第24話 再会②
12歳の、あの日。姉の苦しみを和らげたい一心で、一晩の身代わりを申し出た黒島のもとに、莉子は帰ってこなかった。そればかりか、莉子と共に、2つ年上の少年と教団の金庫の中身がごっそり消えていた。怒り狂った教祖は、男のくせに神の花嫁になりたいのならさせてやる、と儀式の続行を命じた。
昏い天井に松明の火影が揺れる。ドコドコと高まっていく太鼓の音。大人達が黒島の手足を持って祭壇に押さえつける。視界がぐらついて仕方がない。うねるような旋律を持った祈りの声だけがやたらと鮮やかに聞こえる。祭壇に抑え込まれた黒島に施されたのは、「狼に似せた」化粧などではなかった。肉切り鋏を構えた教祖が覆いかぶさってきて――切り裂かれた瞬間の記憶はない。祭壇を少し離れて眺めていたような1コマだけが、色褪せた写真のように頭に残っている。
口を裂かれた後、黒島は納屋に放り込まれた。蒸し暑い納屋の中で、傷口も洗わぬまま蠅にたかられた。雑菌にも感染したのだろう。高熱に冒され、「幸いなことに」朦朧としていたおかげで、生きたまま虫に喰われる感触などは憶えていない。ただ、ぼんやりと莉子の花開くような笑顔を思い浮かべていた。大好きで、たった1つ、守りたかった姉の笑顔。初めて愛した女は、未熟な翼を羽ばたかせて、おぞましい巣から墜ちていった。
優美な眉が歪んで、黒島の双眸が開かれる。毎度の悪夢。やはり、遠慮せず、今晩も宇津木に添い寝してもらうんだった。そっと、梯子を下りる。寝ているところを起こすのは忍びなく、ただ宇津木に寄り添うように身を横たえた。
宇津木は、周囲には、実家は熱海の温泉旅館だと言っていた。話を聞けば、ずいぶん大きい旅館のようなので、てっきり、ぬくぬく育ったボンボンなのかと思っていた。明るく、さっぱりとして、人懐っこい性格も、翳りのない生い立ちゆえかと思っていたのだが。今回の作戦に入って初めて聞いた実際の生い立ちは、十分、壮絶といえるものだった。
――それでもなお、笑っていられるんだな。
ノーテンキな奴め。さらりと銀髪を梳かすと、銀色の睫毛に縁どられた瞳が開かれる。
「…なんだよ。眠れねぇのか」
囁く低音に、黒島は腰骨が疼くような気がした。宇津木が半身を起こして黒島の頭を抱き寄せる。独り寝できない黒島のケアだと言いつつも、その愁いを帯びたような独特の色香は抱けば抱くほどに匂い立ち、引きずり込まれそうになる。
「…恥ずかしい…」
――はァ!?今、何つった!?
何か聞き違えたかと宇津木が顔を上げると、黒島は大きく余ったシャツの袖で口元を覆っていた。目尻や耳介が、ほんのりと赤らんでいる。ちろりと上げられた瞳が、困ったように宇津木を見た。
「こんな…抱かれないと眠れないなんて…。寝ているお前を起こしてまで」
すまない、と小さく呟いて、黒島は袖を上げ、顔を覆ってしまった。顔を隠して震える、しなやかな肢体。見慣れた黒島の強い瞳が隠されると、その身体はことさらに艶めかしく、倒錯的にさえ見えた。
「今日はずいぶん、しおらしいじゃねぇか。なんだ?新手の悩殺テクか?」
宇津木が薄く笑って、顔を覆う袖をよけた。
「…いーんだよ。昔のことは変えらんねぇだろが」
仄紅く染まった目尻にキスを落とす。宇津木が黒島の頬の傷を指でなぞった。
「あっ…そこは…」
柔く傷ついた魂まで触れられるような感触に黒島は悶え、身をよじる。
「そこまで含めて、お前なんだよ。…みんな知ってらぁ」
宇津木の右手が優しく黒島の髪を梳く。
「…もう寝られるか?」
宇津木が呟いた。
「ん…充分だ」
黒島が微笑んで、身を起こす。カーテンもない窓から薄青く入ってくる街灯に映し出される黒島の微笑が、あまりに優しく艶めいていて。こんな微笑い方をする奴だったのかと一瞬、見惚れた瞳は、そっと閉じられた。
「…おやすみ」
「ああ、おやすみ」
――そう、これは、ただの作戦行動。相棒をケアしているだけだ。
異邦の明かりに浮き上がり流れてゆく、ひとひらの夢。
〈つづく〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます