第一章 深窓

1-1 乗合馬車にて


 その少年は乗合のりあい馬車の中で眠っている。馬車は朝早くに出発して、もう太陽が頭の真上に来る時刻だが、その間じゅう、彼は寝ていて、起きる様子は一向にない。


 同乗者たちは皆起きていて、少年がいつ起きるか、賭けようと






 

 

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 その少年は乗合馬車の中で眠っている。馬車は朝早くに出発して、もう太陽が頭の真上に来る時刻だが、その間じゅう、彼は寝ていて、起きる様子は一向にない。


 同乗者たちは皆起きていて、少年がいつ起きるか、賭けようと話している。


「『街に着いてから』に300」


「『街に着く半刻前』に400」


「ならオレは――『今すぐ』!」


 男は叫んだ。その瞬間、少年はぱっちり目を覚ます。


「あ、ズリい」「おい、ナシだナシ」


「もう遅え」男は、賭けに参加した二人の手から小銭を奪う。「よう、おはよう」そして今し方、覚醒した少年に声をかける。


「ども……」


 少年は何の話か分からず、寝ぼけまなこでそう応じた。




     ○




「オレはクライズ。よろしく」


「リドークです」


 日が落ちた頃、一行は目的地、オイラスという都市に到着した。男と少年は、馬車から降りると、行動を共にし始める。


「リドークか。じゃあリドだな」大衆食堂の、隅のほうの席。その男、クライズは壁の品書きを見ながら、早速少年、リドークに愛称をつける。「リド、何が喰いたい。初日くらいオレが奢るぜ」


「いや、悪いすよ」


 リドークは遠慮するが、


「まだ慣れねえうちに、そうそう金を遣うもんじゃねえよ。オレはこの都市まちにはもう二回来たことがある」クライズは言うと、「すんません、酒と、今日のオススメ二つ!」と店員に注文した。少女といっても差し支えないだろう、若い女性の店員は、すぐに酒を注いで持ってくると、


「混んでますので少し時間かかりますねー」


 と言って厨房に去っていく。言葉通り、店は大盛況の様子だ。適性審査が行われている余波かも知れない。振り向きざまに、発色のいい金髪がふわりと揺れた。


「ほら、乾杯」


 クライズは器を掲げたが、リドークは取ろうとしない。


「……俺、酒飲んだことないんすけど」


「ああ? 年齢トシは」


「十六――あ、今年で十七です」


「呑める年齢じゃねえか。酒はいいぜ、人生に喜びが生まれる」そうは言うものの、彼は積極的には勧めず、リドークの分の器を自分のところに引き寄せ、「すんません、水!」と注文する。


「よし、何喰いたい。オレのオススメは、肉と芋を煮た――」




「お嬢ちゃん、いいだろ、ここ座りなよ」




 そんな声が、聞こえた。


 二人がそちらを向くと、先程、酒を持ってきてくれた店員が、ガラの悪い男たちにからカラまれていた。男たちの一人が肩に手を置こうとするのを避ける度に、少女の綺麗な金髪はふりふりと揺れた。クライズは溜息を一つ吐くと、知らない振りをして酒を呷る。


「や、やめて下さい」


 店員は言う。しかし男たちはむしろ二人がかりで彼女を席に着かせようとし始めた。酔っているのだろうか、皆、顔が赤く、下品な笑いを浮かべている。


「お嬢ちゃん、おじさんたちは今日一日、お仕事がんばったんだよ。お嬢ちゃんに癒してもらったら、明日もがんばれると思うんだけどなあ」


 ひときわ人相の悪い、額に大きな傷のある男が、座りながら店員に言う。その視線は、彼女の旋毛つむじから爪先つまさきまでを舐め巡る。


「そ、そういう店ではないので」


 騒がしかった店内は、静かに動向を見守っている。見守っているだけで、助けに入る者は誰もいない――




「そこまでにして下さい。嫌がってるでしょ」




 ただ一人を、除いては。


「おい、リド……まあいいか」


 クライズは制止しようとも思ったが、途中で考え直し行かせることにした。あの表情かおができる者を引き留める術を、彼はこれまでの人生で、いまだ見つけていない。


 その正義感に満ちた、澄んだかおを。


「お兄ちゃん。おれらはその女の子に用があるの。お前じゃない」


 リドが少女の肩にある手をどけさせ、傷の男と相対すると、仲間全員が起立する。総勢六人。彼らは少年に迫っていって、扇形に彼の周りを囲う。


「ここはご飯を楽しく食べる場所です」


 リドークはひるまず、そう言い放つ。


「お兄ちゃん。おれらが優しく接してる間に、言うコト聞いとけばよかったのに」


 傷の男が、指をぱきぱきと鳴らす。周りの男たちも、腕を回したり、屈伸したり、準備を始めた。




「死ぬ覚悟はできてんな?」




 それが合図だった。取り巻きたちが一斉に動き出し――




 リドークは、腰の剣をするりと抜いて、構えた。




 男たちは怯んで、動きを止める。


「こ、こいつ抜きやがったぜ、兄貴」男たちの一人が、傷の男に言う。兄貴と呼ばれた男は構わず前に出る。


「あんな剣にビビってんじゃねえよ。そもそも、そんなの喧嘩に自信がねえと言ってるようなもんじゃねえか!」


 その男は言って、リドークが剣を持つ右手を蹴り飛ばす。剣は彼の手から離れ、飛んでいく――






 

 






 ドゴオン! と大きな音がする。その音を聞きつけて、厨房から、ようやく他の店員がやって来た。


 店の真ん中で――額に傷のある男が、片脚をまるまる床下に突っ込んだ状態で動けなくなっていた。


「きゃあ、お客様、大丈夫ですか」事情を知らない店員は駆け寄って男を助けようとするが、彼はその手を振り払い、仲間の肩を借りて脚を床から抜く。男は剣を落としたまま突っ立っているリドークをぎろと睨み、


「帰るぞ」


 と言って代金を机に置いていき、去っていった。




 一瞬の間の後、大喝采が起こる。




「いいぞ兄ちゃん!」「すごい!」「よくやった!」「大丈夫?」「次はおれも戦うぜ!」「偉い!」「流石!」「格好いい!」




 後から来た店員だけは不思議そうに辺りをきょろきょろと見回したが、リドークが助けた少女が、


「母さん、この人が、あたしを護ってくれたんだよ」


 と説明する。二人は母娘おやこだったようである。言われてみれば、確かに顔つきが似ているようにも思う。母親のほうは、「あの、お礼を……」と言い出すが、リドークは軽く手を上げて、剣を拾うと、クライズのいる席へ戻った。


「おい、何だよ今の。すげえな」


 クライズは話しかける――リドークは、困惑した表情で。




「俺も、分かんないっす。むしろ、クライズさんが何かしてくれたのかと」




「どうぞ、お水です」


 リドークが助けたことになっている少女が、頼んでいた水を持ってくる。


「あ、どうも……」


「さっきは、ありがとうございました!」彼女は、勢いよく頭を下げる。「それで、あの、お礼をしたいんですが、たとえば今日のお代は頂かないというのはどうですか」


「ああ、お金はこの人が持ってくれるそうなので」


 リドークはクライズを示す。


「そうなんですか? なら他に何か……」


「いや、それならそれでいいぜ」クライズはタダ飯を喰らえるという話になったのですぐにそう承諾する。頼れる大人を演出してみたものの、財布にそこまで余裕があるわけではなかった。そもそも今日の分の食事代は、半年後くらいに請求するつもりだったのだ。「ほら、何か頼めよ」


「じゃあ、芋の素揚げを」


 リドークは言われて、そう店員に注文した。


「分かりました! 今日のオススメと一緒に持ってきますね」彼女は元気よく厨房に戻っていった。


「……まあ今回は、上手くコトが運んだようだが――」クライズは彼女が去ったのを確認して、リドークに言う。「あの人数差で、無計画に突っ込むもんじゃねえよ」


「でも俺が行かなかったら、あの店員さんはどうなってたんですか」


 彼は承服できない、と反論する。











 彼らが乗ってきた乗合馬車。それは地方から、都市警備のための人員を集めてくるためのものだ。彼らは明日から、この都市の中心にある城にて、適性審査を受けることになっている。


「――そうだな、その言は否定しない」


 やはり彼の正義感に負けて、クライズは説教をやめ酒を呑む。ただ実際、リドークのような素晴らしい動機と共にこの地にやって来た者は、そう多くはない。ほとんどは、地元でやることがなくて、新しい地に行ってみるかという程度の軽い気持ちの者ばかり、その日の晩酌のために働く者たちだ。彼自身もその一人であり、仕事以外での騒ぎに、自分から首を突っ込もうなどという気には到底なれない。


「これだけは言っとく」クライズは真剣な顔で言う。「さっきの奴らは、どうでもいい小悪党だ。もっと危険な連中が、この世界にはたくさんいる。それを見極められねえと――死ぬぞ。本当に」


「――はい。肝に銘じます」少し反省したように、リドークは返した。


「やっぱり呑まねえ? 勝利の美酒ってやつだ」


「……なら、ちょっとだけ」少し気が高揚していたリドークは、そう言われて酒の器を持つ。


「よし、乾杯」


「乾杯」


 二人は器を突き合わせ、それぞれ口をつけた。


「うぐ、げっ、げっ、げほげほ」


「ぎゃはははは。おめでとさん」




     ○




 食事を終え店を出て、二人は宿を探す。二人で泊まれば、宿賃は半分。男同士で気兼ねも気揉みもあまりない。クライズが安い宿を見つけ、荷物を部屋に運び入れた。


「あ、オレ適性審査明日だからさ、朝早いぜ。日の出前までに集合だったよな」


 クライズは早速ベッドに身体を預けながら言った。


「そうすね」リドークは、敷布団の皺を伸ばしながら応える。安宿のせいか、部屋はあまり整えられていなかった。


「ちょっとこの辺り見てくる。朝飯食べるトコ探さなきゃな」クライズはベッドから立ち上がる。「リドも来るか?」


「いや、俺はいいっす」


「そうか」クライズは言って、すぐに独りで出ていった。


 リドークは、腰の剣を外しベッドに倒れ込む。


 新しい街。新しい出会い。まだ若い彼にとっては何もかも新鮮で、夜になって、どっと疲れが出てきた。


 身体を起こし、荷物の中身の確認をし始めようとした時、こんこんと、扉を叩く音が聞こえた。


 クライズだろうか。あるいはこの宿の主か。リドークはベッドから降り、扉を開けた。




 そこには、若い男が二人。

 何となく見憶えがあった。




「こいつだったな?」手前の男は奥の男に確認する。奥の男は頷いた。手前の男は懐から――




 刃が。


 リドークに突き刺さる。




 血が、




「おれたちに恥かかせた罰だぜ」


 言い捨てて、男たちは帰った。


 リドークはその場に倒れ込む。


 床に拡がっていく赤い液体は、窓から入ってくる月の光をてらてらと反射させていた。


 月は雲に隠れ。


 彼は目を閉じ。






 。』

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