封筒の中の女
高島平の夜は、静かだった。
団地の窓のいくつかにはまだ明かりが灯っていたが、風に揺れる洗濯物の影だけが、道を行く俺の車のヘッドライトにゆらゆらと揺れていた。
都営三田線の終電が出てから三十分ほど。
流しの俺に、めずらしく電話配車が入った。
場所は、「高島平二丁目の○○写真館」。
――もう何年も前に閉業したはずの、あの古い写真屋だった。
“誰かがまた、あの建物に入ったのか。”
かすかに嫌な予感を覚えながら、ナビの指示に従い、建物の前につける。
店のシャッターは半開きで、わずかな灯りが中から漏れていた。
やがて、店の中からゆっくりと、女が現れた。
背中を丸めた白髪の老婆。
身なりはしっかりしていたが、季節外れの長袖を重ね着し、その手には分厚い封筒を抱えていた。
⸻
「……タクシーの方?」
「はい、○○写真館前からの配車でお間違いないですか?」
「ええ。……少しだけ、寄りたいところがあるの」
老婆はそう言って、ゆっくりと後部座席に滑り込んだ。
俺は軽く会釈して、車を出す。
「ご指定の場所は?」
「……志村坂上の霊園脇まで。あの桜並木のほう。
着いたら教えてちょうだい。そこで、写真を燃やすから。」
「……写真を?」
老婆はうなずき、膝の上の封筒を撫でた。
⸻
「ねえ、運転手さん」
「……はい?」
「人ってさ、“写る”っていう言葉、どういう意味だと思う?」
問いの意味が掴めず、黙っていると、彼女は封筒の口を開けて、数枚の白黒写真を取り出した。
「これ、全部ちがう場所、ちがう時代。
小学校の集合写真もあれば、旅行のスナップもある。
でもね――この女、全部に写ってるのよ」
見せられた写真は、どれも古びた印画紙で、色あせたものばかり。
昭和後期の小学校前、都営団地の運動会、喫茶店のカウンター、社員旅行らしい集合写真――
そのどれもに、黒髪の長い女が、端に、あるいは人影の中に、ひっそりと写り込んでいた。
⸻
「昔ね、この写真館でアルバイトしていた子がいたの。
現像中、よく言ってた。
“この女、また写ってる”って。
でもね、撮った人は誰も気づいていなかったのよ。
フレームの端にいることもあるし、窓にだけ写ってることもあった。
だけど、決まって……そのあと、写真の中の“誰か”が死ぬのよ」
俺は、思わずミラーを覗いた。
老婆は封筒の中の一枚を取り出し、それをそっとシートに置いた。
それは、俺が“見た”ことのある写真だった。
団地の前で整列する子供たち。
最上段の端に立つ、黒髪の女。
その女が――こちらを見て、笑っていた。
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