第四章

第19話 補佐官代理

 補佐官代理という役目は、想像していたよりはるかに忙しい。

 ヴァルトが臥せっているとはいえ、これまでこの仕事を彼ひとりでこなしていたなんて――正気の沙汰ではない。


 復興の真っ只中にあるフェルシェルでは、決めなければならないことも、伝えなければならないことも、山のようにある。

 民の生活に必要な物資や施設、その調達方法、配布先――どれも急ぎで確実な判断が求められる。

 本来ならそれはヴァルトの役目だが、リヴィアを助けた際の大怪我で、彼は動き回ることができない。

 必然的に、その仕事の多くがリヴィアに回ってきていた。


 判断が難しいものは、その都度ヴァルトに直接確認し、また現場に戻って伝える。

 非効率でしかない。しかも口頭での伝達では、どうしても誤解や伝達ミスが生じやすい。その後始末にも時間を取られてしまう。


 本来リヴィアが担うはずだった帳簿の管理や、騎士たちへの通達文、王都との連絡文の作成も並行して行わねばならず――


 まさに目が回るような忙しさだ。リヴィアも、すでにぐったりしていた。


 (なんとかならないかしら……)


 せめて識字率がもっと高ければ、口頭ではなく文字で伝達できるのに。

 同じ説明を何度も繰り返さなくて済むし、書き残しておけば、途中で担当者が変わっても紙を渡すだけで済む。


 だが、たとえ読み書きができたとしても――紙そのものが足りない。

 リヴィアが王宮で使っていたような上質な羊皮紙など、ここではまず手に入らない高級品だった。

 庶民には到底手が届かないと知り、リヴィアは頭を抱えた。


 できれば、多くの人の手を渡っても文字が消えず、何度でも書き直しができる――そんな羊皮紙の代用品がほしい。

 だが領主邸にある羊皮紙は、帳簿や王都への手紙に使う分だけ。再利用など論外だ。

 騎士たちへの通達にはリネン紙も使ってはいるが、これとて決して安くない。領民への指示に使うには、数の確保が難しい。


 頭を悩ませていると、イザベラが薬草茶を盆に載せて持ってきてくれた。


 湯気の立つ茶をすすりながら、リヴィアは考え込む。


 「そんな難しい顔して、らしくないね」


 茶を置きながらイザベラが軽口を叩く。リヴィアはため息交じりに、今の悩みを打ち明けた。


 「蝋板じゃだめかい?」


 「蝋板?」


 聞き慣れないその言葉に、リヴィアは小首をかしげた。


 蝋板とは、木枠で囲んだ板に蝋を塗ったもので、専用の尖った筆で文字を刻むらしい。

 何度も書き直すことができるうえに、比較的安価なのだという。


 「医者も、病状や薬草の名前を記録しなきゃならないからね。うちの人も、よく使ってたよ」


 商人や医者、修道士たちがやりとりに使っていると聞き、リヴィアの目が輝いた。


 (それだわ!)


 まったく新しいものなら、使い方を一から教えねばならないが、すでに普及しているのなら話は早い。

 その点、蝋板は最適だ。書いて、消して、また書いて。何度でも使える。


「後は――文字の問題ですね」


 リヴィアは頭を抱えた。今から文字を教えたところで、実用レベルに育て上げるには何年かかるかわからない。


「それね、領主様もずっと悩んでたよ」


 ヴァルトも同じ壁にぶつかっていたのだと知り、リヴィアは思わず身を乗り出した。彼はどうやって乗り越えようとしたのだろうか。


「一応、解決策は考えてたみたいだけど――」


 そう言ったイザベラが、ふいに吹き出した。まるで何かを思い出したかのように、肩を揺らして笑っている。


「いや、ごめんね。思い出したらつい。あんまりにも下手な絵でさ」


「絵……ですか?」


 予想外の答えに、リヴィアは目を瞬かせた。


 イザベラの話はこうだ。

 読み書きができなくても、絵なら意味が伝わることもある。だからヴァルトは、重要な告知などを絵と文字で掲示しようと考えていたらしい。


 けれど――


「領主様、絵心がからっきしでね。前に麦の絵を描いたら、どう見ても箒。あれには参ったよ、ぷっ……」


 また思い出したらしく、イザベラは口元を押さえて笑い続けた。どうやら相当にひどかったらしい。


「絵なら、私、描けますよ」


「ほんとかい?」


 眉をひそめるイザベラの顔には、露骨な不信の色が浮かんでいた。

 生活力は幼児並み、世間知らずで不器用なお嬢様――そんな印象のリヴィアが、絵を描けるとは到底思えなかったのだ。


 リヴィアはムッとして、傍らにあったリネン紙と炭筆を手に取った。


「見ててください」


 さっと手を動かし、目の前のイザベラの肖像を描き上げる。


 半刻程度の短い時間で描かれたそれを見て、イザベラは目を見開いた。


「……これ、本当にあんたが?」


 紙の上には、驚くほど写実的な自分の顔があった。素朴ながらも温かみがあり、特徴をしっかりと捉えたその絵は、そこらの絵師にも引けを取らない出来だった。


「はぁ……誰にでも、ひとつやふたつ、才能ってのはあるもんだねぇ」


 イザベラは感心しきりに絵を眺め、「寝室に飾ろうかね」などと呟いていた。


 リヴィアは、にっこりと笑った。

 ――これで道が開ける。文字が使えないなら、絵で伝えればいい。明日から蝋板の発注と、伝達用の絵の準備に取りかかろう。

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