消えゆく君に

りく

第1話

「約束をしたんだ」そういって消えた友達を男はずっと待っている。

 友達はよく笑う男だった。陽気な音楽と酒をこよなく愛し、飲み屋で隣の席になった人とも店を出る頃には昔からの親友のように肩を組み暖簾をくぐるような人ったらしな男だった。

 みんな太陽みたいにカラッとしたその笑顔に魅了され、惹きつけられてしまう。だけど男は、自分だけは周りの害虫たちとは違う本当の"友達"だと信じていた。


「でもあなたの前から彼は黙って消えたんだろう?」

「いや、違うんだよ刑事さん。僕だけは違うんだよ。彼の本当の姿は夜空に浮かぶ三日月みたいに冷たくて鋭くて、そして僕の心を包み込んでくれる柔らかな光の持ち主なんだ」


 男は恍惚とした顔を浮かべながら消えた友達"坂沼武司"について語る。これでこの会話も6回目だ。繰り返される坂沼への信仰心とも取れる会話に刑事はイラつきを隠せないように大きなため息をついた。


「大井さんよォ、その話はもう置いといてくれ。坂沼が消える前にあった人間はお前なんだ。あの日、坂沼とお前に何があったんだ?それともなんだ、その恋心から坂沼を殺して埋めたのか?」


 刑事は大井を睨むようにして言葉を重ねるが、肝心の大井は困ったように笑うだけだった。


「刑事さん、動機が恋心なんてそんな安易で陳腐な言葉今どきのアイドルだって歌いたいやしませんよ。それに私は坂沼さんをどうこうしたいとも、しようとも思ってませでしたよ。今だってそうですよ。私は刑事さん、あなたの顔を見るより坂沼さんの顔を見たいし、あなたの声を聞くより坂沼さんの声を聞きたい。そのためには生きててもらわなきゃいけないんですから」


 ね、殺す動機なんてないでしょと言わんばかりに口の端だけを上げニヤニヤと笑う大井に刑事は面倒なやつだと頭をかいた。

 嫌なやつに嫌な事件、嫌なことしかない。でもこれも仕事だから仕方ないと息を吐き刑事が大井に質問しようとした時、大井は突然思い出したかのように声を出した。


「あぁ、そうそう。事件の当日ですよね。当日はそうですね……いつものように夜の街を坂沼さんと楽しんでたんですよ。彼といつものようにハシゴ酒をして、何軒目だったけかな……もう覚えていないけど何軒目かで私にこう言ったんですよ」


 大井は目を閉じて語り出した。


 あの日はそうだなぁ、夏特有のジメッとした湿度と暑さで息苦しい夜だった。珍しく坂沼は自分では歩けないほどに泥酔していたので、大井が肩を貸して歩いていていたという。

「坂沼さん、飲み過ぎですよ」

「悪いね、肩まで借りちゃって」

「それはいいんですよ。ただ、何かあったんじゃないかと心配で」

 そう大井がいうと坂沼は酒臭いため息をついて静かに語り出した。

「なぁ……君にだから本当のことを言うんだが、僕は人が怖いんだ。嘘じゃないさ。本当のことだよ。怖くて怖くてたまらないんだ。だからきっと毎日こんなにも酒を飲んでいるんだろうね。酒はすごいよ万能だ。僕を僕じゃなくさせてくれる」

「お酒を飲まなくたって、坂沼さんは楽しい人じゃないですか」

「それは本当の僕じゃないよ。きっと本当の僕を知ったら君も彼女みたいに僕から離れていってしまうだろうね」

 彼女とは誰だろうと大井は思ったが、まだ坂沼の話は終わらなそうなので黙って話を聞いた。

「彼女は僕に口下手で根暗でつまらない男って言ったんだ。面と向かって言われたのは初めてだったから思わず固まってしまったよ」

 クツクツと笑う坂沼に重たいような息苦しいような気持ち悪さを大井は感じた。

「それで彼女とはどうなったんですか?」

「それっきりさ。多分彼女からしたら僕は塵埃のように軽い人間だったんだろうね」

 坂沼は限界だったのだろう。大井の肩に更に坂沼がもたれかかった。

「でもさ、会えなくなる前に約束をしたんだ。僕が誰から好かれるような人間になった時、また会いに行くからと。でも、まだまだだね。いつになることか」

 


「そういって坂沼さんは卑下するように、でも楽しそうに笑ったんですよ。私は彼がどんな表情をしているか見てやろうとしたんですがね、その夜は、ほら、月が隠れていたでしょう。だから見えなかったですよ。坂沼さんがどんな顔をしているか、私には見えなかったんですよ」


 大井は目を開けて刑事を見つめた。

 その目の奥にはグラグラと煮えたぎる何かが揺れていた。


「だから坂沼を殺したのか?」


 今度は否定せずまた大井はあの口の端だけを上げるような引き攣った顔で笑った。それはとても気持ち悪くて嫌な顔だった。

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