第6話 第二の刺客
「そ、そんなことないよ。だいたい、カレンさんはどうして一緒に入りたがるんですかっ!」
「うーん、それは秘密かなー。それよりさ、そのネックレスって──ううん、というより、お風呂に入るのに外さないんだねー」
誤魔化すような颯斗の質問を華麗に受け流し、カレンは疑問に思っていた事を投げかける。単なる好奇心からというよりも、先ほどとは違って意味深な視線をネックレスに向けていた。
「えっ、これかい? うん、これはどんなときでも身につけないといけないんだ」
「へぇー、何か宗教的なものとか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……。あえて言うなら、おまじない、かな」
「おまじないねぇ……」
含みのある言い方は何かを考えているように見える。颯斗の怪しげな視線に気がつくと、不敵な笑みを浮かべながらまさかの行動に出た。
「ち、ちょっと、カレンさん、どうして湯船なんかに……」
「別にいいじゃないー、広いんだしカレンがいても邪魔にはならないでしょっ」
「それはそうなんだけど……。って、わざわざ背中にくっつかなくても、他にも場所は空いてるじゃない」
想定外すぎる上に大胆なカレンの行動。颯斗が照れるのも無理はない。水着こそ付けているが、今のふたりは互いの背中がくっついている。正確に言うならば、カレンが颯斗の背中に寄りかかる、との表現が正しかった。
温かいのは湯船に入っているからではない。
カレンの体温が直接伝わり、颯斗の鼓動は激しいリズムを刻む。
「カレンはここがいいのー。そ、れ、と、も、カレンのことが嫌いかな?」
「そういう問題じゃなーいっ!」
気づかれては何かと面倒。颯斗は大声を上げて、鼓動からカレンの意識を遠ざける。掴みどころのないカレンには困惑するばかり。いったい何がしたいのか、目的すらまったく見えず、思い切ってカレンに聞くことにした。
「カレンさん、何か目的とかあったりするんですか? だって僕は、なんにも取り柄がないんだよ」
「本当にそう思うー? カレンはねぇ、単に颯斗さんが好きなだけだよっ」
「そんなこと言われても……何かを誤魔化してるだけじゃ……」
「なるほどー、カレンを疑ってるのねっ。でも安心していいよ? カレンはウソなんてつかないから。そうだ、証拠を見せてあげる」
「証拠っていったいどうやって……」
本当に好きというのをどうやって証明するのか。不思議に思いながらつい振り向いてしまう颯斗。まるで狙っていたかのような絶妙のタイミング。甘い香りと確かな感触が唇に伝わってくる。
自分の身に何が起きたのか一瞬理解できなかった。
触れているのはカレンの柔らかい唇。水面に波紋を作るほどの鼓動が時間差で高鳴る。なぜなのだろう、会って間もないのに唇を許すなど正気の沙汰ではない。
分からない、理解するのが難しすぎる。
颯斗の頭はパンク寸前であった。
「ふふふ、これが証拠だよ。カレンの初めてのキスだからねっ。それじゃ先に出るね」
虚しく浴室に響き渡るカレンの声。近くで聞いていたはずの颯斗にはまったく届いていない。思考が真っ白となり、時間までもが停止してしまう。
何も考えられない。
言葉がすべて消え去り、頭の中が空っぽとなる。
初めてのキス──ようやく浮かんだのがその言葉。それは颯斗にとっても同じであり、空っぽの頭の中をカレンという存在が埋め尽くす。他の事はすべて拒絶され、いつ風呂から出たのか、どうやってベッドで眠ったのか、まったく覚えていないほどであった。
「おはよう颯斗さん、昨日はちゃんと眠れたかな?」
「カレンさん、おはよう……」
目の下に隈は睡眠不足の証。普段通りのカレンとは違い、颯斗は昨日の出来事が忘れられずにいる。
あのキスは自分の妄想だったのかもしれない。
もしかすると夢の世界での出来事という可能性もある。
現実との境界線が曖昧となり、徹夜に近い状態で清々しくない朝を迎えた。
「その様子じゃ、あんまり眠れなかったみたいだねっ。あっ、そっか、カレンみたいな美少女と一緒だったから、色々と妄想して眠れなかった感じなのかな」
「ち、違います! 僕は別に妄想なんて……」
「もぅ、颯斗さんったら、耳まで真っ赤だよー。ふふふ、可愛いねー」
「……そんなことより、早く支度しないと遅刻しちゃうじゃない。カレンさん、朝ごはんはパンでいいよね?」
「カレンに嫌いなモノはありませーん。だからパンで大丈夫だよー」
会話の主導権は完全にカレンが持っている。取り返さなければ何が起こるか予想不可能。負けず嫌いの性格も合わさり、遅刻という切り札で主導権を取り戻す。
朝食を済ませるスピードはいつも以上。
本当に遅刻でもしたのなら、クラスメイトにどう思われることだか。
いや、孤独を選んだのだからそれは些細な問題。なぜその思考に至ったのか、颯斗は疑問を浮かべながら学校へと急いだ。
教室で二人を待ち受けていたのは熱い視線。クラスメイトから一斉に注がれ、様々なオーラが教室に充満する。ドス黒いオーラは男子生徒からで、羨ましさという嫉妬から。女子生徒からは黄色いオーラが飛び交い、何やら色々と想像しているようであった。
しかし、たったひとりだけ別のオーラを放つ少女が存在した。颯斗とカレンが作り出す空間に堂々と割り込み、臆することなく自らをアピールし始めた。
「初めまして颯斗はん。ウチ、鈴原莉乃と言うねん。少し話したいことがあるんやけど……」
話しかけてきたのは、特徴的な関西弁風の喋り方の莉乃という少女。薄茶色のボブヘアーがよく似合い、可愛さが全身から溢れ出ていた。
「えっと、鈴原さん初めまして。それで話したいことって何かな?」
「ウチのことは、莉乃って呼んでもろてかまへんでー。むしろ、莉乃って呼ばへんと、返事せんからなー」
「わ、分かりました……。それで話というのは……」
「あんな、ぶっちゃけ、ふたりは付き合ってるん?」
「カレンと颯斗さんはラブラブ──」
「な、カレンさん、何を言おうとしてるの!」
颯斗はカレンの口を慌てて塞ぎ暴走を止める。言葉が外に出るのだけは回避必須。これ以上ややこしい事にしたくはない。頭の中で風呂場でのキスシーンが浮かぶも、邪念を振り払い跳ね上がりそうになる鼓動を抑えた。
「ふがふが……」
「カレンさんと僕は付き合ったりしてないよっ。単に部屋を貸してるだけなんだから」
「そうなんね、それなら安心やー。まだウチにもチャンスがあるってことやし」
「莉乃さん……?」
「なんでもあらへん。それでな、ちと相談なんやけど、ウチも一緒に住みたいねん」
この脈絡のない流れはデジャブ。鮮明に蘇るカレンとの出会いが颯斗を不安にさせる。莉乃という美少女まで一緒に住まわすわけにはいかない。
なぜなのか、なぜ自分に人が寄り付いてくるのか。
相手が不幸になるのを恐れている。
だからこそ人との関わりを断とうとした。そのはずなのに──カレンだけでなく莉乃という存在までもが、何かに導かれるように颯斗へ近づいて来る。二日連続での同棲希望者が現れるなど、偶然にしては出来すぎもいいところ。
これはシズクの持つ幸運の力なのか、もしくは運命なのか、絡まった糸が颯斗の思考を混乱させた。
「え、えっと……。それは色々と問題があると思うんだけど」
「なんでやん、だって、カレンちゃんは一緒に暮らしとるんやろ? しかも恋人関係でないとか。それなら、ウチが一緒に住んでも問題なんかあらへんはずや」
「うっ、それはそうなんだけど……」
「それにな、ウチは颯斗はんのことが気になってるんよ。せやから、お願いや一緒に住まわせてーな」
「で、でも、莉乃さんの両親がなんて言うかだし」
「そこは大丈夫や、両親には了解を取ってるん。それとも、カレンちゃんはおーけーで、ウチはあかんの? そんなこと言うたら、ウチ泣いてしまうで」
本当に泣かせてしまったのか。目をこすりながら颯斗にお願いする莉乃。演技なのか不明であるが、乙女の涙を見せられては無下に断るわけにはいかない。
それがたとえウソ泣きだろうとも。
大きなため息をこぼし、颯斗は莉乃の頼み事を叶えることにした。
「わ、分かったよ。だから、その……泣くのはやめてね」
「ホンマに!? おおきに颯斗はん、ウチ、嬉しくて涙が出そうや」
「そんな大げさな──」
本能に従い颯斗へしなだれかかる莉乃。
遠くからでは告白に成功したように見えた。
抱き合う二人の姿を目撃した者達からどよめきが巻き起こる。黄色い声援を上げる女子生徒。対して男子生徒達からは、悲痛な叫びと恨みの眼差しが颯斗へ向けられる。
カレンだけでなく莉乃にまで言い寄られるとは、嫉妬が無尽蔵に増大していった。
「あのー、莉乃さんだっけ? 颯斗さんから離れてくれないかな?」
「そんなこと、カレンちゃんには関係ないやん。恋人同士というわけじゃないんやし? 颯斗はんに何しようがウチの勝手やない」
「颯斗さんはカレンだけのモノだよー。他の人が入る余地なんて、あるわけないじゃん」
周囲の目など関係ない。火花を散らし睨み合うカレンと莉乃。その光景はドロドロした三角関係そのもの。一触即発の空気の中、先制攻撃を仕掛けたのは莉乃であった。
「ははーん、ウチ分かったで。カレンちゃんは妄想癖があるっちゅーことやな。いわゆる中二病やったっけ? あれを発症させとるんやなー」
「なっ、誰が中二病だってー? カレンはそんなんじゃないよーだっ。だいたい莉乃さんだって、あざとすぎる態度で颯斗さんを誘惑してるじゃないのっ」
「ウチは誘惑なんてしてへん。ウチがそれだけ魅力的ってことや!」
美少女達のバトルはヒートアップする一方。カレンが言い返せば負けじと莉乃もさらに言い返す。終わりなき戦いの幕開けかと思われたが、予鈴という絶対強者によって終焉を迎えた。
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