或る作家の処女作
01 冬桜
藤崎、舞台上に座って本を開く。
大宮、警官の制服姿で出てくる。
大宮 自分は、父と母、そして妹の四人家族で育ちました。実家はしがない商家でして、父が仕事を退いた後は、自分が一家の稼ぎを担っていました。自分は、望んで警察という職を志しました。この職は、自分の性に合っているように思われました。初めに選んだ理由は給料が安定しているからというありふれたものでしたが、真実を追究し、悪しきを罰するという理念に自分は惹かれていきました。疑わしきは罰せずですが、疑いを確信に変えることが、自分の得意とすることでした。
藤崎、本のページをめくる。
大宮 警察という職を選んだ自分を、家族はとても喜んでくれました。もちろん、危険が伴う仕事というのは百も承知でした。けれども、父と母、そして妹は、自分の意志を優先してくれました。「それが渉のやりたいことなら」と。渉というのは、自分の名です。性は大宮と申します。そんな家族に支えられている自分は、とても恵まれておりました。最も、そのことを実感するのは、もっとずっと後のことです。残念なことに。
藤崎、本を閉じ、大宮に見入る。
大宮 妹の名はさくらと申します。自分で言うのも何ですが、その名の通り、儚く、可憐で、器量の良い自慢の妹でした。
さくら、出てくる。
さくら 兄様。
大宮 さくら。どうした?
さくら さっきから呼びかけていたのに答えてくださらないから。何か考え事ですか?
大宮 あぁ、そうか。すまない。何でもないんだ。
さくら でしたら、早くいらしてください。今日は私の嫁見ですから。先方の方も、そろそろいらっしゃいます。
大宮 わかった。すぐに行く。
さくら、いなくなる。
大宮 あるとき、さくらに見合いの話が舞い込んできました。持ちかけてきたのは、質屋を営んでいる高森家でした。そこの若旦那、高森慎吾という青年はとても誠実な商いをすることが近所でも評判でした。両親はこの話を喜んでいましたが、無理に引き合わせようとはせず、まだ若い二人の選択に任せようという考えのようでした。自分も、さくらと慎吾君の意志が一番だと考えておりました。
さくら、慎吾、出てくる。
大宮、二人の様子を遠巻きに見ている。
慎吾 それでは、さくらさんにとって渉さんは、親代わりのような存在だったんですね。
さくら はい。両親が仕事で忙しいときは、いつも兄様が面倒を見てくれていました。今でも少し過保護なところもありますけど、私の自慢の兄様です。
慎吾 羨ましいです。俺は一人っ子ですから。
さくら でも、喧嘩もよくしますよ?
慎吾 そうなんですか?
さくら 喧嘩というか、兄様が私の心配ばかりして、自分のことを話してくださらないから、それで私が拗ねているだけなんですけどね。
慎吾 きっと、渉さんは自分のことで心配をかけたくないだけだと思いますよ。
さくら わかっています。でも、話してほしいんです。家族ですから。
慎吾、さくら、二人並んで話しながらいなくなる。
大宮 さくらは、慎吾君といるといつにもまして輝いて見えました。それが恋ゆえのことなのだろうということは、部外者の自分でもはっきりと見て取れました。慎吾君は絵に描いたような好青年ですし、さくらも気立ての良い娘でしたから、二人が惹かれ合うのは、時間の問題でした。
慎吾、出てくる。
慎吾 渉さん。
大宮 慎吾君。何か?
慎吾 ようやく、決心がつきました。俺、さくらさんに結婚を申し込もうと思います。
大宮 なぜ、それを自分に?
慎吾 さくらさんのことを一番近くでみていらしたのは、渉さんです。俺の相談にも耳を傾けてくださいましたし、だから、最初に伝えるべきは、渉さんかと。
大宮 なるほど。でも、どうやら詰めが甘いようだ。
慎吾 え?
大宮 さくら。そこにいるんだろう?おいで。
さくら、出てくる。
慎吾 さくらさん……い、いつから……?
さくら ……初めから。
慎吾 あ、あの、えっと……。
さくら 慎吾さん。
慎吾 ……はい。
さくら ……私で良いのですか?
慎吾 ……あなたが良いんです。あなたじゃなきゃ、だめなんです。
さくら ……本当に?
慎吾 はい。……さくらさん、俺と結婚してください。
さくら ……喜んで。
大宮 おめでとう、二人とも。
さくら 兄様、私、とても幸せです。
慎吾 渉さん、あの、俺、必ずさくらさんを幸せにします!
さくら、慎吾、いなくなる。
藤崎、自分のことのように喜んでいる。
大宮 お見合いという形ではあったものの、さくらと慎吾君はお互いに好き合って結婚に至りました。挙式は両家の親戚が一堂に会し、二人の幸せを祝いました。さくらは母が用意した嫁入り道具を持って、高森家に嫁いで行きました。これは余談になりますが、白無垢姿のさくらは、息をのむほどに美しかったのをよく覚えています。
藤崎、大宮の隣まで出てくる。
藤崎 良かったですね、妹さん!幸せそうで。
大宮、藤崎から少し離れる。
大宮 本当に。
藤崎 でも、お兄さんの立場としては、少し複雑ですか?
大宮 ええ、まあ。さくらとは四つ年が離れていましたが、幼い頃からずっと一緒にいましたから。嬉しさと寂しさと、少しの嫉妬はあります。
藤崎 そう思ってくれるお兄さんがいて、さくらさんは幸せですね。
大宮 そうでしょうか?
藤崎 そうですよ!羨ましいくらいです。妹の白無垢姿をこんなに褒めるお兄さん、滅多にいないですから。
大宮 それは、もしかして実体験ですか?
藤崎 もしも私が白無垢を着ても、兄は大宮さんほど喜んではくれないでしょうね。いいなぁ、白無垢。私はいつ着られるんだろう。
大宮 大丈夫ですよ。あなたにもきっと良い縁が巡ってきます。
藤崎 ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです。
大宮 お世辞ではありませんよ。
藤崎 大宮さんは結婚しないんですか?
大宮 自分にも縁談はありました。でも……。
藤崎 でも?
大宮 幸せというものは、長くは続かないのです。
藤崎 え……?
慎吾の死体が現れる。
藤崎、驚いて固まる。
大宮、冷めた目で見ている。
大宮 慎吾君が殺されました。さくらが嫁いで一年が経った頃です。
さくら、出てきて慎吾にすがりつく。
さくら 慎吾さん、慎吾さん……!そんな……どうして……。
さくらのすすり泣き。
藤崎、さくらの背中を撫でる。
藤崎 犯人は……?
大宮 事件当日、質屋にいたのは慎吾君とさくらだけでした。慎吾君は店先で何者かに刃物で胸部を刺された状態で発見されました。さくらは奥の部屋で眠っていたと言いました。でも、警察はさくらの証言を信じませんでした。
藤崎 どうしてですか?
さくら 当然のことです。仕方がないのです。私が本当に奥の部屋で眠っていたと、証明してくれる人がどこにもいないのですから。
藤崎 そんな!でも、それじゃ、まるで……。
大宮 そう。警察は慎吾君殺害の犯人として、さくらを連行しました。
さくら、警官に連れて行かれる。
さくら 嫌!嫌だ!離して!
さくら、抵抗するが無駄。
藤崎、さくらを追いかけようとする。
大宮、黙ってさくらを見ている。
藤崎 大宮さん!どうして止めないんですか?
大宮 容疑者の肉親は、事件に関わることが出来ないんです。
藤崎 でも、さくらさんの無実を一番良く知ってるのは大宮さんでしょう?
大宮 もちろん、さくらがそんなことをするはずがありません。さくらは慎吾君のことを深く愛していました。それに、さくらは虫も殺せなければ、他人を傷つけるということを一番嫌う性格でしたから。
藤崎 だったら……。
大宮 その時の自分には、縁談がありました。
藤崎 え……?
大宮 両親は、さくらのことを諦めていました。そのせいか、自分の縁談にとても乗り気でした。両親にとってみれば、土地を継ぐ自分の方が嫁に行ったさくらよりも大事でしたし、何より自分の相手は良家のご令嬢でした。先方はさくらの事件を自分とは直接の関係がないからと、縁談をそのまま進めるつもりでいましたし。
藤崎 妹さんのことより自分の心配ですか?
大宮 さくらは犯人でない、そんなことを上司に言えば、自分の立場が危うくなるかもしれない。それに、有力な容疑者がさくらの他にいないこの状況では、そんなことは口が裂けても言えない。
藤崎 ……黙って見ているつもりですか?
大宮 実際、黙って見ていました。
さくら、警官に責め立てられている。
警官1 お前がやったんだろ!
警官2 自白しろ!
警官3 この包丁で刺したんだろ!
警官1 何とか言え!
警官2 ずっと黙ってるつもりか!
警官3 早く吐け!
警官、罵倒を続ける。
さくら 違う……私じゃない……やめて……もうやめて……。
藤崎、いたたまれない様子でさくらを見ている。
大宮 ほとんど拷問に近いような取り調べが連日行われていました。正気を失ってもおかしくないほど執拗に。それでもさくらの答えは変わりませんでした。でも、さくらの精神は確実に弱っていました。
藤崎 ……随分、詳しくご存じですね?
大宮 自分はさくらの様子をずっと見ていましたから。……見ているだけでしたが。
さくら、大宮を見る。
さくら 兄様……兄様……助けてください……。
警官1 来い!
さくら、警官に連れて行かれる。
大宮、さくらを追いかけ、やめる。
藤崎 ……どうして。
大宮 その時は、自分の体裁を気にすることしか頭にありませんでした。縁談を成功させたい、出世がしたい、両親を安心させたい。
藤崎 それで、見ない振りをしたんですね。
大宮 ……はい。
藤崎 ……大宮さんの気持ちも、わかります。自分がやりたいことと、相手から求められていることがぶつかって、身動きがとれなくなるのって、とても辛いですよね。
大宮 それも、自分を正当化する言い訳に過ぎません。結局、自分はわがままで身勝手な人間です。さくらが頼れるのは自分しかいなかったのに、自分はその微かな光すら消し去ってしまった。
藤崎 でも、大宮さんは本当にさくらさんの無実を信じていたんですよね?
大宮 もちろん。どうすればさくらの無実を証明できるのか、それを必死で考えました。そして、自分は一人で事件を洗い直すことにしました。上司には何も言わずに。見つかれば懲戒免職でしたが、事件に関わっている友人から資料を見せてもらったり、それとなく事件の進展を聞いたりして、何とか犯人を突き止めました。
藤崎 見つかったんですか?
大宮 協力してもらった友人の手柄ということで、犯人は無事捕まりました。近辺で多数の被害が報告されている窃盗犯が犯人でした。この犯人の逮捕後、さくらは解放されました。
藤崎 そうなんですね。良かった。
大宮 ……いいえ。
藤崎 え?
大宮 手遅れでした。何もかも。自分が行動を起こすのが、あまりにも遅すぎたんです。
藤崎 それってどういう……?
ロープが降ってくる。
藤崎、ロープを手に取る。
藤崎 これは?
大宮 家に戻ったさくらを待ち受けていたのは、夫が死んでしまったという事実と、自分が犯人として拘束されていた時間の長さでした。質屋は廃墟同然に荒み、慎吾君のご両親はどこかへ引っ越していました。自分はさくらに実家へ戻るよう提案しましたが、さくらは質屋に残ると言いました。それから数日後、さくらは、どこかへ姿を消してしまいました。自分はさくらがいる場所に心当たりがありました。子供の頃、さくらとよく一緒に遊んでいた神社です。そのご神木の下が、自分たち兄妹の遊び場でした。自分がそこに向かうと、さくらがいました。
藤崎 それは、良かったんじゃないですか?さくらさんが見つかって。
大宮 そうですね。生きていてくれたら、どんなに嬉しかったか。
大宮、藤崎からロープを受け取る。
大宮 自分の中のさくらは、どうやら幼少期で時間が止まっていたようです。あの頃は木に登っても、自分たちの体重で木がきしむことはなかった。でも、ずっと軽いと思っていたさくらの体重は、枝を地面近くまでしならせるほど、重かったのです。
藤崎 そんな……どうして……?
大宮 木の下にさくらの遺書がありました。そこには丁寧な字でこう書かれていました。「それでも私は、夫を愛していました。父様、母様、先に逝く親不孝をお許しください。兄様、どうぞお幸せに」さくらは最期まで、自分のことよりも他人のことを一番に考えていました。こんな、薄情な兄に対しても、お幸せに、と心から願えるほど、さくらは純粋で、自分には眩しくて仕方がないほどでした。そして、さくらのお腹には、慎吾君との命が宿っていました。
藤崎 ……。
大宮 さくらの言うとおり、幸せに生きることも考えました。でも、両親は心労がたたったのか、さくらの後を追うように亡くなり、自分に来ていた縁談もなかったことになりました。自分に残されたのは、思い出ばかりが詰まって、そこにいるだけで息苦しいような実家だけでした。それも、一人でいるとひどく広いもののように感じられて、落ち着かないものでした。
藤崎 大宮さんも、独りぼっちになってしまったんですね……。
大宮 同情は不要です。その権利は自分にないものです。自分には生きる価値などありません。妹を見捨て、くだらない自分の矜持を保つことを優先した兄など。
藤崎 ……大宮さん?
大宮 だから、自分は。
大宮、ピストルを手に持ち、自分の頭に当てる。
藤崎 大宮さん、待って!
藤崎、大宮を止める。
大宮の制帽が脱げて、顔が見える。
藤崎 え……?
高森、落ちた制帽を拾い、藤崎に向き合う。
藤崎 高森先生……?
高森、帽子を被り直し、もう一度ピストルを自分に向ける。
大宮 自分の話は、これで終わりです。
銃声とともに舞台は暗くなる。
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