第17話 領主として ※ヴァルト視点
大工とともに崩落した橋の視察に訪れたヴァルトは、胸の奥にざわりとした違和感を覚えていた。
橋は、両岸にわずかな痕跡を残すのみで、大半が濁流に呑まれ、跡形もなく消えている。
「これは……嵐のせいか?」
ヴァルトの問いに、傍らの管轄騎士が答える。
「村人の話では、かなり古い橋だったそうで……。自然に腐って落ちたのではないかと」
ヴァルトは黙って馬を降り、岸辺に残る橋の基部へと足を運んだ。
そして、そこに残された柱をじっと見つめる。
「……やはり、おかしい。柱に、刃物で切ったような跡がいくつもある」
それは橋を支えていた、最も重要な柱のひとつだった。
その表面には、明らかに鋭利な刃で刻まれた無数の切り込みが残っている。
自然にできるものとは、到底思えなかった。
――誰かが、意図的に橋を落とそうとしたのだ。
だとすれば、何のために。誰が、なぜ――?
そこまで考えた瞬間、ヴァルトの背中を冷たい悪寒が走り抜けた。
彼は即座に立ち上がり、馬の背に跳び乗る。
「どちらへ!?」
騎士が驚いたように問いかける。
「嫌な予感がする。私はフェルシェルの町へ急ぐ。お前は大工を村に送り届けたあと、戸締まりと警備を強化しろ!」
命じるやいなや、ヴァルトはためらいなく馬を走らせた。
途中、先ほどの騎士が機転を利かせて狼煙を上げていたようで、他の村に駐在していた数名の騎士たちが次々と道中で合流してくる。
やがて、フェルシェルの町が見えてきた――が、様子がおかしい。
町は異様なほど明るかった。
本来なら、家々の灯りはとっくに消え、静寂が支配している時間帯のはずだ。
ヴァルトの胸中にあった予感は、確信へと変わった。
(間に合ってくれ!)
脳裏に浮かぶのは、気のいい町の人々。いつも難しい顔をしているイザベラ。
そして――リヴィアだ。
町の入り口から広場へと馬を進めると、ヴァルトの目に飛び込んできたのは、多くの負傷者と、怯えた面持ちの人々だった。
賊の姿はすでになく、しかし荒らされた痕跡が町の随所に残っている。
(……間に合わなかったか)
胸を締めつけるような後悔が湧き上がるが、今すべきことは悔やむことではない。
「誰か攫われた者はいるか?」
ヴァルトは辺りを見渡す。
妙齢の女性や子どもたちの姿はそこかしこに見える。男たちは多くが怪我を負っているものの、広場には死者の姿は見当たらない。
(まさか、食料と貴金属だけを奪っていったのか……?)
――これは、ただの賊の仕業ではないのかもしれない。
ヴァルトがそう考え始めたそのとき、アンヌが血相を変えて駆け寄ってきた。
「ミラが――いえ、リヴィア王女様がお一人、連れ去られました!」
その言葉に、ヴァルトの全身から血の気が引いた。
「どういうことだ。詳しく話せ」
声が低く、鋼のように硬くなる。アンヌは肩で息をしながら、懸命に言葉をつなぐ。
「皆が寝静まった頃、賊が町に侵入してきました。全員を広場に集めて、男と年寄りは殺し、女と子どもを連れ去ろうと……。でも、ミラが――いえ、リヴィア王女様が、あたしたちを助けてくださって。自ら賊のもとへ……」
なんということだ。
この様子では、リヴィアは自ら正体を明かし、民を守るために犠牲となったのだ。
「……どちらの方向に向かった?」
「東です。ほんの先の刻のことですから、まだ追いつけます。奴らは馬で移動していました」
「――わかった。無事な者たちは怪我人を教会へ運べ。私が戻るまで、町の警戒を一切緩めるな!」
それだけ言い置くと、ヴァルトは馬の踵を返した。
「エリオス! ファレン! フィリップ! 三名、私と来い! 他の者は、町の負傷者の手当てと周辺の警備にあたれ!」
土煙を巻き上げながら、ヴァルトは馬を駆った。
「東の森に道がある。先回りして待ち伏せする!」
「了解しました、閣下!」
馬は森の獣道を全速力で駆け抜ける。
相手も馬で移動しているとはいえ、こちらは鍛え抜かれた軍用馬。市井の駄馬とは、速度も持久力も段違いだ。
森の出口に差しかかったところで、ヴァルトは手綱を引き、馬を止めた。そして周囲の気配を探るように鋭く目を細める。
一足先に偵察に出ていたファレンが、木々の間から馬を走らせ戻ってきた。
「賊は十人ほど。リヴィア王女らしき女性も、馬に乗っております。まもなく、この辺りに差しかかるかと」
「ご苦労だった。――これより、賊に奇襲をかける」
ヴァルトは短く息を整え、すぐさま指示を出す。
「エリオス、弓の用意を。先手を取るぞ」
そこからは、一方的な戦いとなった。
エリオスの放った矢が賊の一人に命中し、混乱に陥った彼らは、なすすべもなく次々と制圧されていく。
それを不利と見たのか、賊の頭目らしき男が、リヴィアを連れて逃走を図った。
「リヴィア! 待てッ!」
ヴァルトは即座に馬を向け、頭目を追う。
焦った男はリヴィアの馬の手綱を放してしまった。
そのせいで馬はさらに興奮し、恐怖に駆られて暴走を始める。
「リヴィア、手綱を引け! 首元を探せ!」
必死にヴァルトが叫ぶ中、リヴィアは両手で首元を探った。
だが、うまく手綱を掴めない。
ようやく指先に革の感触を捉えた、その刹那――馬が大きく跳ね、リヴィアの体が横へと傾いた。
ヴァルトは反射的に鞍を蹴り、空へと身を躍らせた。
風を切って落ちてゆく中、地面すれすれで彼女を抱きとめる。
二人の体はそのまま勢いのまま転がり、乾いた音を立てて地に叩きつけられた。
背中に鋭い衝撃。肺が潰れたように空気が押し出され、呼吸が止まる。
だが、それでも構わなかった。
ヴァルトは、自分の腕の中で硬く震えるリヴィアを、決して離さなかった。
「なんて無茶をするんだ……」
搾り出すように言った声に、リヴィアは小さく震え、「……ごめんなさい」と素直に頭を下げた。
その様子が、どこか彼女らしくなくて、ヴァルトは不思議に思い顔を覗き込む。
すると、アメジストの瞳がじっとこちらを見つめ返していた。
それは、かつて見たことのある、懐かしい色だった。
ふっと口元が緩む。抑えようとしても、笑みがこぼれてしまう。
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