§-6——シンとソウ

 これは、子平法後しへいほうご一一二年の出来事です。




 (((誰も彼も)))

      (((何かの中毒なのさ)))


 シンはいます。

 夜は明るい。

 寂光じゃっこうを頼りに、華蝶風月かちょうふうげつのぞみながら。

 土の上に座って。


「はぁ? どういうことだよ」


 少し小さな、ソウが、どっこいしょと座り込み、五指ごし手根しゅこんとの六根ろっこんで、きたない土を握りしめながら、そう返します。

 視線の先、二重に立ちはだかる蜂の巣構造ハニカム有刺ゆうし鉄条網てつじょうもう越しに、くろ五菱ごりょうの華のその見据みすえて。


「お前は、甘いものが大好きだろう? それも、〈人工甘味料マルスグリコール〉入りのでなくて、の砂糖入りのやつが。それに、二分の一成人、つまりあと二年したら、宇宙飛行士コースを受験するんだって、譲らない。体力テストの結果はいつも散々なのに。〈賽鉄見スチービー〉の宇宙コマーシャルに、毒され過ぎだって。目指すはどの星だ? 月か? 火星か? 待てよ、まさかとは思うが、『母なる〈熱円ねつえん〉だ!』なーんて言わないよな?」

「おぉいシン! 宇宙飛行士を馬鹿にするなって! 〈施設ファスィリタス〉の子女にとっての一番人気、花形の職業だぞ? あとあれな、一年、一年だ。ほとんど一年。もうすぐ五歲になるし」

「ああ、これは失礼、そうだったな。あと地球が何回か自転したら、、俺と同じ、五歲になる。控えめな、五歲に」

「それも失礼だぞ?」

「あはは、ごめんごめん。で、あとはあれだ、あの中毒だ。恋愛中毒、ってやつだ」

「な、なんのことだか、さっぱり、だな」

「おいおい誤魔化すなって。マリだよ、マリ。彼女のことだって、なぁ?」

「はっ!? ままっ……マリがどうしたっていうんだよ! というか、なんで知ってるんだ!?」


 ソウは声を荒げます。

 上下の唇の間隙かんげきからは、砂糖のせいで虫歯がちな黒斑点くろはんてんの乳歯が、可愛く、こちらをのぞきます。


「そりゃあ、ソウ、お前のマリに対する態度を見てると誰でもわかるさ」

「う、うるさいやい! だったらシンの方こそ、一刻も早く、成人の前に、この〈施設ファスィリタス〉から出たいっていう馬鹿げた夢の、とりこじゃあないか!」

「ああ、そうだよ。だから、世の中はそういうものなんだって、誰も彼も何かの中毒なんだって、僕はたった今、言ったんじゃあないか」


 この時ソウは、年は同じくも己より図体の大きな少年を、いや、己の存在をいっそう小さく見せる少年の言葉を、不思議に思います。

 橤橤はなばなしく、橤橤はなばなしく垂れ下がる五菱ごりょうの華のしべまる、蝶を眺めつつ。

 お手手にはびっしりと、きたない土がついたままです。

 お手手は綺麗に、清浄あらわねばなりません。


「おいシン、開き直ってんじゃねーよ!」

「開き直ってなんかないさ。僕は単に、事実を、受け入れてるのさ。〈がっこう〉でならったことをすぐに蝶呑蜜ちょうのみするソウとは違ってね」

「どういうことだよ」

「どういうって……例えばさ、あれを見て、何も思わないのか?」


 シンは、蝶を指差します。

 五菱ごりょうの華のしべまり、極彩色ごくさいしょくの羽を開閉する、リボン型の昆虫を。


「あれって……蝶のことか?」

「もちろん」

「蝶が、どうしたって言うんだ?」

「観察するんだ」

「ほぉ。観察、ねぇ」

「そう、観察」


 シンとソウは、下に華、上に月で、挟まれた蝶を、じっと見つめます。

 すると蝶は、

 

 ——ヒュゥウゥウンン


 とそよあやしい風に、附和雷同ふわらいどうするのです。


「おいシン、蝶が流されたぞ」

「まだだ、まだ観察だ」

「はいはい、観察ね」

「そう、観察」


 ——ゥウゥウンン。


 と風は止みます。

 蝶も止まります。

 空中静止です。


 天の闇

 黄色く浮かぶ

 円形鋸刃えんけいのこばはすの葉と

 月と

 仲、よろしく


「で?」

「ソウはこれを、どう思う?」

「え、どう思うって……蝶が、ヘリコプターみたく、ホバリング、している?」

「そう。ホバリング。空中で、止まっているんだ」

「だから、何? そんなの当たり前じゃ——」

 の次は喰い気味に。

「足りない」

「何が!?」

「観察が、足りない」

「意味がわからない」

「ソウ、お前は背丈だけじゃなくって、おつむもおチビちゃんなのか?」

「うるさいなぁ! 誰が蝶頭チョウアタマだってぇ? 蝶の唐揚げにしてやろうか!」

「いや、誰もそこまでは言ってない。あとあれな、『揚げ』、敵性語だぞ、気をつけろ」

「あっ、いっけね……バタフライ・バターフライ」


 すると、ソウに釘を刺すかのように、


 ——サァァァァァァ


 と、月の方角から、雨が降り注ぎます。

 赤茶色の雨です。

 清露高シロッコ連邦領内で汚染された空気が、風で流れてくるせいだと、〈施設ファスィリタス〉の〈洗教師せんせい〉は教えます。


「はぁもう、シンの言うことはいつも、本っ当に、意味がわからない」

「そうかい。まぁ、もっとも、この世には、隠された事実、つまりは真実が、まだまだたくさんあるんだけどね」


 シンはそう、話を締めくくります。

 あたかもその眞実しんじつなるものを絶対に暴いてやるのだ、とでも謂わんばかりに……


 ——キィィィィィィン


 蚊の泣くような音がします。


「「あ」」


 ソウとシンは、ポケットから、ゴツゴツした塊を取り出します。

 それは、さっきの音の主、〈賽鉄見スチービー〉です。

 それは、鋼鉄製の十二面五角形立体。

 ソウのまだ小さな手にとっても、ぎりぎり手乗りの大きさです。


 ——キィィィィィィン


 〈賽鉄見スチービー〉は、催促めいたように、もう一度泣きをあげます。

 音は、月下の閉塞へいそくに、往復の響きをもたらします。

 そして、二人の子女に、こう告げるのです。


〔まもなく、深夜十二時です。よい子女の皆さんは〈葡萄棟ブドウトウ〉へ帰って、〈寝落ち〉に備えましょう〕

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