影の引き渡し

 深夜三時。

 都心を走るタクシーの数は、すっかり減っていた。

 ビルの谷間にぽつぽつと灯る明かりは、残業と眠れぬ者の証。

 だが、その光のいくつかは、誰もいない部屋を照らしているように見えた。


 封筒に入れた写真は、後部座席に置いていた。

 見るべきではない。

 触れるべきでもない。


 だが、ミラー越しに――どうしても視線が吸い寄せられてしまう。


 まるで、後部座席にそれを見つめる“誰か”がいるような気配。


 再びスマホが震えた。


 通知:「共有リンクを受け取りました ― 1127号車:佐久間」

 内容:「この写真、もう一度見てくれ」


 添付された写真を開くと、写っていたのは見覚えのある女の顔。

 ――だが、その背景に見慣れない光景が写り込んでいた。


 古い都営団地の非常階段。

 その一角に置かれた、折りたたみ式の白い椅子。

 そして、椅子の上に座った“子供”と、その背後で俯く女。


 ……少年は、第二話の“助手席の子”と同じだった。


 そしてその女は、第五話「焼け跡に立つ影」で、

 俺が写真の中に見たあの“火の中の女”だった。


 ――繋がっている。


 バラバラに見えていた乗客たちの間に、見えない“記録の線”が存在している。

 そしてその中心にいるのが、あの女。


 “記録されることで存在し続ける”その女は、

 都市伝説ではすでに“写真の女(しゃしんのおんな)”と呼ばれていた。


 《夜のタクシーに一人で乗るな》

 《写真に写っていないのに、映像には残る女がいる》

 《火葬された双子のもう一人が、写真の中で生きている》


 幾つかの話が、SNSや匿名掲示板で語られていた。


 都市伝説だと思っていた。

 だが、その記述のいくつかは、俺自身が経験した現象と一致していた。


 俺は佐久間にメッセージを返す。


 「この女……“写真に写った順”に、誰かに乗り移ってる気がする」


 すぐに返事が来た。


 『それ、あり得る。俺の後部座席、さっき誰かが勝手に降りた。

  ドアは開いてない。だが、重量センサーが一瞬ゼロになった。』


 写真が、宿主を“渡している”。


 シャッターを切るたびに、

 記録が増えるたびに、

 女は乗り移る――次の誰かへと。


 それが「影の引き渡し」。


 “誰かが見たとき”、

 “その記録が共有されたとき”、

 “呼ばれていない名が名簿に載ったとき”、

 その女は移動を完了する。


 つまり今――

 俺のスマホに送られてきたその写真を見た瞬間、

 女は、佐久間から俺の車へと移ってきたのだ。


 と、気づいたときにはもう遅い。


 ルームミラーを見たわけではない。

 だが、確かに後ろに何かがいると分かった。


 座席が沈む感覚。

 シートベルトが、何かを押し返すような張り。


 俺は静かに、メーターを押した。


 【実車】


 乗せてしまったのなら、目的地まで送り届けるしかない。


 例え、その行き先が“記録にない場所”だったとしても。

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