消えるルート

 クラウドに保存された“あの写真”を見たとき、俺は本能的にスマホを機内モードにした。


 もはや意味のある行為ではないとわかっていても、何かを遮断したかった。


 だが、すでに遅かったのかもしれない。


 スマホのGPSが、勝手に起動していた。


 アプリも開いていないのに、現在地の共有がONになっている。


 それだけじゃない。


 画面下に小さく表示されていたのは――「共有先:深夜の記録」。


 そんなグループは作った覚えもない。

 履歴をたどろうとしたとき、地図アプリが唐突に立ち上がった。


 そこには、自分が辿ってきたルートが細い赤線で描かれている。

 だが、その線は途中で消えていた。

 火の見櫓のあたりで、道がぷつりと途絶えているのだ。


 そして、そこから別のルートが分岐していた。


 薄く、滲むようなグレーの線。

 だがそれは、明らかに“この世の地図には存在しない”場所へ続いていた。


 線は谷中を抜け、霊園の裏手へと続き――

 やがて、**「旧火葬場跡地」**という表示のない区画で終わっていた。


 俺は思い出した。


 以前、古い地図を調べたときに一度だけ見たことがある。

 この場所には、戦前の地図でだけ記載された「仮設荼毘場」があった。


 関東大震災のとき、膨大な遺体を一時的に焼くために作られた施設。

 だが、終戦後すぐにその存在は抹消された。

 名簿も残っていない。管理記録もない。

 「ここで誰を焼いたか」は、誰も知らないままになっていた。


 それでも、その場所に導かれている。


 なぜか――わかっていた。


 「写したからだ」


 写真に収めたその瞬間、彼女はこの“ルート”に存在を持った。


 逆に言えば、この道を通った人間の記録に、彼女は“入り込める”ようになったのだ。


 そして、今夜のルートもその一部になる。


 俺の足跡に、あの女が“紐づいた”。


 この先、何が起こるのか。


 「……俺が、最後の配達員になったのか」


 誰にも頼まれていない客を、

 記録に残らない道を通って、

 記憶にも残らない場所へと送り届ける。


 だが、写真だけは残る。

 写真だけが、“そこにいた”という証になる。


 俺は静かに、車のエンジンを切った。

 今夜の営業は、ここで終わりにする。


 だが、車内はまだどこか“ざわついていた”。


 まるで、後部座席で誰かが、もう一度何かを訴えようとしているように。


 スマホの画面を開くと、クラウドに同期された“深夜の記録”の中に、

 一枚だけ、モノクロの画像が混じっていた。


 そこには、火の見櫓の下でこちらを見上げる女の姿があった。


 その足元には、焼けた名札のようなものが落ちている。

 写真を拡大する。

 だが、名前の部分だけが完全に黒く潰れていて読めない。


 ただ、写真の右上に、手書きの文字のようなものが浮かんでいた。


 「また来てくれて、ありがとう」


 それは、心の奥に刷り込まれるような筆跡だった。

 どこかで見たような――

 いや、何度も“受け取っていた”ような感覚。


 そうだ、かつて谷中霊園のトイレの壁に書かれていたあの落書きと、同じだった。


 俺の知らないはずの記憶が、徐々に“埋め込まれていく”。


 火の見櫓の周囲は、再開発が決まっている。


 あの旧火葬場跡も、まもなく区画整理され、消えていくはずだった。


 でもそれは――

 あの女の“居場所”が、また一つ減るということなのだ。


 そして彼女は、新しい“居場所”を探して、

 今夜も、どこかの後部座席に座っているかもしれない。

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