影の追跡者

影島練司

第1話

今日も、朝の喧騒が首都を包んでいた。通勤ラッシュの波に揉まれ、誰もが同じ方向へと流されていく。この大都市のどこかで、今日も事件が起き、誰かの人生が揺れる。だが、それを食い止めるために、あるいは巻き込まれた人々を救うために、今日も彼らは職場へ向かう。

警視庁捜査一課、刑事の海斗は、ネクタイを締めながら鏡の中の自分を見た。鋭い眼差しと、どんな現場にも動じない冷静さを持ち合わせていると自負している。今日もまた、何事もなく一日が過ぎていくことを無意識に願っていた。彼のデスクには、昨日から進展のない窃盗事件の報告書が山積している。大きな事件がなければ、それはそれで平和な一日だ。

同じく警視庁、科学捜査研究所(科捜研)の研究員である蓮は、いつものように早めに出勤し、誰もいない研究室でコーヒーを淹れていた。鑑識課が現場から回収してきた証拠品を、自らの手で分析し、そこに隠された真実を解き明かすのが彼の仕事だ。今日予定されているのは、数日前の不審火現場から回収された焼損物の分析。ルーティンワークと言ってしまえばそれまでだが、その一つ一つが、事件の全貌を明らかにするための重要なピースとなる。彼はどちらかといえば、人との接触よりも、データや物質が語る「声」に耳を傾けることを好んだ。

エレベーターホールで偶然顔を合わせた海斗と蓮は、軽く会釈を交わした。言葉は交わさなくとも、彼らの間には確かな連帯感がある。それは、同じ悲劇を共有し、同じ志を胸にこの職を選んだ者だけが持つ絆だ。

オフィスフロアに足を踏み入れると、すでに数人の同僚が出勤していた。コピー機の音、電話の呼び出し音、そして雑談の声。いつも通りの、なんの変哲もない一日が、また始まるはずだった。窓の外には、抜けるような青空が広がっている。しかし、その平和な空の下で、見えない歯車が音もなく動き出していることを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。

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