った先に見えたのは、天ぷらを貰ったあのお店が火柱をあげているところ。しかもそれだけではない、爆風に巻き込まれたあのお婆さんが血だらけで道端に倒れ込んでいた。

 悲鳴が通りを挟んでも聞こえてくる。

 平和な街並みが一瞬で地獄絵図と化す。

 もはや疑いようがない。シズクの力が影響しているのは確か。颯斗が他人と関わったせいで、罪のない人々が犠牲となってしまった。

「そ、そんな……」

 全身から力が抜け颯斗はその場に崩れ落ちた。目の前に広がる絶望が心まで破壊する。限界だった、周囲の音がかき消され、颯斗の中で何かが砕ける音がした。

 人目もはばからず大声で泣き叫び、言葉にならない声を撒き散らす。

 地面に何度も叩きつける拳からは血が流れ落ちる。

 脳裏に蘇るのはあの飛行機事故。これではあの時の繰り返し。警告されていたのに他人を巻き込むなんて愚の骨頂。なぜ学習しないんだ──無力さと悔しさから大粒の涙がこぼれ落ち颯斗は自責の念に駆られる。

 甘かった、浅はかすぎる考えに後悔しかない。

 やはり自分は誰とも関わるべきではないと痛感した。

「颯斗はん、大丈夫? 何があったん?」

「僕にもう関わらないで! これ以上、何も失いたくないんだ!」

 莉乃から差し伸べられた手を振り払い、颯斗の心は闇色へと染まってしまう。光さえ飲み込むほど大きな闇が憎悪を増幅させる。

 憎い、自分が憎くて仕方がない。

 最高の幸せよりも普通の生活がいい。

 他人を不幸へ落とす力など呪いでしかなく、今すぐにでも捨ててしまいたい。しかしそれは叶わぬ夢、もし捨ててしまったら状況が悪化するだけ。生き地獄とはこの事で、女神の雫と出会ったのを颯斗は心底後悔していた。

「落ち着きーな。ちゃーんとウチに説明してな。ウチはどこにも行かへん、颯斗はんの傍を離れたりせんから」

「うぅ……」

「何か事情があるんやろ? ウチが全部受け止めてあげるから。せやから安心して話していいんやで?」

 光すら飲み込む闇を照らす不思議な力。取り乱していた颯斗が莉乃の魔法で冷静さを取り戻していく。巻き込みたくない想いと頼りたい想いがぶつかり合い、颯斗の心を大きく揺さぶってくる。

 事実を話すべきか。颯斗は一瞬迷いを見せるも、澄み切った瞳の莉乃を信じようと決めた。

「僕はね、関わった人を不幸にする存在なんだ。あの事故だって、僕が助けたから起こったんだし。高校に入ってからずっと独りでいようと決めてたんだ。だけど、カレンさんや莉乃さんが近寄ってきて、もしかしたら不幸にしちゃうかもって、怖くて仕方がなかったんだ」

 初めて語られる颯斗の本音に莉乃は黙って耳を傾ける。普通の人ならこのような話を信じるわけない。だが莉乃は同情からではなく本心から信じようとした。

 嘘をついているようには見えない。

 今は颯斗を慰めるのが先決。

 そこに計算高さはなく、あるのは莉乃が持つ優しさのみ。温かい心で包み込むと、冷えきった颯斗の心は徐々に元へ戻っていく。懐かしささえ感じる莉乃の抱擁が、颯斗を絶望の底から救い出した。

「そっか、そうやったんやな」

「僕の話を信じるの?」

「当たり前やん。颯斗はんが嘘つくわけないし。それにな、そこまで怖いんならウチがおまじないしたるで。さっ、目を閉じるんや」

「おまじない……?」

 気休め程度のものだろう。颯斗はあまり深く考えなかった。言われた通りに目を瞑ると、唇に何かが触れたのを感じ取る。気のせいなんかではなく、ハッキリとした感触。甘いチョコレートの香りが颯斗に安らぎを与える。

 この感触には覚えがある。

 少し前にお風呂場で味わったもの。意識が完全に目覚め、現実世界で何が起きたのか、その瞳で見ようとしていた。

 眼前にあるのは赤く染った莉乃の顔。これだけですべてを理解する。重なり合う二つの唇は離れようとしない。その心地よさに颯斗も身を委ね、成り行きに任せたのだ。

「どうや? ウチのおまじない、ちゃんと効いたんやない?」

「う、うん……」

「ファーストキスやから効果抜群やで」

 狙ってのキスではない。颯斗を救うにはこれがベストだと莉乃が判断しただけ。鼓動は激しさを増し、どことなく心地よさを感じる。表には決して出さないが感情に些細な変化が生じた。

 初めて味わう不思議な気持ち。

 もしかすると忘れていただけかもしれない。

 莉乃の頭には既成事実という言葉は存在せず、心から颯斗を助けたいという想いが強かった。

「え、えっと、その……」

「詳しい事情は聞かへん。ただな、ウチは颯斗はんといて不幸になった事はない。むしろ幸せやで。せやから、自分を責めるのはもうやめな?」

「ありがとう、莉乃さん」

 救いの言葉がどれだけありがたいものか。そう簡単には気持ちを切り替えられないが、少なくとも颯斗が闇に堕ちる事はなくなった。壊れた心も莉乃によって癒され今はすっかり元通りになる。覆っていた黒いモヤは完全に消え去り、颯斗は莉乃という光に感謝の言葉しか見つからなかった。

「ほな、帰ろっか。ウチの家に」

「あそこは僕の家なんだけど……」

「いいやない、細かいこと気にしたらあかんで」

 明るく振る舞うも莉乃の心中は穏やかではない。初めてのキス──頭の中で繰り返される魔法の言葉。本当であれば、既成事実のため仕方なくするつもりであった。

 だが、泣き崩れる颯斗を放っては置けなかった。それは本来の目的すら忘れるほど。既成事実なんてどうでもいい。助けたいという想いが湧き上がり、そこからの行動はすべて無意識だった。

 キスとは特別な意味を持つ。

 なぜそれを選んだのか自分でも分からない。

 ただ言えるのは、胸の鼓動が今までで一番心地よい音色を奏でていること。この余韻にずっと浸っていたい。そう思えるほどに居心地がよかった。

 颯斗は目的のためだけの存在。そのはずが莉乃の中で変化していく。それは初めて経験する感情であり、本人もその正体が何か見当もつかなかった。

「細かくないけど、まっいっか。莉乃さんに助けられたから、そういう事にしておくよ」

「さすが颯斗はん、話が分かるやん」

 帰りながら颯斗の頭の中に浮かぶのはあのキスの意味。考えれば考えるほど底なし沼にハマってしまう。だが颯斗はどうしても答えを知りたかった。カレンもそうだったが、キスという行為を軽く見ている気がした。

 そもそもキスとは好き同士がするもの。

 颯斗はそう認識している。

 その理論でいくと、カレンと莉乃の好意は本物となる。

 本当にそのような事が有り得るのだろうか。客観的に見てもカレンと莉乃は美人だ。それも他の女子など足元に及ばないくらいに。その二人がなんの取り柄もない自分に好意を抱くわけがない。疑問が疑問を呼び、最終的には原点回帰へとたどり着く。結局、答えを出せないまま颯斗は自宅へと戻っていった。

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