第8話 料理はどっちが上手か
「やっと着いたー」
「カレンちゃんが颯斗はんにべったりしすぎやから、帰るのに時間かかったやん」
「そんなことないよー、莉乃さんの方が邪魔してたもん」
「まったく……。ふたりとも、夕食で勝負をするんじゃなかった?」
「そうやなー、この際ハッキリさせとこか。ウチの手料理が一番ということを」
「寝言は寝てから言ってよね。カレンが作った料理は絶品なんだからっ」
犬猿の仲なのか、カレンと莉乃はすぐ言い争いへと発展する。これにはさすがに颯斗も困り果て、話題を上手く料理対決へと逸らした。どうやら本気で忘れていたようで、二人は慌ててキッチンへと向かい料理に取りかかった。
ひとり残された颯斗は、一等がなぜ当たったのか考え始める。単に運がよかった。というだけならいいが、シズクの影響も否定は出来ない。ならば誰の幸運を奪ったのだろうか。
カレンと莉乃は変わりないように見える。
しかし他に奪われそうな人は思いつかない。
答えが迷走する中、颯斗はある可能性に気がつく。それは以前カレンが言っていた事だ。ただの戯れ言だと思っていたが、現状を考えると真実味が増してくる。
幸運の女神──いや、この現代社会において女神など架空の存在。いるはずがないと一瞬思うも、シズクという得体の知れない存在がいるのも事実だ。つまり、女神という存在が実在する可能性もある。
シズクは現代科学では説明できない代物。
だからと言って女神まで存在するとは眉唾モノ。
偶然を信じるほど颯斗はお気楽ではない。あの一等はシズクの力だと確信し、なぜ誰の幸運も奪っていないのか分析を始める。思考が迷宮の奥深くまで進んでいると、一筋の光が颯斗を出口まで導こうと姿を現す。心を引き寄せられる不思議な光。誘われるように道を辿って行くと──。
「颯斗はんお待たせや、愛情たっぷりのハンバーグやで」
「愛のスパイス入りカレーの完成だよー。カレンが食べさせて、あ、げ、る」
答えの直前で満面の笑みのカレンと莉乃が声をかけてきた。
「ふたりともありがとう。って、もしかしなくても、勝負の判定は僕がするの?」
「もちろんだよー。颯斗さんなら、カレンの勝ちって言ってくれるよねっ」
「何言うてんねん、颯斗はんは必ずウチを選ぶに決まってるやん」
「わ、分かったから、冷めないうちにご飯にしようか」
今は答えを求めるのはやめよう。熱いバトルよりも、目の前に出された温かい夕食が優先。争いになる前に流れを変え、穏便に済ませられれば平和で終われる。それが颯斗の望む形であった。
テーブルに並べられた夕食は至高の輝きを放つ。
部屋に充満する香ばしい匂いが食欲を掻き立てる。
その魅力に抗うのは不可能で、颯斗は吸い寄せられるようにイスへ座った。
「いい匂いだね、どれも美味しそうだよ」
「それはきっとカレンのカレーだねっ」
「冗談にしては笑えへんで。どう考えても、ウチの自信作の匂いやし」
「ケンカはそこまでで!」
「そやなー。温かいうちに颯斗はんに食べてもらへんと」
「それじゃー、カレンが口移しで食べさせるねー」
「そこは自分で食べるから、気持ちだけ受け取っておくよ」
苦笑いを浮かべながらも、颯斗の心はどこか嬉しそう。自然と表に出た表情がすべてを物語っている。これは颯斗が捨てようとしたモノ。不運を与えるという魔物がいる限り決して得られないからだ。
今のところ、その魔物がカレンや莉乃に牙を向いていない。現段階では不幸が襲うことはないであろう。推測でしかないが、偶然という言葉ほど信用できないモノはないのだから。
「ところで、勝敗は僕が決めちゃっていいんだよね?」
「もちろんや、ウチは颯斗はんに任せるでー。せやけど、勝つのはどう考えてもウチやしな」
「カレンも颯斗さんの独断と偏見で決めていいと思うー。もちろん、カレンの料理の方が勝つと分かってるけどねっ」
勝負というからには決断する必要がある。勝者はひとりだけ、どちらかしか選べない。問題は選んだ時点で必ず揉めるということ。
困り果てる颯斗。
何か穏便に勝者を決められれば──思考の海へと潜り答えを探し始める。どこかに求めるモノがあるはず。諦めずに探し続けていると、光り輝く宝石を見つけた。
「勝敗なんだけど、ひとつ相談があるんだ」
「颯斗はんどないしたん?」
「カレンはどんな相談でも乗るよー」
「あのね、勝者を選ぶときなんだけどさ、ふたりに目を閉じてもらって、僕が肩を叩いた方の勝ちでいいかな? もちろん、叩かれた方は内緒にして欲しいんだけど」
「んー、ウチはかまへんよ」
「カレンもそれで大丈夫だよっ。それにしても、敗者である莉乃さんに気を遣うなんて優しすぎだね」
卑怯といえばそれまで。だがこれこそ平和的に終われる唯一無二の方法。勝者となった者を知るのは颯斗と本人だけ。それを上手く利用しようとしていた。
そんな事は露知らず、余裕の笑みで莉乃を挑発するカレン。その余裕はどこから湧いてくるのか、本人はすでに勝利を掴み取っているようであった。
「むぅー、ウチは負けへんもん。負ける要素が見当たらへんし」
強気なのは莉乃も一緒。負ける気などサラサラない。この程度の事で絶対に敗北の二文字を刻むわけにはいかなかった。
大丈夫、必ず勝てるはず──。
莉乃にはどうしたも負けてはならない理由がある。それはとても大切な事で、颯斗にしか解決できない事情。手段を選んでいる余裕はなく、どうしても婚約まで話を進めなければならない。それが出来ないのであれば、待ち受ける未来は絶望しかないのだから。
「それじゃ話も纏まったことだし、今度こそ夕食にしようか」
「そやな、颯斗はんが食べてくれへんと始まらないし」
「だよねー、でもカレンのカレーは、ひと口食べるだけで天にも昇る気分になるよっ」
「それは美味しいって意味でいいんだよね……?」
これは念のための確認。あれだけ自信があると言っていたのだから、天へ召されるほどの不味さではないはず。カレンを信じるしかない。颯斗は怯えながらも口の中へ運んだ。
絶品の料理とはまさにこのこと。
それこそ、今まで味わったどの料理よりも美味しさを感じる。
舌が肥えている颯斗を満足させるには十分であった。
「美味しいよ、うん、すごく美味しい。カレーはコクがあって最高だし、ハンバーグなんて肉汁が溢れてるもん」
「そやろ? ウチの愛情がつまってんねん、たくさん食べてーな」
「先に褒められたのはカレンの方だよ? でも、カレンは寛大な心を持ってるから、莉乃さんが負け犬だって分かってても笑わないからねっ」
カレンの挑発はわざとなのか、それとも何も考えていないだけなのか。答えは至ってシンプル。そもそもそこまで計算高いはずがなく、単に本能の赴くまま口走っただけだった。
「カレンちゃんはなに言うてんねん。さっ颯斗はん、こないな冗談はほっといて、ウチの手作りハンバーグをたくさん食べてーや」
「あーっ、それはずるいよー。それならカレンもーっ」
反撃と言わんばかりに、颯斗の口元へハンバーグを運ぶ莉乃。満面の笑みが幸福感を滲ませる。もちろんカレンも黙っているはずがない。対抗心を剥き出しにし、莉乃に負けずと颯斗にカレーを食べさせようとする。
美少女ふたりからのサプライズで颯斗の顔は真っ赤。
目を瞑り勢い任せにひと口ずつ味わってみる。
だが、このような状況では味が分かるはずない。
激しくリズムを刻む鼓動は、リビングに響き渡るほどの大きさ。緊張と恥ずかしさが混ざり合い、誰もが羨むシチュエーションに苦痛さえ感じてしまう。
ダメだ、雰囲気に飲まれてはいけない。この程度の壁は軽く乗り越えられるはず。暗示のように繰り返し、颯斗は心を落ち着かせた。
「えっと、あの、気持ちは嬉しいんだけど、その……ふたりもちゃんと食べないとねっ?」
「ウチは颯斗はんが満足してくれたら、それだけで幸せや。でも心配かけとーないから、ちゃんと食べるでー。だから安心してーや」
「それはカレンだって同じだもん。だ、か、ら、今度は颯斗さんが食べさせて?」
カレンは静かに目を閉じ、颯斗からカレーが運ばれてくるのを待っていると──。
「なに調子に乗ってるん。そないなこと、ウチが許すわけないやろ」
「いったーい」
やってきたのは莉乃の容赦ないチョップ。ツッコミのレベルを遥かに超えた威力で、カレンが反射的に頭を抱えるほどの痛さ。
自然と瞳が滲み出す。
普通ならここで引くものだが、そこは転んでもタダでは起きないカレン。
この苦痛をチャンスに変えるべく、精一杯の演技で颯斗に甘える作戦を取った。
「颯斗さーん、莉乃さんがいじめてくるよー。こんな可哀想なカレンを慰めて──」
「どさくさに紛れて、ウチの颯斗はんに何しようとしてるん」
あと一歩足りなかった。寸前のところで莉乃に髪の毛を引っ張られ、颯斗に抱きつくという目論見が阻止される。悔しさが顔から溢れ出ており、頬っぺたを膨らませ莉乃に猛抗議した。
「もぅ、いきなり何するのーっ。綺麗なカレンの髪の毛が抜けちゃうじゃないっ。この世界で唯一無二の髪なのに! 扱いは慎重にしてほしいんだけどー」
「自分で綺麗とか普通言うもん? た、確かに綺麗やと思うけどな」
「でしょー? カレンの髪質は世界一なんだよっ」
ドヤ顔を決めるカレンに莉乃は呆れてしまう。やり取りするだけ時間の無駄……。そう思い、自らの意志で醜い争いに終止符を打ったのだ。
「ほんで颯斗はん、どっちの料理が美味しかったん?」
無事かどうかはさて置き、夕食を食べ終わった瞬間に莉乃から勝敗を求められる。それに反応しカレンが負けん気を出してきた。
「もちろんカレンのに決まってるよーだっ」
「ふたりとも忘れてなかったのね……。それじゃ約束通り──」
「そやな、約束通りウチの勝ちってことやな」
「そうじゃなーーーーーいっ! 目を瞑るって約束でしょ」
「軽いジョークや、そんなに怒らんといてー」
笑いながら颯斗の肩を軽く叩く莉乃。冗談だと言いつつも半分は本気であった。表面上は普段と変わらないものの、胸の内は計り知れないほどの緊張感に襲われる。跳ね上がる心拍数を隠しながら、カレンと同じように顔を伏せて光を遮断した。
暗黒の世界が恐怖心を煽ってくる。揺るぎない勝利の自信が不安へと変わり、両者の鼓動は限界まで激しくなっていく。あとは結果を待つのみ。カレンと莉乃は颯斗から伸びる手を静かに待った。
わずか数秒が何時間にも感じる。
激しくなった鼓動は、リビングに響き渡りそうなくらいの大きさ。
静寂の中で聞こえるその音は不安と期待を与えた。
審判が下されるのを待ち焦がれていると、莉乃の肩に確かな感触が伝わる。勝った、勝者は自分でありこれで目的達成に一歩前進。すでに冷たい不安は消え去り、心を照らす温かい光に癒されていた。
そう、選ばれたのは莉乃。そのはずだったが、勝利を掴んだ者がもうひとり。
触れられた瞬間に思わず歓喜の声を上げそうになる。
実力の差を見せつけたと、カレンは暗闇で微笑みを浮かべた。
この流れで颯斗を夢中にさせれば、目的が早く成し遂げられると喜びが心を支配した。
何を隠そう、カレンもまた颯斗に肩を叩かれたのだ。これは幻覚でも妄想でもなく、紛れもない現実世界での出来事。勝者が二人もいるとは一体どういう事なのか。答えは実にシンプルなもの。単に颯斗が二人の肩を同時に叩いただけ。
普通ならこのような古典的手法に騙されるはずがない。
だが今の二人は完全に浮かれきっており、颯斗の単純な罠に気づけなかった。
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