03 少年
皆川家屋敷前。
小雪と中条が話している。
中条 わざわざお見送りしていただかなくても。
小雪 いえ。私がやりたかったことですから。
中条 ありがとうございます。あなたのような人と巡り会えて、本当に良かった。
佑太、早足で小雪の前を通り過ぎようとする。
小雪 佑太君?
佑太、立ち止まる。
小雪 やっぱり。もうそんな時間なのね。
佑太 ……こんにちは、小雪さん。
小雪 こんにちは。
佑太 何か事件があったみたいだけど、大丈夫?
小雪 ええ。心配してくれてありがとう。
佑太 ……その人は?
小雪 中条さん。ほら、前に話した。
佑太 あぁ、婚約者さんか。
中条、首を傾げて佑太を見ている。
佑太 見目がいい人を捕まえたね。
小雪 お見合いだったの。
佑太 お似合いだよ。とっても。
小雪 そうかしら?
佑太 自信持って。小雪さんは綺麗なんだから。幸せになってね。
小雪 ……ありがとう。
中条 ……失礼、佑太君。
佑太 何?えっと、中条さん?
中条 どこかでお会いしたかな?
佑太 さあ?俺はよくこの辺りを通るから、その時に見たんじゃない?俺も見たことあるし。
中条 話したことは?その声、聞き覚えがあるんだ。
佑太 信太か小雪さんと話してるのを聞いてたんじゃないの?俺は初対面だよ、あんたと。
中条 ……そうだね。失礼。
小雪 ちょっと待ってね。今、信太を呼ぶから。
佑太 いや、いいよ。俺、今日はもう帰るから。
小雪 ゆっくりしていったら良いのに。
佑太 帰るよ。お客さんがいるんだろ?
小雪 どうしてわかったの?
佑太 ……そこで信太に会ってきたんだ。
小雪 そうだったのね。なら、ちょうど良いわ。あなたにも会ってほしい人なの。高森さんという方でね……。
高森 お呼びかな、小雪嬢?
高森、藤崎、歩いてくる。
小雪 高森さん。
中条 噂をすれば影、ですね。
小雪 もうお帰りですか?何かわかったことは?
高森 どうだろうね。しばらく考えたけれど。そちらは?
小雪 佑太君です。
高森 あぁ、君が……。
高森、佑太、お互いに見つめ合う。
佑太 ……そういえば、小雪さん。
小雪 何?
佑太 来客用のお菓子を切らしちゃったんだけど、何を買い足したら良いかわかんないって信太が言ってたよ。相談に乗ってあげたら?
小雪 あら、そんなことを?
中条 それでは、自分はこれで。
小雪 ありがとう、中条さん。お気を付けて。
中条、去る。
高森 藤崎君。
藤崎 何ですか、先生?
高森 あんみつが食べたい。
藤崎 え?今ですか?
高森 今だよ、今。頭を使ったから急に甘いものが食べたくなった。
藤崎 えー……そんなこと言われても……。
高森 ここから十字路を右に真っ直ぐ行くと、突き当たりに甘味処があるんだけどね。
藤崎 ……買ってこい、と?
高森 察しが良くて助かるよ。それじゃ、よろしく。私は新聞社に顔を出してくるから。
藤崎 え?だったら一緒に行っても……。
藤崎、何かを察する。
藤崎 あ、あー、はい!わかりました!すぐに!小雪さん、お邪魔しました!
藤崎、走り去る。
小雪 あら……?
佑太 小雪さんも、早く行ってあげたら?あいつ、そういうの苦手だろ?
小雪 そうね。では、お二人とも、お気を付けて。
高森 ありがとう、小雪嬢。
佑太 じゃあね。
小雪、去る。
高森 私に何か話したいことでも?
佑太 聞いたとおり、鋭い人だね。
高森 それは信太少年からかい?
佑太 それ以外に誰がいるんだ?
高森 やはりそうか。
佑太 あんたに聞きたいことがある。
高森 何だい?
佑太 人を殺すことは、いけないことだよな。
高森 そうだね。
佑太 だから、法律が裁いてくれるんだよな。
高森 そうだね。
佑太 じゃあ、人の心を殺すことは、どうなんだ?
高森 ……。
佑太 これもいけないことだ。やっちゃ駄目なことだってガキでもわかる。でも、法律はそれを裁いてくれない。何で?この二つは一体何が違うんだ?
高森 君自身は答えを見つけたのかい?
佑太 ……わからない。何が正しくて何が間違ってるのか、俺には。
高森 一つ、私から言えることは、自分が信じるものを見失わないことだよ。
佑太 え……?
高森 誰のために動くのか、誰を助けたいのか。それを見失わなければ、後悔することはない。君も、彼もね。
佑太 ……あんた、探偵?
高森 私はただの作家だよ。
佑太 でも、警察に言うんだろ?
高森 まさか。無能な警察には何を言ったって無駄だよ。私はただ、皆川から頼まれたことをするだけだからね。
佑太 ここの旦那に?
高森 皆川は、犯人逮捕を頼んだわけじゃない。ただ小雪嬢と新たな奥方を安心させたかっただけなんだ。それに……。
佑太 ……それに?何だよ?
高森 ……私は、きっと同情しているんだろうね。いや、嫉妬の方がまだ近いかもしれない。私には出来なかったことを見せつけられているようでね。
佑太 ……裁判にかけられるのか?
高森 まさか。誰も君のことは口にしないよ。私も含めてね。それは誰も望んでいない。
佑太 でも、あいつ一人が背負うなんて、そんな……。
高森 君はそう言うだろうね。けれど、もう駄目だ。
佑太 どうして?
高森 君はこの物語の登場人物になる道を自分で絶ったんだよ。
佑太 え……?
高森 さっき言っていただろう?中条青年と会ったのはこれが最初だと。口裏を合わせることで、君は安全圏にいることが同時に約束されるんだ。
佑太 そんな……ずるいだろ……。
高森 そこまで考えていたんだろう、信太少年?
信太、帽子を被って出てくる。
佑太 お前……。
信太 いつからお気づきだったんですか?
高森 逆だよ。君は気づいてほしかったんだろう?
信太 ……どうして、そう思われるのですか?
高森 おや、違うのかい?
信太 ……質問に答えていただきたいものです。
高森 すまないね。こういう性分なものだから。
信太 あなたはどこまでわかっていらっしゃるんですか?
高森 さて、どうだろうね。もしかしたら何もわかっていないのかもしれないよ。
信太 聞かせていただけますか。あなたの推理。
高森 推理、ね。そんな大層なものではないけれど。順を追って説明しようか。
信太 ……お前は?聞く?
佑太 ……聞く。最後まで。
高森 始めに、状況を整理しようか。楓嬢が自室で殺害された時間帯、この屋敷に人はいなかった。皆川家の人物はみな、別の場所にいたことを証明されているからね。それは信太少年、君も同じだ。
信太 はい。僕は中条さんのお屋敷にいましたから。
高森 では、その時間帯、君はどこにいたんだい?
佑太 ……俺は、学校だよ。
高森 私の記憶が正しければ、その日は早めに授業が終わっていたのではないかい? それこそ、楓嬢が亡くなった時間よりも前に。
佑太 だったら何?
高森 楓嬢の部屋には争ったような跡がなかった。つまり、犯人は楓嬢の部屋に入っても警戒されない人物であったと推測できる。佑太少年ではないだろうね。君は小雪嬢と仲が良いから。でも、信太少年ならどうだろうね。君はここの小間使いだ。理由を付けて楓嬢の部屋に入ることなど容易いだろう?
信太 でも、無理ですよ。ここから中条さんの家まではかなり距離がありますから。
高森 しかし、立場を入れ替えれば、それが可能だ。
信太 ……と言うと?
高森 中条青年の屋敷に行ったのが、実際は佑太少年だったとしたら。
信太 面白いことを仰いますね。でも、そんな都合よくいくでしょうか?
高森 いかないだろうね、普通は。でも、今回は条件が揃っている。
信太 条件ですか。
高森 一つ、中条青年と信太少年の間には、それまでまともな面識がなかったこと。二つ、信太少年と佑太少年の背格好がほぼ同じであること。そして三つ。信太少年は外出の際に必ず帽子を被るということ。
信太 それで、本当に上手くいくとお思いですか?
高森 それは君も不安だったんだろうね。でも、君はその日だけ誤魔化すことが出来れば良かった。その後はまた、本物の君が中条青年に会わないよう気をつけていれば良いだけの話だからね。
佑太 ……。
高森 どうかな、佑太少年。ここまでで間違いはあるかい?
佑太 ……いや。
高森 中条青年の屋敷に行ったのは、君だね。
佑太 ……あぁ。
高森 となると、信太少年はその時間にこの屋敷にいることが出来る。
信太 つまり、僕が楓様を殺したと?
高森 そう。困ったのは動機だ。君はなぜ、楓嬢を殺さなければならなかったのか。
信太 あなたが考えている最も単純なものが答えです。
高森 そんなことを無責任に言うと後悔するよ。
信太 しませんよ。だって、あなたは僕と同じなんでしょう?
高森 ……あぁ、本当に。でも、決定的な違いがあるよ。
信太 何ですか?
高森 君は成功したけれど、私は失敗しているからね。
信太 失敗?
高森 君は小雪嬢を本当の意味で好いていた。だから彼女の幸せを壊しかねない楓嬢が許せなかった。そうだね?
信太 僕がお嬢様に好意を寄せるのは当然です。旦那様のご息女ですから。それは楓様も同じです。
高森 君のその演技には頭が下がるよ。先ほどいた部屋でも、君の挙動は困っている少年そのものだった。でも、感情というものはそんなに単純なものではない。
信太 と言うと?
高森 君は小雪嬢を「お嬢様」と呼ぶが、楓嬢は「楓様」だね。これは証拠にならないかい?
信太 ……本当に、よく見ていらっしゃるんですね。
高森 ……だから、小雪嬢がこんなことを望んでいないのも、君は知っていたはずだ。
信太 もちろん。お嬢様は優しい方ですから。
高森 ならどうして、こんなことを。君なら、別の手立てを考えることだって出来ただろうに。
信太 あなたがどうしようもなく警察を憎み、許せないのと同じように。僕もまた、楓様を許すことが出来なかった。あなたにならわかるはずです。どうしようもなく愛しく、何よりも大切に思っている人が傷つく様を、ただ黙って見ていることがどれほど辛いか。
高森 ……あぁ、そうだね。
信太 楓様のことは、旦那様には言えません。それから奥様にも。これはお嬢様からも頼まれていたことですから。お嬢様は心の底から、楓様と本当の姉妹になりたかったんです。
高森 待つことは出来たはずだよ。小雪嬢は中条家に嫁ぐことが決まっていたのだから。
信太 お嬢様はそうなさるおつもりでした。でも、それじゃ遅いんです。
高森 遅い?
佑太 ……楓さんは中条さんのことが好きだったんだ。だから、小雪さんとの婚約を相当妬んでた。それこそ、逆恨みして殺しかねないくらいにね。
高森 どうして君がそのことを?
佑太 この家の前を通る度に聞こえるんだよ。楓さんが大声で小雪さんのことを罵倒してるのが。……ま、一応人目を気にしてたのか、裏庭の方で言ってたみたいだけど。
信太 楓様の行動は酷くなっていく一方でした。一歩間違えば命が危険にさらされるくらいに。あのままでは、お嬢様が殺されていたかもしれない。
高森 ……だから、先手を打ったと。
信太 これが正義だとは露ほども思ってませんよ。毒をもって毒を制す。ただそれだけです。
高森 ……君たちがやったと小雪嬢が知れば、彼女は自分を責めるだろうね。
信太 真実を知っているのは、高森さん、あなたと僕たちだけです。
高森 共犯になれと?
信太 いいえ。あなたは虚構を真実だと思ってくれればいい。
高森 ……。
信太 だって、僕が恋をしていたのは楓様なんですから。
佑太 ……え?
高森 ……!
信太 報われない恋に焦がれた僕は、愛ゆえに楓様を殺してしまった。これが真実になればいい。そうでしょう、高森さん?
高森 ……君が、それを真実だとするのなら、間違いなくそれは本物になる。だが、本当にそれでいいのかい?
信太 自分自身に嘘をついても、お嬢様が幸せなら、僕はそれでいいんです。
佑太 信太、でも、それじゃ……。
信太 いいんだ、佑太。協力してくれてありがとう。君には絶対に迷惑をかけない。約束する。お嬢様をよろしくね。
佑太 ……。
高森 ……完敗だよ。私の負けだ。
信太 いいんですか?
高森 その代わり、君は罪を償うんだ。私に言えることは、それだけだよ。
信太 覚悟は出来ています。もともと、そのつもりでしたから。僕が少しでも疑われれば、その時点で罪を告白する予定だったんですけど。
高森 警察に過剰な期待はしないことだよ。あいつらは、権力を盾にしか動くことが出来ない、ただの無能な集団だからね。
信太 高森さんは、どうしてそこまで警察を嫌うんですか?
高森 ……君に話す義理はない。どうしても知りたければ、罪を償った後にでも私の処女作を読んでみてくれ。最も、あれはもう出版禁止になってしまったけれどね。
信太 ……わかりました。最後に一つだけ。
高森 何だい?
信太 高森さんの下の名前、教えてもらえませんか?そうじゃないと本が探せません。
高森 ……高森さくら。
佑太 さくら……?
高森 不思議かい?
信太 本当の名前は何ですか?
高森 私は一度死んだ身だ。前の名前なんて、とっくに捨てたよ。
信太 ……そうですか。
高森 さあ、話はここまでとしようか。私は帰るよ。藤崎君が待っているだろうから。
信太 僕を警察に連れて行かないんですか?
高森 生憎、あそこには近寄りたくないのでね。それに、君は逃げないだろう?
信太 ……本当に、何でもお見通しですね。高森さん、ありがとうございます。
高森 礼はいらないよ。佑太少年、君も早く帰ることだ。
佑太 ……高森さん。
高森 まだ何か?
佑太 信太は正しいことをしたとは思わない。でも、どうしても納得出来ないんだ。
高森 その気持ちを持っていれば大丈夫だよ。答えはゆっくり見つけていけば良い。私と違って、君たちにはまだその時間が十分にあるのだから。
高森、去る。
佑太 本当にいいのか?
信太 僕はお嬢様が幸せなら、それでいい。
佑太 お前の幸せは?
信太 もう十分にもらったよ。このお屋敷で。
佑太 ……そうか。
二人、屋敷を見上げる。
佑太 ……俺は帰るよ。最後の別れでもしてこい。
信太 ありがとう。
佑太、去る。
信太 申し訳ありません。お嬢様、高森さん。
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