第4話 謎の美少女

 月日が流れるのは思ったよりも早い。幸せな時間は終わりを告げ、高校進学と同時に颯斗はひとり暮らしを始める。約束を反故にするような真似はしない。それこそ義父達に危害が加わるからだ。

 本当の事を打ち明けられなかったが、義父達は鬼気迫る迫力に何か事情があると察し、不憫な生活にならぬよう、高級マンションを手配してくれた。もちろん、颯斗を心から愛し信用しているのは変わらなかった。

「ここが僕の新しい家……。なんというか、使いこなせるかな……」

 颯斗が驚くのも無理はない。

 リビングは普通の一軒家の敷地よりも広い。

 それ以外にも大きめの部屋が三つもある。

 おまけに最上階からの景色は、絶景と言わんばかりに美しかった。

「明日から学校か……。人と関わるのをやめ、独り静かに高校生活を送るかな」

 もう誰も不幸にさせたくない。たとえまったく知らない人だろうと、自分のせいで死の烙印を刻ませるのは、罪悪感で押しつぶされるに決まっている。

 華の青春時代は孤独という寂しいモノを選択。

 女神の雫によって一番の不幸を被ったのは颯斗自身である。

 過ぎ去った過去を悔やんでも仕方がない。新しい高校生活に向けての準備が終わり、颯斗はベッドに飛び込みそのまま夢の世界へ旅立つ。そこでは友達に囲まれ楽しい日々の繰り返し。いつの日か現実になると心から願っていた。

 心とは違い空は気持ちよすぎるくらいの晴天。天が入学を祝福しているようで、浮かれる新入生が校内を賑わせる。鷺ノ宮高校に新しい風が吹く中、颯斗だけは別世界にいた。

 入学式はつつがなく行われ、颯斗は配属先のクラスへと足を運ぶ。普通の高校生であれば、新しい友達を作ろうとするはず。

 だが、明らかに雰囲気の違う者がひとり。陰キャ丸出しとも言うべきか、静かに自席に座ると誰とも話そうとはしなかった。そう、その陰キャとは颯斗である。話しかけられても無視の一択。いつの間にかクラスでは、感じ悪い金持ちの息子と噂された。

 これは颯斗が自ら望んだこと。

 他人を巻き込まないようにした結果だ。

 命の危険に晒すくらいなら、自分の悪口を言われた方がマシ。このまま予定通りの高校生活が始まると思っていた。

 しかし築き上げたポジションは、たったひとりの少女によって崩される。

「今日転校してきた神崎カレンと言います。みなさん、よろしくお願いしますね」

 女神のような美しさにクラスがざわめく。この時期に転校とは異例だが、誰も気にする様子はない。爽やかな声で挨拶を済ませると、黒い髪を靡かせながら突然歩き出す。

 クラスの視線はカレンに釘付け。

 どこへ行くのか誰もが興味津々。

 立ち止まった場所もそうだが、カレンの口から飛び出した言葉が、クラスの空気を一瞬で変えた。

「アナタが鬼龍院颯斗さんですね」

「……」

「あの、今日から颯斗さんのマンションに泊まらせてもらいますね」

「は……?」

 衝撃的な告白はクラスを静寂へと導く。例外なく全員が固まってしまい、微動だに出来なかった。そんな事は関係ないと、恥じらいもなくカレンは颯斗に光り輝く笑顔で詰め寄った。

「ですから、カレン、泊まるところがないの。颯斗さんの家なら一人ぐらい増えても平気ですよねっ?」

「いや、僕に関わらないで欲しい」

 即答で断る颯斗。嫌悪感丸出しな顔をカレンへ向ける。二人の視線が交差し、カレンの顔が不服なモノへと変わっていく。これ以上は悪目立ちすぎる──ここは大人しく引くのが正解だと考え、カレンはゆっくりと自席へ歩き始めた。

 転校したばかりだというのに、同棲宣言とはどういう意味なのか。

 いや、誰とも関わらないと決めたのだから気にする必要はない。

 おそらくからかっただけ。そう思い込み、颯斗はカレンという存在を忘れようとした。

 これですべてが元通りになったはず。というのは、甘すぎる考えだと後悔する颯斗。最初の後悔は休み時間だった。女神の笑みでカレンが近寄ってきては「一緒に住まわせて」と甘い声で誘惑してくる。トイレに行けば入口で待ち構えられ、屋上でひとりお弁当を食べていれば、当たり前のようにやって来て隣で食べ始める。

 分からない。どうしてそこまでして自分に執着するのか見当もつかない。次第に颯斗の心は疲弊していき、ついには思考までもが崩壊してしまう。それは放課後の帰り道であった。

「颯斗さーん、こんなにお願いしてるのに、ダメ……ですか?」

 女神のような美しさから放たれた上目遣い。

 抗える者などなく、颯斗ですらほんのり顔が赤く染まる。

 カレンの諦めの悪さも相まって、大きなため息とともに同棲を許そうとした。

「……分かったよ。もう、神崎さんは強引すぎるんだよ」

「カレンです、私のことはカレンと呼んでくださいねっ?」

「は、はい……カレンさん。それと、空き部屋がいくつかあるから、そこを好きに使っていいよ」

「わーい、颯斗さん、だーいすきっ」

 周囲の目などまったく気にせず抱きつくカレン。大胆すぎる行動が颯斗を石化させる。時間が停止すること数秒、颯斗の思考がようやく動き出し、カレンの肩を優しく掴み引き離した。

 鼓動が激しくリズムを刻む。

 止まらない、止められない、自分ではどうする事も出来ない。弱味を見せたら負け。颯斗は誤魔化すように驚いてみせた。

「い、いきなり何するんですかっ」

「普通の男子ならこれが一番喜ぶかなって」

「そういうことはですね、もう少し相手を選んで行動してよ」

「えー、颯斗さんはカレンのこと嫌いですか?」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 会話がイマイチ噛み合わないふたり。微笑み続けるカレンとは対照的で、颯斗は羞恥心から視線を合わせようとはしない。これぞチャンスの瞬間。カレンが強引な腕組みで柔らかい胸を押し付ける。

 積極的すぎる行動に颯斗の顔は真っ赤。

 初対面でこの態度は刺激が強すぎ。誰にでもするのだろうか。思考を他へ向けることで、颯斗は胸の感触から逃れようとしていた。

「わぁー、思ったよりずっと広いね」

 思った以上の広さにカレンは驚きを隠せない。余裕ある態度から一変する姿に、颯斗の心は不思議な感覚に包まれる。

「ひとりで暮らすには広すぎるくらいだよ。部屋はたくさんあるから好きに使っていいよ」

「そうですかー。では、お言葉に甘えまして、颯斗さんと一緒の部屋にしまーす」

 一瞬聞き間違いかと思った。頭の中で何回も再生させるが、駆け巡るのは一緒の部屋という言葉。同年代でしかも絶世の美女が、女神の笑顔を浮かべながら言うのは破壊力がありすぎる。

 真っ白となる頭の中。

 何も考えられない。

 きっと夢でも見ているのではないか。思考が活動限界を迎え、その場で数秒という長い時間固まってしまった。

「あ、あの……。一緒の部屋はまずいというか……。年頃の男女が同じベッドで寝るのは色々と問題だと思うんですけど」

 ようやく絞り出したのは正論であり、欲望に抗った結果だった。

「そういうものなの? でも、カレンは全然気にしないよ」

「カレンさんが気にしなくても、僕が気にするんですっ!」

「颯斗さんは恥ずかしがり屋なんだね。分かったよ、ここはカレンが涙を飲んで、ひとり寂しく部屋で寝るとするかな」

 今にも涙が瞳からこぼれ落ちそう。罪悪感を植え付ける悲しげな表情が、颯斗の心に鋭く突き刺さる。自分の決断は間違っていたのか。思考を操られ正常な判断が奪われそうになる。

 ダメだ、心を強く持たなければ。あの悲しみは誰がどう見てもウソ。頭では理解していても、あまりにも可愛らしいその姿に惑わされる。片隅によぎった一緒の部屋でもいいという言葉。負けてはならないと、颯斗は首を大きく横に振りカレンの誘惑から逃れた。

「そんな、泣いても……ダメなものはダメです!」

「なーんだ、残念っ。でもチャンスはいくらでもあるので、覚悟してよね」

「まったく……。カレンさんはもう少し自分を大切にしてよ。部屋に荷物を運んだら、僕とあまり関わらないでね」

「えー、どうしてなんですー? カレンは颯斗さんのそばにいたいんですよっ」

 純粋な眼差しが颯斗の心を苦しめる。

 本当の事を話すべきか──大きく気持ちが揺らぐも、伝えたところで信じるはずがない。それどころか、変人のレッテルを貼られる可能性がある。もしそうなれば、軽蔑されてカレンがここから出ていくのは確実。

 冷静に考えればそれがベストだと気がつく。

 選択肢がひとつに絞られ、颯斗は真剣な眼差しをカレンへ向ける。変人と思われるべく、冗談とは思えない表情で理由を話し始めた。

「これから話すことは他言無用でお願い。実は僕に近づくと……ものすごい不幸になっちゃうんだ。それこそ命に関わるぐらいの不幸にね。だからカレンさん、僕のことは放って置いてよ」

 普通の人なら真顔でこのような事を言われれば、頭のおかしい人間だと思うはず。むしろ危ない人認定され、距離を置くのが一般的だ。完全勝利を確信した颯斗だが、カレンからは予想だにしない返事がきた。

「ふぅーん、そうなんだっ。でも、カレンなら、そんなことにならないから気にしなくていいよ。だってカレンは、幸運の女神なんだからねっ」

 颯斗から言葉がすべて消え去る。

 まったく疑わないのが意味不明すぎだ。

 それどころか、自らを女神と名乗る者など見た事がない。確かに絶世の美女ではあるが、遠慮というものを知らないのか。何もかもが想定外すぎ、カウンターパンチを見事に入れられる。真っ白となった思考で、颯斗は呆然とその場に立ち尽くしていた。

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