07 兄弟喧嘩
高森の家。
長束、家の外観を眺めている。
さくら、長束の隣に立つ。
さくら また喧嘩ですか。
長束 ……。
さくら もう私に仲裁役は出来ないというのに。
長束 ……。
さくら 洋兄様。
長束 ……お前は幻想だ。幽霊の存在なんて、現実的にありえない。
さくら 渉兄様は、ちゃんとお話ししてくれましたよ。
長束 ……。
さくら 藤崎さんをあまりいじめないでくださいね。
長束 彼女は無関係だから?
さくら ええ。
長束 渉が大事にしているものなら、もちろん、彼女も例外ではない。
さくら 藤崎さんのことがお嫌いですか?
長束 ……。
さくら 幸せになってほしいと思わないのですか?
長束 思わないね。彼女は他人だ。
さくら そうですか。
長束 ……でも、お前には幸せになってほしかった。
さくら その優しさを少しだけ、渉兄様にも分けてあげてください。
長束 それは出来ない。
さくら 兄様方は、お酒と氷ですね。足して割ったら丁度良いのですけれど。
長束 そんなことはない。
さくら わかっているはずですよ。本当は。
藤崎、やってくる。
藤崎 ……長束さん。
長束 こんにちは、藤崎さん。返事は決まりましたか?
藤崎 ……中でお話しします。どうぞ。
藤崎、さくら、一瞬目を合わせる。
さくら、微笑んで去って行く。
藤崎、長束、向かい合って座る。
藤崎 お茶をお出ししますね。
長束 お気遣いなく。
藤崎 あ、長束さんは猫舌ですか?
長束 いえ、俺は。
藤崎 兄弟でも、違うんですね。
長束 同じ所なんて、そうそうありませんよ。あなたの方がよくご存じでは?
藤崎、長束にお茶を出す。
藤崎 私のこと、調べたんですね。
長束 それが本業ですから。
藤崎 探偵さんって、意外とお暇なんですね。
長束 必要なことには惜しみなく時間をかけているだけですよ。
藤崎 必要なことですか?
長束 あなたを救う為に。
藤崎 私を?
長束 あなたはここにいてはいけない。いくら待っても、渉は帰ってこないんですから。
藤崎 ……どうしてそんなことがわかるんですか。
長束 三日、待ってみて渉から何か連絡がありましたか?
藤崎 ……いいえ。
長束 藤崎さん。俺だってただの嫌がらせでこんなことを言っているわけではないんです。あなたは今まで苦労をしてきた。そろそろ報われてもいいはずです。
藤崎 ……どこまでご存じですか。私のこと。
長束 あなたは私の娘……夏子と似た境遇で育っていますね。けれどもあなたの方は、夏子と違って環境に恵まれなかった。理解してくれる友人もいなければ、助けになってくれる大人もいなかった。
藤崎 ……。
長束 あなたは家族の中にいながら、両親にはいないものとして扱われていた。父親からすれば、自分の種ではない子供という事実を公にしたくなかったのでしょう。そして母親の方も、あなたを相手にしようとはしなかった。あなたは世間体という壁に守られていたから、かろうじてその家で生活することを許されていただけに過ぎなかった。その生活は、さぞ味気ないものだったでしょうね。
藤崎 ……私の母は、若くして父の家に嫁いできたんです。母は父を慕っていましたが、父の方は、美しい母を見る他の男の人の目を気にして、母の思いを信じ切れずにいました。母は父の家で働いていた一人から、暴力を受けて犯されました。父はその人をすぐに追い出しましたが、母の方にも誘惑した非があるとして、母を責めました。母は私を愛してくれましたが、それ以上に、父からの愛を失うことを恐れていました。家の中で、確かに私は居心地がとても悪かったのを覚えています。子供でもわかるんです。私は必要とされてないんだって。でも、祖母は私に読み書きを教えてくれましたし、兄弟も私と一緒に遊んでくれました。あなたが思うほど、私は自分が不幸せだとは思ってません。
長束 ならばなぜ、東京に出てきたんです?
藤崎 ……。
長束 隠されていたあなたの出自を、ご兄弟も知ってしまったのではないですか? 上辺ではいつも通りに振る舞っていても、あなたを見るご兄弟の目が他人を見るものに変わってしまったから、あなたは耐えられずに家を出てきたんじゃないんですか?
藤崎 ……「水仙童話」はご存じですよね。
長束 ええ。
藤崎 先生の作品で一番最初に読んだのがあの本だったんです。主人公が最後、どうなるかご存じですか?
長束 いいえ。
藤崎 自殺するんです。主人公の女の子。
長束 ……。
藤崎 でも、絶望して自殺するんじゃなくて、今世でこんなに苦労をしたから、来世でどんなことがあっても乗り越えられるだろう、って自殺するんです。
長束 ……。
藤崎 でも、途中までは死のうとする描写は一切ないんです。むしろこれからの人生に期待するようなことばかり書かれていて。だから、どうして自殺なんかしたんだろうって謎が残るんです。
長束 ……それが、何か?
藤崎 長束さんはわかりますか?その子がどうして死んでしまったのか。
長束 生憎、芸術には疎いもので。
藤崎 ……。
藤崎、長束の後ろに誰かがいるかのように視線を向ける。
長束、藤崎につられて後ろを見る。
長束 ……何か?
藤崎 ……。
長束 藤崎さん?
藤崎 私は、わかりますよ。主人公が自殺した理由。
藤崎は長束ではない誰かに向けて話す。
長束 ほう?
藤崎 弱いから自殺するんじゃないんです。強いから、自殺するんです。
長束 は……?
藤崎 弱い人は、死ぬことすら選べないんですよ。自分で死ねる人っていうのは、それだけ強いってことなんです。
長束 ……あなたの言い分は、生きることから逃げている弱い人間のものとしか聞こえませんね。わざわざ死を選ぶくらいなら、その活力を生きることに使えばいい。
藤崎 だから、主人公は一生懸命に生きて、死んでいったんです。この世の美しさを目に焼き付けて、やりたいことを全部やって、悔いのないように死んだんです。季節限りの水仙のように、球根を残しておけば、次もまた咲くことができるから。
長束 ……文学の解釈は、どうもよくわかりませんね。
藤崎 そこに女心も付け足しておいてください。
長束 ……は?
藤崎 長束さん、恋をしてる女の子って、強いんですよ。一途に、盲目に、何でも信じられるんです。好きな人のためだったら、何でもできるんです。
長束 ……それが何か?
藤崎 私だってこの三日間、何もしてなかったわけじゃありません。
長束 たった三日で何ができたというんです?
藤崎 一人じゃ何もできませんでした。でも、私はもう一人じゃない。
戸を叩く音。
藤崎 はい、ただ今。
藤崎、戸を開ける。
島津、入ってくる。
島津 良かった。間に合ったようだな。
藤崎 島津さん……!
高森、入ってくる。
珍しく洋装の高森。
高森 ただいま、藤崎君。
藤崎 先生……!
藤崎、高森に抱きつく。
藤崎 おかえりなさい!
高森 ただいま、藤崎くん。
長束 ……なるほど。これは予想外だ。どうやって逃げ出したんだい?
高森 窓を割って……というわけにもいきませんから。鍵を見つけてきてもらいました。
長束 鍵だって?
高森 もちろん、本物の鍵は無理です。でもそれ以外で代用できる。
長束 新たに作ったと?
高森 まさか。あの形だったら、針金で少し工夫すれば簡単に開けられるんですよ。島津君が来てくれたのでそれができました。
島津 ……。
長束 お前が警察の手を借りるとはね。
高森 利用できるものは利用する。ただそれだけです。
長束 それで?お前は無事に彼女の元へ戻ってきたわけだが。
高森 もちろん、あなたをこのまま大人しく返すわけにはいきません。
長束 だろうね。
長束、立ち上がる。
長束 さあ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。
高森 するわけないでしょう、そんなこと。
長束 そこの若い二人の前じゃ、手荒なまねはできないと?
高森 まさか。一部始終を聞きました。あなたのお節介にはうんざりします。昔からそうだ。
長束 さて、何のことやら。
高森 私を監禁しておいて、藤崎君に三日の猶予を与えるなんて甘すぎる。要は私たちの信頼を試したかったのでしょう?お互いがこれ以上傷つかないように。
長束 お前の目には俺がそんなお人好しに映っているのか?
高森 そうですよ。
長束 ……。
高森 私はあなたが嫌いです。能力を隠して、何を考えているのかわからなくて、周囲に人一倍気を遣っているくせに、自分のことには無頓着でいる。
長束 その言葉、そっくりそのままお返しする。嫌いなら嫌いでとことんまで嫌ってくれればいいものを、どうして俺なんかを気にかける?
高森 あなたは嫌われることで相手と自分を守っているんです。私はあなたに守られたくはない。
長束 わかっているなら大人しくしててくれ。これ以上困らせるな。
高森 誰もそんなこと頼んでない。迷惑なら関わらなければ良い。
長束 よくそんなことを簡単に言えるな。
高森 勘違いしないでください。私はもう子供じゃない。あなたの心配には及びません。
長束 あんな本を書いておいてよくそんな口を利けるな?お前の作品には、お前の未練しか書かれていないくせに。
高森 私の本ですから当然です。私はそれも背負って歩いて行きます。その覚悟がある。
長束 渉、人の心は移ろうものだ。家族でさえそうだ。ましてや他人など、確実なものなど何一つとして存在しない。俺が途中から全てを諦めたように。
高森 ……あなたは、優しすぎるからそういうことを考えてしまうんです。あなたも誰か一人をずっと想い続けていく自信がない、想われ続ける自信がないから。
長束 そんなものあるわけがない。お前もそうだろう?
高森 ええ。でも、もらった想いには応えなければいけない。それが尽きるまで……いや、例えそうでなくなっても、想い続けなければならない。できる、できないの話ではないんです。やるかやらないか、ただそれだけです。
長束 ……できると思うか?
高森 できますよ。あなたは私の兄さんでしょう。
長束 ……。
高森 ……洋兄さん。少なくとも今はもう、一人で全部抱えなくていいんです。……仲直りしましょう。今までみたいに。
長束 ……許すのか?
高森 まさか。一生をかけて償ってもらいますよ。今までの……過保護なお節介の分をね。
長束 ……ふっ、それは、高くつきそうだ。
高森、手を差し出す。
長束、躊躇いがちに手を握る。
長束、高森の頭を撫でる。
長束 お前も大きくなったんだな。
高森 やめてください。
島津 解決した……のか?
藤崎 そうですよ!これにて一件落着!です!
藤崎、勢い余って島津をバンバン叩く。
島津、黙って耐える。
島津 全く……随分と人騒がせな兄弟喧嘩だったな。
藤崎 本当ですよ。でも、おかげでいいことを知りました。
島津 何だ?
藤崎 誰だってみんな、大切な人には幸せになってほしいと願うんですね。それがどんな形であっても。
島津 ……そうだな。
長束 やれやれ、今回は俺の負けだ。
高森 依頼料はきちんと支払ってもらいますよ。
長束 何だって?
藤崎 言ったじゃないですか、私だって頑張ったんですよ?なっちゃんとお父さんの仲直り。
長束 それは……一体どうやって?
藤崎 ふふふ。秘密です。
高森 そうだね。秘密です。
長束 ……なるほど。渉、お前、意外と早くあそこを抜け出したな?
高森 おや、ご明察。でもそれ以上は本当に秘密です。ご本人から伺ってください。彼女も、あなたを信頼しているのですから。
長束 そうするとしよう。
高森 島津君も、今回は助かったよ。ありがとう。
島津 礼はいい。そんなことより、あれは本当に犯罪じゃないんだろうな?
高森 どれのことかな?
島津 どれって……まぁ、いい。解決したのなら、俺は行く。
藤崎 島津さん。
島津 手を貸すのは今回だけだ。探偵の真似事もほどほどにしろよ。
島津、さっさと歩いて行ってしまう。
長束 眩しいね、彼は。
高森 ……ええ。
藤崎 さあ!お二人とも、積もる話もあるでしょうし、お茶を淹れてきますね。お茶請けは何がいいですか?
高森 甘いものがいいね。
長束 相変わらずだな。
高森 何か?
長束 いや。
藤崎 長束さんは?
長束 お構いなく。
高森 この人はね、甘いものが苦手なんだよ。
藤崎 じゃあ、別のをご用意しますね!ちょっとお待ちください!
藤崎、上機嫌で去って行く。
高森 座って話しませんか、洋兄さん?
長束 そうだな、渉。
高森、長束、向かい合って座る。
或る作家の事件手帳 卯月チヌ @sassa0726
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