第14話 冷たい視線と、揺れる声

「ねえ、聞いた? 沙耶って、神崎の家に泊まったらしいよ」


「マジで? あの神崎組の? ってことはさ……」


朝の教室に入ると、美月はすぐに空気の違いに気づいた。

話し声は小さいのに、妙に耳に残る。

視線がふと自分の背中をなぞるように感じた。


誰もが表立って何かを言うわけではない。

ただ、小さな笑いや囁きが、刃のように空気を裂いていた。


(……またか)


美月は何も言わず、自分の席に向かった。

いつも隣にいるはずの沙耶が、今日は少し離れた席でノートに視線を落としていた。


 


午前の授業が終わっても、沙耶は口を開かなかった。

昼休み、美月は勇気を出して弁当箱を持って近づいた。


「……一緒に、食べてもいい?」


沙耶は顔を上げ、少し迷ったあと、小さくうなずいた。

ふたりは窓際の机を並べて座る。


だが、周囲の目は明らかだった。

女子グループがチラチラとこちらを見ては、意味ありげに顔を寄せ合う。

男子数人は、あからさまに距離を取っていた。


沈黙のまま食べるうちに、美月はゆっくりと口を開いた。


「ごめん……巻き込んじゃって」


沙耶は首を横に振った。


「違う。私が、行きたいって言ったんだし。泊まりたくて行ったんだよ。……でも、」


そこまで言って、沙耶は口をつぐむ。


「でも?」


「……思ってたより、みんな、すごい反応してる」


そう呟く沙耶の目に、ほんのわずかに怯えがあった。


美月は、噛みしめるように弁当のご飯を口に運んだ。


「私に近づくと、悪いことが起きる。……きっと、みんなそう思ってる」


「そんなの、おかしいよ……!」


沙耶の声が少しだけ大きくなった。

美月は目を見開き、周囲を気にして視線を伏せた。


「でも……ほんとのこと、知らない人には、私たちの関係なんてわかんないんだよね」


「わかってなくていい。……でも、それでも、私は美月の味方だよ」


その言葉に、美月の胸が少しだけ温かくなる。


「ありがとう」


小さな笑顔を見せた美月に、沙耶もようやく笑みを返す。

けれど――その瞬間だった。


「へぇ……味方ね。カッコいいこと言うじゃん」


冷たい声が、二人の会話に割って入った。

顔を上げると、そこには同じクラスの女子・瀬戸舞が立っていた。


濃いリップ、染めたような茶髪。

見た目も性格も強気で、クラスの中では“発言力”のある女子だった。


「神崎さんの味方、ってことは……自分もヤクザの家に出入りするって自慢してるの?」


その言い方に、沙耶の表情がこわばる。


「……そんなこと、言ってない」


「でも事実でしょ? 怖いなぁ。私、関わりたくないなー。だって、なにかあったら面倒じゃん」


「……もう、やめてよ」


沙耶が言い返すと、舞は肩をすくめた。


「別にいいけどさ。後悔しても知らないよ。……“家ごと”巻き込まれないといいね」


舞が去ったあと、教室の空気はさらに重く沈んだ。

沙耶は、震える手で弁当の箸を置いた。


美月は、何も言わずにその手をそっと握る。

誰もが背を向ける中で、それでも“つながり”を絶やしたくないという願いだけが、二人の間に残っていた


──放課後。

灰色の雲が空を覆い始めた帰り道。商店街に向かって歩く美月の横には、黙ったままの沙耶がいた。


さっきまでの教室の空気が、まるで体にまとわりついているようだった。

一歩一歩、足が重い。


「ねえ、美月。帰り、少し寄り道しない?」


沙耶が声をかけようとしたその瞬間。


「神崎さん」


横合いから静かな声が届いた。


顔を向けると、制服姿の少年が電柱の影から歩み寄ってきた。

整った顔立ち。くせのない黒髪。どこか“普通すぎる”雰囲気をまとう彼──沖田だった。


「沙耶さん、ちょっとだけ、時間をもらえるかな」


美月が何か返す前に、沖田は微笑を浮かべたまま、美月の目をまっすぐ見つめた。


「少しだけ、二人で話したいことがあるんだ」


沙耶は戸惑いながらも、美月の目をうかがった。

美月はゆっくりとうなずいた。


「……わかった。先に行ってて」


「……うん。気をつけて」


沙耶が少しだけ不安そうな顔をして、その場を離れる。

二人きりになった瞬間、沖田の表情がわずかに変わった。


「……君ってさ、ほんとに“空気”読まないよね」


「……どういう意味?」


「神崎美月。“神崎組”の名前が、君について回ってること、気づいてないの? 学校にとっても、生徒にとっても、迷惑な看板だって」


美月はじっと彼の目を見る。沖田の声は、優しさをまとっているのに、その言葉は鋭く冷たい。


「……だったら、私は何も言わずに黙っていたほうが良かった? 逃げてればよかった?」


「いや、そうじゃない。ただ――関わる相手は選んだ方がいい。君自身のためにも」


美月は、ほんの一瞬、視線を落とした。そして小さく笑った。


「“関わる相手を間違えたね”って言いたいんでしょう?」


沖田の表情が固まる。


「でもね、私、間違ってないよ。沙耶は、私にとって“大事な人”だから」


「……君のその言い方、まるで“理想論”だよ」


「ううん、私が見てるのは“現実”。傷つけられても、無視されても、それでもそばにいてくれる人は、何よりの宝物。そんな人を“間違い”って言われたくない」


風が、ふっと二人の間を吹き抜ける。

沖田はしばらく無言のまま、美月を見つめていた。


やがて、ふっと笑って、ポケットに手を入れる。


「……君って、思ってたより、強いんだね」


「違うよ。私は……強くなろうとしてるだけ」


沖田はその言葉に何かを思うように目を伏せ、そして背を向けた。


「じゃあ、気をつけて。君みたいなタイプは、敵をつくりやすいから」


「あなたも、そう思うの?」


振り返らずに、沖田は答えた。


「……さあ、どうだろうね」


その背中が遠ざかる。

残された美月は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


強くなろうとしている。

でも、心の奥底には、やはりどこかで震えている自分がいる。


(沙耶は……大丈夫かな)


そう思いながら、重たい足を前に出した。

“間違い”なんかじゃない――その信念を抱いて

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