第8話 魔法兵

 前夜の疲れが抜けきらぬまま、オズベルたちは再び列を成していた。


 目の前には、広がる丘陵。数日前とは比べものにならない――まるで“戦争”そのものを見せつけるような、規模の違う戦場だった。


 砦の外へ出てなお、部隊は進軍を続けていたが、どうやら今日はこの高台を拠点にするらしい。野営地として指定された谷の手前には、すでに多数の兵が布陣し、帷幕(とばり)が張られ、馬が繋がれている。見知った顔もあれば、初めて見る鎧の紋章もあった。


「見ろよ、あれ……」


 ロイが呟くように言い、顎をしゃくった。


 その先――列の横を、三人ほどの兵士がゆっくりと歩いていた。


 だが、異質だった。肩口に銀糸の刺繍、腰には剣ではなく細身の杖、衣の裾には火を象ったような赤い紋様。


「……なんだ、あれ。兵士か?」


 オズベルが思わず尋ねると、横にいた年配の下士官がぼそりと答えた。


「あれは魔法兵(まほうへい)だよ。王国じゃ“戦術魔導士”って呼ばれてる。戦場じゃ珍しかねぇ。特に、ここみたいな規模の戦じゃな」


 その言葉に、オズベルは思わず息をのむ。


 魔法――それは、幼い頃に聞いた伝承のような話の中にあるものだった。炎で敵を焼き、雷で馬を倒し、風で矢を弾く。どこか現実味のない力のはずが、目の前を通り過ぎた男たちからは、確かに“空気”が違っていた。


「使える奴は限られてる。血筋か、稀な適性か。だから貴族連中は囲いたがるし、王直属の魔導団なんてのもある」


 そう言って男は肩をすくめた。


「だがな……あいつらは“兵”じゃねぇ。人を焼くための“兵器”だ。あの杖が動いたら、味方だろうと巻き込まれるぞ。気をつけろ」


 警告とも嫌悪ともとれる声音だったが、オズベルはその言葉を黙って飲み込んだ。


 “戦争”とは、こういうものなのか。


 力ある者が、何十、何百の命を一瞬で焼き尽くす。剣も槍も届かぬうちに、戦の趨勢が決まってしまうかもしれない。


 それでも、自分の手には槍しかない。


 錆びた鉄の刃。泥にまみれ、幾人かの命を奪った父の形見。


 オズベルはその柄を握り直し、足元の土を確かめるように踏みしめた。


 陽が昇りきるころ、全軍へ命令が下された。

 砦から出撃した部隊は、いくつかに分かれて丘の麓へ展開。オズベルたちが所属する第七列隊は、中央左翼の補強要員として配置されていた。


 布陣後、すぐに矢文が飛び交った。味方の射手たちが、谷の向こうに陣取る敵に向けて警戒の信号を送り、その返答に――火球が空を駆けた。


「……魔法、か」


 誰かが呟いた。空を引き裂くように走ったそれは、轟音と共に着弾し、谷の一角を爆ぜさせた。火の粉が舞い上がり、敵の野営地を飲み込む。


「先遣魔導師団、展開完了とのこと!」


 伝令が走り、各部隊へ伝えて回る。


 そう――味方の魔法兵たちが先に布陣し、戦の口火を切ったのだ。


 しかし、敵も黙ってはいなかった。すぐに反撃が始まる。


 風が巻き、炎が跳ね、光が走る。もはやそこは、“剣”や“槍”ではなく、“術”が支配する領域だった。


「すげぇな……あんなの、どうやって戦えばいいんだよ……」


 ロイが呆然とつぶやき、隣でユーグも黙って見ていた。


 だが、その一方で、オズベルの中には言い知れぬ感情が沸き上がっていた。

 恐怖か。畏怖か。それとも――嫉妬か。


 同じ“兵”でありながら、まるで次元の違う存在。

 だが、それでも自分たちは、この槍を持って、命を懸けて、戦場に立つしかない。


 そして、そのとき――


 「歩兵、前進! 第三、第四列、敵左翼に圧力を!」


 号令が響き、オズベルたちの隊にも伝令が走る。


「第七列、予備兵力として中央の穴を埋める! 荷物を置いて走れ!」


 走れ――またか。


 オズベルは、槍を背に結わえ、脇に吊るした干し肉の袋を放り捨てた。隣を見ると、ロイも同じく頷いていた。


「やるしかねぇな」


「ああ」


 彼らは、魔法を使えない。剣も、術も、何もない。

 だが、だからこそ、足を使い、腕を使い、槍を振るうしかない。


 坂を下り、丘を駆ける。


 味方の布陣の隙間を縫って中央へ。砲火の中を駆け抜けると、そこには、すでに戦闘に入っている別部隊の兵がいた。


 敵が来る。

 青と銀の旗が風に翻り、再び、あのアルベルンの兵が――地を蹴ってくる。


「槍を構えろ!」


 誰かが叫ぶ。


 だが、整列など到底間に合わない。互いに押し合いながら、槍を突き出す。


 オズベルの手が勝手に動いていた。目の前の敵――その胸を狙い、突く。


 血が、飛ぶ。


 動じない。動けなくなっていた。


 否――もう、“慣れて”きているのだ。

 泥に、血に、叫びに。自分が“殺す側”にいるという、この現実に。


 斜め後方にいたユーグが叫んだ。


「オズベル、右! 盾兵来てる!」


 咄嗟に振り返ると、敵の盾兵が弧を描くように接近していた。矢面に立った味方の兵士が、盾ごと押し倒される。


 まずい――。


 オズベルは槍を振り抜いた。

 だが、相手の盾に吸われる。重量差で押される。


 そのとき、ユーグが割って入った。


 「どけぇッ!」

 鍬のような武器を振り下ろし、敵の盾に亀裂が走る。


 その隙に、オズベルが突いた。


 金属の音、叫び、そして――敵が崩れる。


「ありがとよ」


「まだ死ぬなよ」


 そのやりとりに余韻もなく、戦場は流れていく。


 そしてその背後――轟音が再び、戦場を揺るがせた。


 味方の魔法兵が、最前線にまで迫っていた。


 空を裂いた火矢が、敵陣をなぎ払う。地面を這うように広がる火線は、見境なく草を焼き、空気を焦がした。


 その熱気の中、敵の列が大きく乱れる。


 ――今だ。


 味方の指揮官が叫んだ。突撃の合図だ。


 オズベルも、走った。槍を構え、泥に足を取られながら。


 術が、剣が、槍が交錯する。魔の火線の中、彼は再び、“一歩”を踏み出していた。


 突撃の合図は、戦場を震わせる一撃の法術と共に始まった。

 前線に展開していた魔法兵団が敵の防衛線を穿ち、歩兵に進撃の道を開いたのだ。


「抜けろ、今だ! 突破口ができた!」


 味方の将兵たちが叫び、オズベルたちの隊もそれに続く。

 濛々と立ち昇る煙の中、焼け爛れた地面を踏みしめて、彼らは進んだ。


 ――地獄に、また一歩。


 瓦礫と焼けた布片が、風に舞っている。視界は悪い。だが敵も同じだ。

 突撃は混沌を孕む。今ここで勝機を逃せば、また炎に呑まれるだけだ。


 オズベルは槍を握り直す。焦げた革の手袋が音を立てた。


 目の前――煙の帳の中から、黒い影が飛び出した。


 敵だ。槍兵。


 咄嗟に踏み込む。重い体を生かし、正面から力で押しつぶす。

 槍先が敵の肩をかすめ、相手の体勢が崩れた。


 その隙に、味方の兵が突き、倒す。


「ナイスだ、オズベル!」


 ロイの声が聞こえる。息を切らしながらも、どこか高揚している。


「魔法兵の支援、まだ続いてる! もう一押しだ!」


 確かに、背後からは再び法術の奔流が押し寄せていた。

 風がうねり、炎が咆哮する。そのたびに敵の列が削られていく。


 魔法――それは戦場を変える力だった。


 それでも、敵は簡単には崩れない。


 オズベルの脇を、敵兵が駆け抜けた。斧を構えた男が、仲間の兵に向かって振りかぶる。


「――やらせるか!」


 咆哮と共に、オズベルは槍を投げるように突き出した。

 全体重を乗せた一撃が、斧兵の胴を貫いた。


 血が噴き、男が崩れ落ちる。


 ……まだ終わりではない。


 敵の増援が見える。小丘の背後から、整然とした陣列が現れた。

 盾と槍を構えた部隊、そしてその中央には――


「……魔法兵、か?」


 黒い外套を纏った男が、ゆっくりと手を掲げる。


 瞬間、空気が軋んだ。耳鳴りがする。地が揺れる。


 魔導――敵の、反撃だ。


 閃光。


 次いで、雷鳴のような轟音。

 前線の味方部隊が、まとめて吹き飛ばされた。


「くそっ、下がれ! 遮蔽を取れ!」


 指揮官の叫びが届く前に、もう次の詠唱が始まっている。

 敵の魔法兵が、二の矢を放つ。


 ――オズベルの脚が、勝手に動いていた。


 咄嗟に、倒れていた木箱の影に飛び込む。

 直後、耳元で爆音が轟き、全身が地に叩きつけられた。


 ……しばらくして、ようやく音が戻ってきた。


「オズベル!」


 ロイが駆け寄ってくる。彼の頬も血で汚れていたが、無事らしい。


「……まだ、生きてる」


 呻くように答える。体は痛むが、動く。


 生きている。戦場で、再び。


「くそ、あの魔法兵……放っといたら、全部焼かれるぞ……!」


「だが、槍じゃ届かねえ……」


 膠着が始まりかけていた。味方の攻勢が止まり、敵の魔法支援が勢いを増す。


 このままでは――また、誰かが死ぬ。


 オズベルは、ぐっと槍を握りしめた。


 ここで、何かをしなければ。


 その瞬間――背後から駆け抜けてきた影があった。


 帝国軍の騎馬――ではない。

 背に杖を背負い、歩兵のような服装のまま、単身で敵の方陣へ突っ込んでいく。


「あれ……魔法兵か?」


 小柄な体。だがその周囲には、確かな気流の渦が巻いていた。


 風が割れた。


 彼(あるいは彼女)は、敵の魔法兵の詠唱の刹那、杖を振りかざし――


 稲妻を落とした。


 閃光がすべてを呑んだ。


 敵の陣が沈黙する。


 味方が、歓声を上げた。


 戦局が――傾いたのだ。


 そして、オズベルは、その光景をただ黙って見つめていた。

 槍しか持たぬ己が、戦の中で見るべきものの大きさを、また一つ知った。


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