02 開花
高森の家。
藤崎、机に突っ伏して寝ている。
戸を叩く音。
坂下 高森さん?高森さん、いらっしゃいますか?
藤崎、起きる。
藤崎 うーん……誰ですか、こんな時間に……はーい、ただ今。
藤崎、戸を開ける。
坂下 どうもこんにちは、藤崎さん。
藤崎 ……。
藤崎、戸を閉める。
島津 おい、お前!
藤崎 新聞の配達なら間に合ってます!
島津 新聞配達じゃない!開けろ!
藤崎 いーやーでーすー!
坂下 やめろ、島津。これじゃこっちが悪者だろうが。
島津 だって坂下さん!
坂下 藤崎さん、高森さんはいらっしゃいますかな?
藤崎 先生なら新聞社の方に缶詰で原稿を書けって言われて……。
坂下 ほう?それでどこに?
藤崎 言いませんよ。言ったらお二人は先生にちょっかいをかけにいきますよね? 締め切り直前の先生に変な話を持ち込まないでください。
坂下 それでしたら、ちょっとした言伝をお願いしても?
藤崎 まあ、それくらいなら。何ですか?
坂下 もしもまだ警察に戻る気があるのなら、それが可能だということをお伝えください。相応の地位はお約束します、とも。
藤崎 ……先生に、警察に戻れとおっしゃるんですか?
坂下 一度はこの組織に身を置いていた以上、口先では嫌いだと言っても未練はあるでしょう。もちろん、これは単なる提案ですが。
藤崎 どうして今になってそんな提案を?
坂下 高森さんの観察眼と推理力は、ただの作家が持っておくには惜しい。警察にいてこそ、高森さんの真価は発揮されるのではないですかな。
藤崎 生憎ですけど、先生は戻らないと思いますよ。
坂下 それはまた、どうして?
藤崎 坂下さんは、先生の処女作をご存じですか?
坂下 冬桜でしたかな。読んではいませんが。
藤崎 島津さんは?
島津 小説は読まない。
藤崎 でしたら、一度読んでみてください。そうしたら、そんな提案、しようという気にはならないでしょうから。
坂下 藤崎さん。
藤崎 何ですか?
坂下 現実と小説は違うものでしょう。
藤崎 それでも、あれは先生の本心だと私は思います。
島津 なぜわかる?助手とはいえ、赤の他人だろう?
藤崎 小説には、その人が内に秘めている光の欠片が現れるんです。それを一つずつ丁寧に集めると、その人の感情や、考えてることがわかるんです。だから、先生は警察には戻りません。お引き取りください。
坂下 ……一応、お話だけ通していただけると嬉しいですな。
藤崎 わかりました。話すだけ話してみますから、もう帰ってください。
坂下 ……行くぞ、島津。
島津 ……。
坂下、島津、去る。
藤崎、戸を少しだけ開けて二人が帰ったことを確かめると、机に戻って本を開く。
島津だけ戻ってくる。
戸を叩く音。
藤崎 ……?
戸を叩く音。
藤崎 どちら様ですか?
島津 ……島津だ。開けてくれ。
藤崎 島津さん?お一人ですか?
島津 そうだ。
藤崎、戸を開ける。
藤崎 何のご用ですか?
島津 お前に一つ、言いたいことがある。
藤崎 私に?
島津 悪いことは言わない。今すぐ助手はやめろ。それがお前の身のためだ。
藤崎 ……理由を聞かせてもらえますか。
島津 お前があの作家をどれほど信頼しているかは知らんが、あいつはお前が思っているほど善人ではない。あいつと一緒にいて泣きを見るのはお前だぞ。
藤崎 ご忠告、ありがとうございます。でも、大丈夫です。
島津 何が大丈夫なんだ?
藤崎 先生がいわゆるいい人じゃないのは知ってます。口が悪いし、売られた喧嘩は買う人だし、案外短気でわがままだし。
島津 だったら……。
藤崎 でも、先生の書く文章って、柔らかくて優しくて、心の奥がじんわりと温かくなるような、そんな感じがするんです。
高森、舞台端で二人を見ている。
藤崎 私が今まで読んだ誰よりも、先生の文章は真っ直ぐ心に入ってくるんです。だから、先生の過去とか、そういうの全然知らなくても、私は先生のことを信頼してます。人を形作っているのは、その人の過去じゃなくて、過去を乗り越えてきたその人自身ですから。
島津 ……そうか。だが、あの作家はどうなのだ?
藤崎 どういう意味ですか?
島津 あの作家は、お前のことをどれだけ信頼している?お前が持っている信頼に、あいつは応えているのか?
藤崎 私は、応えてもらおうなんて思ってませんよ。先生の隣で、先生の作品を読んでいられるだけでいいんです。
島津 ……そこまで言うほど、あの作家の本は面白いのか?
藤崎 もちろん。でも、それだけじゃないです。
島津 それだけではない……?
藤崎 こんな、どこの馬の骨かわからない私でも、先生は助手としておいてくれているんです。これでは、先生が私を信頼してくれていることになりませんか?
島津 ……?お前は東京の者ではないのか?
藤崎 違いますよ。私が先生の過去を知らなくても平気なのは、先生も私の過去を知らないからです。まあ、私は読んじゃったわけですけど。
島津 ……踏み込もうとは思わないのか?
藤崎 だって、知ってどうするんですか?
島津 ……いや。俺の話は忘れてくれ。時間を取らせて悪かった。
島津、立ち去ろうとする。
藤崎 ありがとうございます。
島津、立ち止まる。
藤崎 島津さんっていい人ですね。
島津、去る。
藤崎、島津を見送り中に戻る。
島津、去る途中で高森を見つけるが、無視して歩く。
高森、島津を目で追う。
高森 眩しい青年だ、全く。
高森、戸を叩く。
藤崎 もう、今度は誰ですか?
藤崎、戸を開ける。
藤崎 高森先生!?
高森 ただいま、藤崎君。
藤崎 おかえりなさい。……って、そうじゃなくて、どうしてここにいるんですか?
高森 逃げてきた。
藤崎 えっ!?
高森 冗談だよ。きちんと完成させてきた。
藤崎 良かった。先生が書かないと怒られるのは私なんですからね。
高森 わかっているよ。
藤崎 お疲れ様でした。
高森 ありがとう。客人が来ていたのかい?
藤崎 あぁ、そう!そうなんですよ!坂下さんと島津さんが。
高森 はて、誰だったかな。
藤崎 もう、刑事のお二人ですよ。ほら、皆川さんのお屋敷で会った。
高森 あぁ、あの二人。何の用で?
藤崎 先生に、警察に戻るつもりはあるのか聞いてくれって。
高森 警察に、ね。これは予想外の展開だな。
藤崎 ……あの、もしかして、戻りたい、ですか?
高森 少し。
藤崎 え……?
高森 なんて、言うはずがないだろう?二度と御免だよ、あんな場所。
藤崎 良かった。そうですよね。一応、全否定しておいたんですけど、自信なくて。
高森 全否定はしたんだね……。
藤崎 そうそう!先生に見せたいものがあるんです!
藤崎、机から本を取る。
高森、家の中に入り戸を閉める。
藤崎 見てください、これ!
高森 ……これは。
高森、藤崎から本を受け取る。
藤崎、お茶を淹れる。
藤崎 苦労して探したんですよ、先生の処女作!
高森 一体どうやって見つけたんだい?もう売られていないはずだけれど。
藤崎 そうなんです。だから、古本屋さんという古本屋さんをはしごして、ようやくみつけました。おかげで顔見知りの方がたくさん増えましたよ。
高森 そこまでして読みたかったのかい?
藤崎 だって、私が大好きな作家さんの処女作ですよ?読みたいじゃないですか。
高森 ……感想は?
藤崎 やっぱり今の作品と比べると、大分初々しい感じがしますね。初めて書いたんだなって一目でわかっちゃうくらいに。
高森 そうかい?少し恥ずかしいね。
高森、お茶を飲みたいが熱くて飲めない。
藤崎 あとあれです、珍しく、先生が怒ってるなって。
高森 ……わかるのかい?
藤崎 わかりますよ。伊達に先生の助手やってないですから。
高森 藤崎君。
藤崎 はい?
高森 君は、その作品が好きかい?
藤崎 好きですよ。今の作風も好きですけど、冬桜も同じくらい好きです。
高森 ……。
藤崎 でもこれ、先生の実体験を元にしたって言ってましたけど、嘘ですよね?
高森 と言うと?
藤崎 だって、先生は死んでないじゃないですか。それに、この中のどれが先生なのかさっぱりです。
高森 そんなことを言って、本当はわかっているんだろう?
藤崎 ……。
高森 だってそれは、私の作品なのだから。君にわからないはずがない。
藤崎 ……先生の、本当の名前は、大宮渉、なんですね。
高森 そう。でも、彼は死んだ。現実でもね。
藤崎 どういう意味ですか?
高森 私は自分が嫌になってしまった。私よりも妹の……さくらの方が生きていくべきだったはずだ。だから私は、高森さくらになったんだよ。
藤崎 そんなこと、言わないでください。
高森 事実だよ。私は、他人のためと言いながら結局は自分のためにしか動けない人間だ。一番大切なものにも、最後まで気づくことが出来なかった。
藤崎 それで自分のことが嫌いになるまで後悔して、心の中で自分を殺してしまうくらい優しい人、までが一緒です。
高森、むせる。
高森 藤崎君、君は私の本を本当に読んだのかい?
藤崎 読みましたよ。隅から隅まで。くまなく、まんべんなく。一字一句逃さずに!
高森 だったらどうしてその結論になるんだい?
藤崎 当然の結果です。
高森 は……?
藤崎 大宮さんは、悪い人じゃないですから。
高森 ……理由が聞きたいね。
藤崎 気になりますか?
高森 大いに。
藤崎 もう一度、読み返してみたらどうですか?
高森 これを?
藤崎 先生が思ってるほど、その本は冷たいものじゃないですよ。
高森、ぱらぱらと本をめくる。
藤崎 ……どうですか?
高森 稚拙で読めたものじゃないね。君の言うとおり、いかにも初心者が書いたような文章だ。
藤崎 まだ、大宮さんが頑張って書いてる感じがしますよね。高森先生じゃなくて。
高森 ……だから読み返したくなかったんだ。
藤崎 先生は、本当に自分が嫌いになったんですか?
高森 それが、私が高森さくらという名で小説を書いている一番の理由だからね。今でも不思議だよ。なぜ、まだ自分が生きているのか、ってね。
藤崎 どうして、そんなこと言うんですか?
高森 事実だよ、これは。
藤崎 先生がいなかったら、先生の作品に救われた私はどうなるんですか?先生の助手をしている今の私は?
高森 私がいなくても、君は上手くやっていけていたよ。
藤崎 本気でそんなことを言ってるなら、私でも怒りますよ。
高森 ……おやおや。それは困るな。
藤崎 困るんだったらやめてください。今の私があるのは、冗談抜きで先生のおかげなんですから。
高森 ……。
高森、お茶を一口飲む。
藤崎 お茶、冷めました?
高森 ちょうど飲み頃だよ。
藤崎 先生、初めて会った日のこと、覚えてますか?
高森 ……さあ、ね。
藤崎 私はちゃんと覚えてますよ。あの時、一人でどうしようもなく心細かった私に、先生は声をかけてくれて、あんみつを奢ってくれて、助手としておいてくれて。あの時に私が言ったこと、覚えてますか?
高森 ……覚えているよ。忘れるわけがない。
藤崎 私の気持ち、今でも変わってませんよ。
高森 ……全く、困った子を助手にしたものだ。
藤崎 今更言ったって遅いですよ。
高森 本当に。思えば君は、本人がそこにいるとも知らずに告白してしまうような子だしね。
藤崎 いや、それは、だって、まさか高森さくらが男性だとは思わないじゃないですか!
高森 そうだとしてもね。今も一字一句違えずに言えると思うよ。
藤崎 言わなくて良いです!忘れてください!
高森 おや、忘れてもいいのかい?
藤崎 もう、どうしてそんな意地悪ばっかり言うんですか!
高森 反応が面白いからつい、ね。
藤崎 そんな性格だから女性が近づいてこないんですよ。
高森 別に構わないよ。君がいてくれるからね。
藤崎 からかわないでください。期待しちゃいますよ?
高森 ……。
藤崎 あっ、お茶淹れなおしてきますね!
藤崎、急須を持ってはける。
うぐいすが鳴く。
さくら、出てきて高森の傍に座る。
高森 ……もうすぐ、桜の季節だね。
さくら そうですね。桜が一番愛でられる季節です。でも、私は冬の桜が一番好きです。来たるべき春のために、美しい花を咲かせる仕度をしている冬の桜が、私は美しいと思うのです。
高森 しかし花が咲かなければ、桜は愛でられずに終わってしまうよ。
さくら それでも、誰か一人、そのことを知っていてくれる人がいるのなら、それで良いのです。
高森 ……お前は、それで良かったのかい?
さくら もちろん。
高森 ……。
さくら 過ぎたことは変えられませんが、これから起こることは変えられます。兄様が目を向けるべきは、私と過ごした過去ではなく、あの方と過ごす未来のはずですよ。藤崎さくらさん。私と同じ名前の、あの方と。
高森 ……全く、敵わないな。ありがとう、さくら。
藤崎 先生ー!また台所いじりましたー?お茶っ葉が見つからないんですけどー?
高森 はいはい、今行くよ。
高森、去る。
さくら、高森を見つめている。
うぐいすが鳴く。
さくら 私の物語は、これでおしまいです。
さくら、机の上の本を手に取り、閉じる。
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