女神の雫
朽木 昴
第1話 終わりの始まり
人を愛するのは罪なの?
お願いだから私を孤独にさせないで。
アナタは私に愛を教えてくれた。切なくもあるがどこか心地よいもの。たとえ運命という強大な壁があったとしても、必ず乗り越えもう一度アナタに会いに行ってみせる。手段など選んでいられない。愛する者のためなら、喜んで罪を犯すだろう。だが、現実は非常に残酷で絶望へと導いているよう。やはり抗うのは無理だった。
たったひと言伝えたい。それだけなのに、二度と会えなくなってしまった。悲しくて涙が止まらない。それでも私は永遠にアナタを愛してます。たとえ悠久の時間がかかろうとも、必ずこの気持ちを伝えるとここに誓います。
絶対、絶対に約束だから。どうかこの小さなお願いを叶えてほしい。偽りのない本当の私をアナタに知ってもらうため……。
永遠に変わらぬこの想い。決して色褪せることなく光り輝いている。深淵にその身を落とそうとも不変であり続ける。そこまでの強い想いであれば、きっと奇跡が起こるはず。そう信じながら私は静かに眠ることにした。
「あの、今日から颯斗さんのマンションに泊まらせてもらいますね」
「は……?」
高校一年生の鬼龍院颯斗にとって衝撃の告白だった。教室で告白してきたのは転校して来たばかりの神崎カレンという少女。面識はまったくなく今日が初めての出会い。
唯一颯斗が知るのは容姿だけ。
銀髪のロングヘアーはどこかのお嬢様を連想させる。絶世の美女──その言葉はカレンのために存在している、と言っても過言ではない。普通の感覚であれば、絵に書いた美少女と同棲できるなど夢のような話。
人生を何度やり直しても一度あるかないかの出来事。
ましてや同年代の異性と一緒に暮らすなど、倫理的に考えてダメに決まっている。仮にだ、もし、一緒に暮らすとして、心の底から喜ぶのが普通だろう。
しかし颯斗の反応は他の人とは違っていた。人と関わるのをやめ、残りの人生を孤独に過ごそうと決めた人間。喜ぶどころか迷惑そうな顔をカレンに向ける。迷う時間は皆無でハッキリと断るつもりであった。
なぜ颯斗は人と関わるのを断つのか。それには海よりも深い理由が存在する。とても大切なことで人の生死に関わるもの。すべての始まりは颯斗が中学三年生の頃に体験した、運命を変えてしまった出来事からだった。
あれは中学生最後の夏休みを利用し、家族旅行に出かけたときのこと。
数時間という長い飛行機の旅は苦にすら感じず。それどころか、終始笑い声が聞こえるほど家族仲は良好。旅行の目的は自然を満喫しながらのグランピングで、数日の滞在を予定している。
人生で初めての経験は颯斗に緊張と好奇心をもたらす。最初こそ戸惑いを見せるも、自然との触れ合いが緊張という言葉を消し去る。特に森を散策するのが好きになり、疲弊した心さえ簡単に癒す効果に惹かれた。
その日、旅行の最終日に早起きした颯斗は、もう一度だけ豊かな景色をその瞳に焼き付けようと、ひとり朝の散歩へと繰り出した。
まだ寝惚けている頭を冷たく新鮮な空気が目覚めさせる。
森の奥からは小鳥の囀りが聞こえ、まるで自然の目覚まし時計のようであった。
「気持ちがいい朝だなぁ。こんな朝は都会じゃ体験できないよ」
大きな深呼吸で浄化された空気を体内へ取り込む颯斗。都会では味わえない新鮮さを堪能する。今日が最後と思うと、急に寂しさが湧き上がってきた。この楽園ともお別れ──脳裏にその言葉が浮かび上がったときだった。上空から光るモノがゆっくりと舞い降りてくるのを視界に捉えた。
朝日に反射する何かだと最初は思った。
だがすぐに違うと気がつく。それはまるで意思を持っているかのように、颯斗のもとへ真っ直ぐ向かっている。その軌跡はまるで颯斗に惹かれているよう。光るモノは目の前で浮遊し、颯斗は両手で優しくそれを受け止めた。
「これはいったい……。なんだか、見ているだけで幸せな感じがするね。何かの宝石……なのかな」
小石くらいの大きさで、白く優しい光を放つ宝石のようなモノ。
温かさを感じ見とれてしまうほど美しい。やがて光が静かに消えていき雫のような姿に変化した。
「まさか光が消えるなんて……。なんだか懐かしさを感じるような不思議な石だよ。それにしても、この透き通る美しさは初めて見るかな」
輝きを失っても美しさは変わらず、不思議と手放したくない気持ちとなる。きっとこれは天からの贈り物。そう思え大切にポケットへとしまい込んだ。
朝から気分がいい。幸福感に満たされ両親が待つ寝床へと戻る颯斗。近づくにつれ食欲を唆る香りが匂ってくる。空き始めたお腹には効果抜群で、ヨダレが垂れそうなほど。今すぐにでも食べたい欲求が湧いてきた。
「おかえりなさい颯斗、散歩でもしてきたのね。朝ごはんの準備は終わってるからね」
タイミングがよかった。帰りの飛行機に間に合うよう、母親が手際よく支度していた。
「そうだよ母さん。そのときに綺麗な石を見つけたんだ」
「それはラッキーだったわね。さぁ、あまり遅くなると飛行機に乗り遅れてしまうから、早く朝食にしましょうか」
「そうだな、乗り遅れたらシャレにならないからな」
まったく石に興味がない母親。颯斗の話を軽く流してしまう。何よりも重要なのは飛行機の時間であり、早く朝食を済ませるよう促す。
父親も母親同様に石には無関心で、話にすら入らずゆっくりイスに座り朝食を食べ始めた。
「今日でこの豊かな自然ともお別れかぁ。なんだか少し寂しいよ」
「颯斗は都会よりも、自然豊かな場所の方がいいのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
帰り支度中に見せるほんの少しだけ寂しい顔。父親との会話もまったく覇気を感じられない。迷いがあるのは確かだが、どちらか選べと言うのなら、颯斗は間違いなく都会を選択するだろう。
冷静に考えれば答えはひとつだけ。
都会という砂漠があるからオアシスが恋しくなる。
つまり、オアシスに慣れてしまえば、そこはオアシスと呼べなくなるのだ。
「さてと、アナタ、颯斗、そろそろ出発しますよ。忘れ物をしないようにね」
心に浸透する優しい声で、母親が颯斗達に語りかける。もう一度だけ忘れ物がないか確認し、ないと分かるとグランピング施設をあとにした。
空港まではバスで三十分ほどの距離。長い時間乗車するが、車内で盛り上がる思い出話が時間感覚を狂わせる。体感的には数分だった。空港に無事たどり着くと、搭乗手続きを手際よく済ませ、搭乗した機内で離陸を静かに待っていた。
「これでやっと我が家に帰れるな」
「楽しい旅行だったよね、父さん」
「そうだな、颯斗が楽しんでくれてよかったよ。おっ、そろそろ離陸するみたいだぞ」
機内アナウンスが流れ終わり、いよいよ飛行機が離陸体制へ入る。窓から見える景色が徐々に動き出し、瞬く間に線へと変化させた。体が浮き上がる感覚に襲われ、気づいた時には線が青色の景色となった。
快適な空の旅は颯斗達を安心させる。
疲れが溜まっていたのか、いつの間にか夢の世界へと旅立つ。トラブルひとつなく、ここまではすべてが順調。そう、ここまでは……。
異変が起きたのは離陸から一時間ほど経過したとき。突然機内の重力が崩壊する。パニックになる乗客達。シートベルトのおかげで投げ出される人はいないものの、締め付けられる苦しさにうめき声が飛び交った。
「いったい何が起きてるんだ!?」
乱気流にでも巻き込まれたのか。普通でない状況に父親が思わず声を荒らげる。その大きさは颯斗を現実世界へと引き戻すほどで、モヤに包まれた思考で何が起きたのか整理し始めた。
つい数分前までは平穏であった。
それが混沌とする機内。アナウンスはまだ流れず、不安だけが無尽蔵に増大していく。
「お父さん、これってまさか……」
「あぁ……。おそらく、飛行機が何かしらの原因で傾いてるんだ」
父親としてここは冷静になる必要がある。この異常事態に隠してはいるが内面は激しく動揺。表面に出せば不安が広がってしまう。だか父親は特別な訓練をしているわけでもない。親としての責任で平常心を保とうとした。
周囲から聞こえる悲鳴の数々。
絶望という闇に飲み込まれ、地獄絵図が機内で描かれた。
救いの神が現れる──機内のスピーカーより聞こえる声が、人々に安らぎを与え始めた。
『現在当機は原因不明のトラブルにより、機体が不安定となっています。これより緊急着陸をいたしますので、姿勢を低くし頭を抱えて衝撃に備えてください』
すぐにはパニックが収まることはない。心がほんの少しだけ和らぐも、落ち着かせるには不十分だ。常に沈着冷静なのは添乗員のみ。彼女達も不安であるのは事実だが、ひとりずつ優しく声をかけ冷静にさせていく。
地道な努力が実り、機内は落ち着きを取り戻す。アナウンスの言葉を信じ、乗客はもちろん、颯斗も姿勢を低くし衝撃に備える。あと出来る事と言えば不時着の成功を祈るだけ。必ず成功するはず、不安と恐怖に蝕まれていると、不思議な現象が颯斗達に襲いかかった。
颯斗のポケットから放たれる眩い光。
一瞬で周囲の色をすべて奪い去る。
広がるのは白しかない世界。まるで天国への招待状のように思え、颯斗の意識はそこで途絶えてしまった。
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