第2話 絶望から幸福へ

「ここは……。僕は確か飛行機に乗っていて……」

「よかった、気がついたようですね。ここは舞星病院です、キミは飛行機事故に遭いここへ運ばれたのよ」

 真っ白な天井だけが颯斗の瞳に映り込む。回転が止まっている頭で何度も再生させるのは、女性看護師が優しく言い放った言葉。飛行機事故──そこだけが強調される。

 何が自分の身に起きたのか。

 頭の中で駆け巡る最悪の状況。颯斗はベッドから勢いよく起き上がり、飛行機事故という言葉の意味を女性看護師に尋ねた。

「あ、あの、飛行機事故ってどういうことでしょう?」

「えっとそれは……。キミが乗っていた飛行機が墜落したの。唯一助かったのはキミだけで、外傷はないけど念のために今検査してるところなのよ」

「えっ……。墜落……? 助かったのは僕だけ……」

 意味が分からない。いや、理解したくないだけ。自然と涙がこぼれ落ち真っ白なシーツを湿らせる。ほんの少し前まで隣にいたはずの両親はもういない。残酷な現実は人目もはばからず病室内に颯斗の泣き声を響かせた。

 かける言葉が見つからない女性看護師。

 出来る事と言えば優しく包み込むだけ。

 聖母のような温かさが冷えきった颯斗の心を安心させる。病室に響いていた泣き声はいつの間にか消え、現実と向き合えるようになった。

「落ち着いたようね。検査の結果がもうすぐ出ると思うから、ゆっくり休んでいてね」

「はい……」

 落ち着いた颯斗を見た看護師は安心し、一度だけ天使の笑顔を向けると病室から出ていく。病室には静寂が訪れ、颯斗はベッドに横たわり悲しげな瞳で真っ白な天井を見続けた。


 颯斗が次に人と話したのはおよそ二十分後。

 それは検査結果を伝えに来た年配の男性医師であった。

「キミの検査結果なんだがね、どこにも異常は見つからなかったよ。だから安心しなさい」

 そんなこと言われても安心できるはずがない。

 命が助かったとはいえ、帰る場所に両親はもういないのだから……。

「あ、あの……」

「どうかしたのかい?」

「い、いえ、やっぱりなんでもありません……」

「入院費のことなら気にしなくていいぞ。事故を起こした会社が負担してるからな」

 違う、本当に聞きたいのは入院費の事ではない。ひとり残された自分がどうやって生きていくかだ。

 颯斗はまだ中学生という若さ。

 しかも祖父母はすでに他界している。

 両親はともにひとりっ子で他に親戚などいない。

 つまり颯斗は……完全に天涯孤独となってしまった。とはいえここは病院であり、検査で異常がないのだから今すぐ退院する必要がある。しかしだ、退院したところで所持金が僅かしかなく、この先の未来には絶望しか感じられない。

 まずは家に帰るべきか。

 いや、帰ったところで生活するだけのお金はゼロ。

 それ以前に今いる場所がどこなのかすら分からなかった。

 完全に生気が抜け落ち、何者かに操られるように病院の出口へと向かう颯斗。思考は完全停止し、生き残ったことを後悔する。地獄とはまさに今の状況。どう足掻いても脱出は不可能で、不幸のドン底へと叩き落とされた。

 気がつけば瞳に映る正面玄関の自動ドア。地獄への入口にしか見えず、自らの足で第一歩を踏み出そうとする。待ち構える生き地獄に恐怖をまったく感じない。すべての感情が颯斗から消失し、もはや生きてるとは思えず、操り人形へと成り果て外に出た。

 何が起きたのだろう。

 眩い光の数々が颯斗に襲いかかる。

 止まらない光の嵐が視界を奪う中、耳元で何者かの囁き声が聞こえてきた。

「独占インタビューさせてくれたら、家までお送りしますよ。僕はテレビ局の者でして、あの悲惨な事故から生還したキミの話を生配信したいのです」

 この男のインタビューを受ければ、少なくとも誰もいない家には帰れる。帰ったところで意味があるとは思えないが、ここで留まるよりマシなのかもしれない。考えるのすら面倒となり、颯斗は独占インタビューを受けることにした。

「……分かりました。インタビューを受けますよ」

「交渉成立だね」

 独占インタビューが決まり、病院前に殺到していた記者達を押しのけ車へと移動し始めた。力強い手で掴み強引に人混みをかき分けると、颯斗を車内へ避難させる。記者達が唖然とする中、取り囲まれる前に車が急発進する。目的地は両親のいない颯斗の家。逃げ去るように走る姿を、残された記者達は呆然と眺めていた。


 颯斗が誰もいない家に到着したのは夕方近く。病院を出発したのがお昼前だったので、約五時間ほど車で移動したことになる。

 時間が心のキズを多少癒し、颯斗の顔は人間らしさを取り戻す。ポケットから取り出した鍵で黙ってドアを開けると、颯斗は家の中へテレビ局の人達を案内した。

 壁が真新しい一軒家で中はいたって一般的な造り。

 建物自体は三人家族が住むには十分な大きさ。

 そう、三人家族なら……だが今は颯斗ひとりだけなのだ。

「送っていただきありがとうございます」

「いえいえ、お礼を言うのはこちらの方ですよ」

「それで、独占インタビューってどうすればいいのでしょうか? というよりも、なぜ僕なんかをインタビューするんです?」

「あの飛行機事故で無傷で生き残ったからですよ。ご両親のことは非常に残念ではありますけど」

 アナウンサーらしき男性が申し訳なさそうな顔で颯斗に理由を伝える。仕事とはいえ、両親を亡くしたばかりの中学生にインタビューしなければならない。

 心に湧き上がる罪悪感。

 払拭しなければ仕事に支障が出る。

 男性は仕事だからと何度も言い聞かせ罪悪感を和らげた。

「そうですか……」

「はい、それでですね、さっそくなんですが、インタビューに入りたいんですよ。もちろん生中継で全国配信しますが……」

「いいですよ、どうせ僕には何も残ってないので……」

 自暴自棄になり思考を止めた颯斗。

 人間らしさを取り戻したとはいえ瞳は死んだ魚のよう。質問に淡々と答えるも、何を話したのかすら覚えていない。気がつけばベッドで横になり夢の中へと旅立っていった。


 きっと最悪の悪夢でも見たのだろう。

 リビングに降りればいつもの日常が待っているはず。

 それらが目覚めたばかりの颯斗の頭に浮かんだ。

「父さん、母さん、おはよ……」

 段々と声が小さくなっていく颯斗。リビングにいるはずの両親が見当たらず、あれは悪夢なんかではなく現実だと理解した。

「もう、ここにはいないんだね……」

 悲しみに包まれるも涙が枯れたようで出てこない。

 何もかも奪われただ呆然と佇んでいると、インターフォンの呼び出し音が聞こえてきた。

「こんな朝早く誰だろ……」

 時間は朝の八時少し前。また取材の申し込みなのだろうか。そう思うも、何かが背中を押した気がし、吸い寄せられるようにインターフォンで応対した。

「あの、どちら様でしょうか?」

「こんな朝早くに申し訳ない。私は鬼龍院という者でね、昨日のテレビを拝見し、ぜひ養子に迎えたいと思ったのだよ」

 インターフォン越しから聞こえてくる声は、三十代後半でどことなく優しさを感じる。だがそれ以前に気になる言葉が頭の中で駆け回る。

 養子にしたい──聞き間違いではないか。何度も再生させるも確かにそう言っていた。疑問符が頭上に浮かびながら、颯斗はその男性と会話を続けた。

「え、えっと、養子というのは……」

「奇跡の生還とテレビで大々的に報道されてね、両親を亡くし天涯孤独だと聞き──っと、長くなりそうなので、私の家で続きを話そうか」

「は、はい……。着替えてくるので、少しお待ちいただけますか?」

 怪しげな話で冷やかしの可能性もある。

 普段の精神状態なら断るはずが、今の颯斗には失うモノが何もなく、流れに身を任せてもいいと考えていた。

「起きたばかりだったか、それは大変失礼した。外で待っているので、ゆっくり着替えてくるといいさ」

 朝とはいえ夏の日差しはそれなりに強い。

 その暑さの中で長時間待たせるわけにはいかない。出来る限りのスピードで着替え終わると、颯斗は急ぎ足で玄関へと向かった。

「お、お待たせしました」

 息を切らしながら外に出ると、颯斗の瞳に映りこんだのは──。

 シワひとつないスーツを着こなす中年の男性。

 背筋はまっすく伸び紳士という言葉がよく似合う。

 穏やかな顔つきで、その瞳からは優しさが溢れ出すほど。

 初めて見る姿であったが、どこか安心感を覚える。冷えきった心が温かくなり、颯斗の口元は自然と笑みが浮かんでいた。

「改めまして颯斗君。さぁ、外は暑いので車の中へどうぞ」

 男性に促されるがままに、停車している車へと乗り込もうとする。が……その車は颯斗が今まで一度も見た事のないタイプ。いや、実際に見るのが初めてなだけで、それはテレビとかでたまに見かける高級リムジンであった。

「凄い車ですね……」

「緊張なんかしなくて大丈夫だよ。遠慮なんていらないからね」

「は、はい……」

 この世のものとは思えない迫力に圧倒されてしまう颯斗。言葉という言葉がすべて消え去り、静かに車内へと足を踏み入れる。そこはまるで別世界にでも迷い込んだよう。

 座り心地のよさそうなソファーは高級感が漂う。

 冷蔵庫やテレビ、テーブルまでもが備え付けられ、小さな部屋が車内に作られていた。

「そんな畏まらなくても大丈夫だよ。ではさっそく、私の屋敷へ向かうとするか。屋敷までよろしくたのむ」

「かしこまりました旦那様」

 男性が運転手にそう告げると、車は音すら立てず静かに走り出す。走行中に揺れは一切感じない。快適な乗り心地が颯斗に安心感を与える。車内での会話はなく、ただ流れる景色を見るだけ。その姿に男性は温かい眼差しを向け、口元から薄らと笑みがこぼれた。

 車が止まったのは乗車してからおよそ一時間後。

 運転手がドアを開けると、颯斗は新しい一歩を踏み出す。そこで待ち構えていたのは──広大な敷地と巨大すぎるお屋敷。想像すらしたことのない光景に颯斗の瞳は大きく見開き、たった一歩踏み出したところで固まってしまう。

 ここは本当に現実世界なのか。

 もしかして実はあの事故で死んでいて、ここが天国という未知の世界なのかもしれない。

 頭の中でおもちゃ箱をひっくり返された感じとなった。

「ここが私が住んでいる屋敷だよ。遠慮なく中へどうぞ」

「……」

 頭の中を整理できずただ驚くだけ。それこそ自らの身に起きた不幸を忘れるほどに。本当に天国だと思い始めていると、巨大なトビラがゆっくりと開いていく。

 颯斗を出迎えたのは、広すぎる玄関と十数人の使用人達。

 マンガやアニメの世界でしか見たことがなく、思わず頬をつねりどこの世界にいるのか確認してしまう。

 そう、ここは天国でも、ましてや夢でもない。

 確かな痛みが現実世界だと教えてくれた。

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