第5話 奇妙な同棲

「あのー、颯斗さん、大丈夫ですかー? もしもーし、カレンの声が聞こえてますかー?」

「えっ、あっ、う、うん、大丈夫、だよ。想定外の返事だったからボーッとしちゃったんだ」

「そっかー、それなら平気だね。颯斗さんが気にしてることも解決したし、あとはー、ご飯食べて一緒に寝るだけだね。あっ、その前にお風呂も入らないと、颯斗さんも一緒に入る?」

「──!? 一緒にって……」

 やっと元に戻ったと思ったら追撃される。女神の笑みが再び到来し、大胆発言とコンボとなって、颯斗の思考を硬化させてしまう。

 頭の中が白い草原となり何も浮かばなくなる。

 妄想の世界へと逃亡するが、そこにはカレンと一緒に入る姿がある。徐々に顔が赤く染まり、急いで現実世界への帰還を試みた。

 目の前に現れるカレンの顔。

 入浴シーンが鮮明に蘇り、颯斗は反射的に目を逸らす。この流れは危険だと本能が告げるも時すでに遅し。イタズラ顔へと変化したカレンから温かい眼差しを向けられた。

「赤くなっちゃって、颯斗さん可愛いー。何を想像したのかなー?」

「な、何も想像してないよ。お風呂なら……先に入っていいからっ。その間に僕は夕食の準備するからさ」

「へぇー、そっかぁー、美少女の残り湯を堪能したいんだねっ。いいよ、颯斗さんならカレンの残り湯を堪能させて、あ、げ、る」

 唇に当てた人差し指が妖艶さを演出する。魅力的な瞳が颯斗の心を大きく揺さぶってきた。時間感覚さえ狂わせる美しさ。この世界には絶対存在しないと確信できるほどであった。

「そ、そんな冗談は心臓に悪いからっ」

「えー、半分は本気なのにー」

「と、とりあえず、夕食の支度するから、カレンさんは先にお風呂入ってねっ」

 逃げるようにその場から立ち去る颯斗。

 胸の鼓動が激しいダンスを披露し、謎めいた音色を奏でる。

 初めて味わう奇妙な感覚。羞恥心とは異なるモノで戸惑いを隠せなかった。

「お風呂気持ちよかったー、颯斗さんも一緒に入ればよかったのに」

 冷静を取り戻したばかり。そのはずが、リビングに漂う甘い香りのせいで心が大きく揺れ動く。意識するなというのが無理な話。それほどまでに風呂上がりのカレンは魅力的であった。

「ぼ、僕はひとりでゆっくり入りたい派だからね。でも、満足してくれたのなら、嬉しく思うよ。さっ、夕食の準備も終わってるから、一緒に食べようか」

「仕方ないなぁー、一緒にお風呂に入るのは諦めて、ご飯は食べてあげよう」

「別に食べなくてもいいんだけどー?」

「もぅ、颯斗さんのいけずー、そんなツンデレはいらないんだからっ」

「今の流れで、どこにデレ要素があったって言うのっ」

 大きな声でのツッコミは動揺を誤魔化すため。それでも心の奥では嬉しさを感じている。

 孤独の道はシズクとの出会いがあったから。

 一生孤独に耐え抜こうと決めたはずなのに、カレンとの出会いが颯斗の運命を大きく変えた。やはり他の人と普通に話せるのは何よりも嬉しい。気がかりなのは、カレンの身に不幸な出来事──つまり、命に関わる危険が襲いかからないかだ。

 ただ、どこまで本気にしているか分からないが、孤独を選んだ理由は話してある。それでも一緒にいてくれるのは、頭で否定しても心は素直に喜びを感じていた。

「えー、照れなくてもいいのにー」

「照れてなんて……ないよ」

「ふぅーん、まっ、いっか。せっかく愛情込めて作ってくれたご飯が冷めちゃうから、いただきましょうよー」

 言葉に深い意味はないかもしれない。たとえ軽いジョークであっても、冷えきった颯斗の心は温かくなる。それこそ自然と笑みがこぼれるほどに。ひとり寂しく歩く道は、カレンという存在が変えてくれた。

「そ、そうだね。カレンさんの口に合うか分からないけど」

「大丈夫ですって。だって、颯斗さんがカレンのために作ってくれたんだから、美味しいに決まってるもんっ」

「いや、カレンさんのためだけじゃないんだけど……」

 苦笑いを浮かべるもイヤな感じは皆無。

 むしろこの感覚がくすぐったいくらい。

 照れを隠しながら、颯斗はゆっくりとイスに座った。

「んーっ、この唐揚げはジューシーで絶品だよっ。それにこっちのポテトサラダもっ! 颯斗さんは料理上手なんだね」

「そう言ってくれると嬉しいよ。でも、普通に作っただけなんだけどね。昔、母さんに教えてもらったレシピなんだ」

「へぇー、それじゃ、颯斗さんのお母さんも料理上手ってことだね。いいなー、カレンも颯斗さんのお母さんに料理を教えてもらいたいくらいだよ」

「そ、そうだね……。でも、お母さんと言っても──」

 今の母親は実母ではない。伝えるべきか颯斗の中で迷いが生じる。カレンとは出会ったばかりであり、自分の内情を話すのには抵抗があった。

 数秒の沈黙を挟み、颯斗はこの話題から離れる選択を選んだ。

「それよりさ、カレンさんの親は、僕と一緒に住むことに反対しないの?」

「んー、カレンの家は放任主義なんでー。そ、れ、に、問題とか一度も起こしてないし、勉強だって学年トップなんだからー」

「まだ試験すらしてないのに、なんで分かるんだよ」

「それはねー、藍染高校の転入試験で満点だったからだよー」

「えっ……。満点って……」

 私立愛染高校は超がつくほどの名門校。難易度は言うまでもなくかなり高い。しかも入試で五位以内であれば、特待生扱いとなり学費は全額無料、おまけに毎月十万円の特待生手当まである。その難関校の転入試験で満点など不可能に近く、長い歴史の中でもカレン以外には存在しなかった。

 颯斗も勉強は得意な方。それでも満点を取るだけの自信はない。衝撃的なカレンの実力に、颯斗は目を見開き固まってしまった。

「別に大したことないし、颯斗さん驚きすぎだよ。自由でいられるのは、カレンがそれだけ信用されてるってことなんだー」

「……驚くに決まってるじゃない! だって、あの難しすぎる試験で満点だなんて」

「それじゃ、一緒にお風呂に入る?」

「な、なんでそうなるんだよ! 話が飛びすぎだよカレンさん」

「えー、この流れならいけるかなって」

 小悪魔顔で颯斗の眼前に突如現れるカレン。軽く出した舌が可愛さをアップさせる。誰でも虜にすほどの威力があり、その中には孤独を選んだはずの颯斗も含まれる。

 自然と跳ね上がる心音は、リビングに響くくらいの大きさ。

 感情がここまで揺らぐのはいつ以来だろうか。

 ダメ、これではせっかくの決意が台無し。だがいくら否定しようとも、カレンの持つ魅力がすべてを肯定させる。押し込めなければ──浮き上がろうとする感情に重りをつけ、颯斗は心の奥深くへと沈めていった。

「そんなの無理に決まってるでしょ。食べ終わったから、僕はお風呂に入るけど、絶対覗いたりしないでよねっ」

「はーい、カレンは覗いたりしませーん」

 本来ならこのやり取りは立場が逆のはず。それなのに、今この場を支配しているのはカレン。口元に薄ら浮かんだ笑みが怪しさを演出する。お風呂へと消えて行く颯斗を見つめる瞳は、どことなく何か企てているようであった。

「それにしても、カレンさんはいったい何を考えてるんだろ」

 湯船に浸かりながら怒涛の一日を振り返る颯斗。カレンとの慌ただしい出会いが脳裏に浮かび上がる。疲れこそしたが懐かしさを感じる楽しさもあった。極上のお湯がいいアクセントとなり、身体を内側から癒してくれる。

 すでに天国かと思うほどリラックスする心。

 心地よい感覚が意識を奪い去る。

 だからこそ気づけなかった。ドアに忍び寄る不審な影に……。

「あれはなんだろ。もしかして、気持ちよすぎて幻でも見えてるのかな」

 ドア越しに浮かび上がる謎のシルエット。幻覚だと思い込みその存在を否定する。きっと温かい水が見せたものであろう。楽観的な思考が支配するも、それは誤りだとすぐに気付かされた。

「颯斗さーん、カレンもお風呂入りますねー」

「なっ……」

 何が起きたのか一瞬理解できなかった。

 瞳に映り込むのはバスタオル一枚で突っ立ってるカレンの姿。

 白く透き通る柔肌が限界まで披露され、その美しさに思わず息を飲み見入ってしまう。理性を保たねば──今にも落ちそうなバスタオルが、颯斗の顔を真っ赤に染め上げた。

「覗かないって約束したじゃない」

「はい、だからカレンも、もう一度お風呂に入ろうかなって。そうすれば覗いたことにはならないからねっ」

 辛うじて保っている理性で言葉を振り絞るも、胸を張りながらドヤ顔決めるカレンには届かない。むしろ屁理屈で反論してくる。羞恥心というモノはカレンの中に存在しないのか。颯斗がそう思った瞬間、バスタオルの結び目がほどけ、そのまま床へ吸い寄せられる。

 ここは浴室であり服を着ているはずがない。

 絶世の美女の一糸まとわぬ姿が目の前に現れようとする。

 さすがに見るわけにはいかず、颯斗は咄嗟に両手で視界を遮った。

「か、カレンさん、早くバスタオルを巻いてよっ」

「えー、お風呂なんだからこのままでいいじゃないっ」

 必死に声を荒らげる颯斗。しかし当のカレンは余裕綽々らしく、優しい力で颯斗の腕を掴みゆっくり顔から離そうとする。まるで魔法のような不思議な力。逆らうのは無理であり、自然と両手が顔から離れてしまう。

 絶対に見てはいけない。

 興味はあるが人としての道徳的問題だ。

 このままでは償いきれない罪を背負うことになる。そこで颯斗は最終手段でこの危機的状況を切り抜けようとした。

「僕は目を瞑ってるから、今のうちに早く……」

「むぅ、仕方ないなぁ。そ、れ、じゃ」

 目を瞑るという古典的な手法。悪あがきかもしれないが、これでカレンの裸を見なくて済む。あとは素直に出ていってくれればいいだけ。

 現実とはそこまで甘くはない。

 あのカレンが素直に引き下がるだろうか。答えは否、是が非でも颯斗の瞳にその姿を映させようと、究極の反撃に打って出た。

「ちょっと、何をするんですかっ!」

 耳元を掠めるカレンの生温い吐息。ゾクゾクする感覚が全身を駆け抜ける。体の反応は素直なもので、閉じたはずの瞳が反射的に開き光を受け入れてしまった。

「やっと目を開けたねー」

「えっ……」

「えへへ、カレンの水着姿はどう? あー、もしかしてー、裸だと思ったのかな。颯斗さん、顔が真っ赤だよー」

 目の前に広がるのはカレンの神聖な裸のはずだった。それが水着という露出度の高いものを着ていたなど誰も予想が出来ない。だが問題はそこではない。肌面積が思ったより大きく完熟トマトのように颯斗の顔が真っ赤に染まる。

 間近で見る美しい曲線美。

 目の保養にしては刺激が強すぎる。

 完全にカレンの思惑通りの反応をしてしまい、悔しさと恥ずかしさが入り交じり複雑な気持ちであった。

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