或る作家の事件手帳
卯月チヌ
或る作家の事件手帳
01 プロローグ
大正時代。
高森の家。
ちゃぶ台に高森が座っている。
ちゃぶ台の上には大量の紙。
藤崎、勢いよく入ってくる。
藤崎 高森先生!おはようございます!
高森 おはよう、藤崎君。今日も元気だね。
藤崎 これだけが取り柄ですから!
藤崎、荷物を置いたりお茶の用意をしたりしながら話し続ける。
藤崎 どこまで進みました?
高森 まだ序章だよ。
藤崎 新聞社もひどいですよね。一から書き直してくれだなんて。
高森 愚痴をこぼさない。これも、愛すべき読者の感想だからね。
藤崎 愛すべき読者は、こんな感想持ちません。
高森 世相と社会状況で、新聞社も大変なんだよ。いろんなところに気を遣う職業だからね。
藤崎 確かに、先生の小説はちょーっと政府批判的なところもありますけど。
高森 長いものには巻かれて生きるのが賢い選択だよ。
藤崎 それがわかってるなら、どうしてそういう小説を書いてるんですか?
高森 私が書いているんじゃない。このペンに書かされているんだよ。
藤崎 またわけわかんないこと言って。誤魔化さないでください。
高森 藤崎君、お茶はまだかな?
藤崎 今持って行きます。
藤崎、湯飲みを二つ、ちゃぶ台に置く。
高森、湯飲みを手に取るが、熱くてなかなか飲めない。
藤崎、ちゃぶ台上の紙をまとめる。
藤崎 八、九……先生、十が抜けてますよ。
高森 後ろの方に混ざっていないかい?
藤崎、紙をそろえて机の下に置く。
藤崎 いつも言ってますけど、原稿用紙はちゃんと順番通りに並べてください。
高森 右上に番号を振っているからわかるだろう?
藤崎 それをいちいち確認してそろえる私の身にもなってくださいよ。それに。
高森 それに?
藤崎 小説は最初から流れるように読みたいじゃないですか!
高森 君は助手なのか、ただの読者なのか。
藤崎 助手の特権を十二分に活用している読者です。
高森 いささか活用しすぎてはいないかい?
藤崎 いいじゃないですか、これくらい。
高森 まあ、君の的を射た感想は、確かに役に立ってくれているかな。
藤崎 先生の作品は全て把握してますから!
高森 君は本当に私の作品が大好きだね。
藤崎 熱烈な読者です!
ちゃぶ台の上から手紙が落ちる。
藤崎、拾う。
藤崎 先生、これは?
高森 そういえば、そんなものも届いていたね。
藤崎 見てないんですか?
高森 見てないね。差出人は?
藤崎 みながわさん、ですかね?
高森 皆川、か。
藤崎 ご友人ですか?
高森 そんなものかな。
藤崎 先生にも手紙をくれるご友人がいたんですね。
高森 それはどういう意味かな、藤崎君?
藤崎 いやいやいや、あの、別に、深い意味とかはなくて、ですね!
高森 わかっているよ、どうせ私に友人らしい友人はいないさ。
藤崎 拗ねないでくださいよ、先生。今はほら、私がいますから!
高森 それでも私に友人が少ないことに変わりはないじゃないか。慰めはいらないよ。どうせ私は一人寂しく生きていくのがお似合いさ。
高森、原稿用紙で遊び始める。
藤崎 こうなった先生は面倒くさいんだよね……。
高森 どうせ私は面倒くさいよ。
藤崎 あぁもう!先生!これ!この手紙!これ見なくてもいいんですか?
高森 好きにしてくれ。
藤崎 好きにして、って、先生に来た手紙じゃないですか。
高森 彼がどうして手紙を寄越してきたのか見当はついているからね。
藤崎 そうなんですか?
高森 そうだよ。
藤崎 それって一体どんな用事なんですか?
高森 出来れば、いや、面倒くさいから絶対に関わりたくないことだね。
藤崎 そんなこと言ってるから、ご友人が少なくなるんですよ。
高森 紙と万年筆という友人がいれば十分だよ。
と、そこへ入ってくる皆川。
戸を叩く音と同時に家の中に入る。
皆川 邪魔をする。高森はいるか?
藤崎 へ!?あ、あの、どちら様、ですか……?
皆川、答えない。
高森 やあ、皆川。君の方から私の家に訪ねてくるなんて珍しいね。
藤崎 皆川って、この手紙の?
高森 そう。数少ない私の友人だ。皆川、彼女は藤崎君。私の助手だよ。
藤崎 藤崎です。初めまして。
皆川 高森、今日ここへわざわざ来たのは他でもない。
高森 言わずとも結構だよ。
皆川 では、手紙は読んでくれたんだな?
高森 いいや?この通り、まだ封を切ってすらいないよ。
皆川 何だって?
高森 まあまあ、そう慌てることはないじゃないか。
皆川 これが慌てずにいられるか!こっちは大変なんだ!
高森 わかったから、まずは適当なところに座ってくれ。藤崎君、彼にお茶を。
藤崎 はい。
皆川 気遣いはいらない。
高森 好意は受け取っておくものだよ。いつもあるものだとは限らないからね。
皆川、渋々座る。
藤崎 どうぞ。
藤崎、皆川の前に湯飲みを置き、お盆を持ったまま立って見ている。
高森 美味しいお茶だよ。
皆川 俺はお茶を飲むためにお前の家に来たんじゃない。
高森 それはわかっているさ。でも、そう焦っても事態は好転しないよ。
皆川 これが焦らずにいられるか!こっちは眠れない夜を過ごしているんだ!
高森 私も、締め切りに追われて眠れない夜が続いているよ。新聞社が一から書き直しを要求してきてね。
皆川 俺が言っているのはそういう話じゃない。もっと深刻な問題なんだ。
高森 私だって、十分深刻な問題なんだが。
皆川 他人事だからそう言えるんだ。
高森 もちろんそうさ。私は君ではないし、君も私ではないからね。
皆川 俺がここに来た意図くらいは察しがついてるんだろう?
高森 はてさて、何のことやら。
皆川 惚けるな。藁にもすがる思いでここに来たんだ。俺の気持ちも考慮してくれ。
高森 原稿が終わっていない私の気持ちを考慮してくれるならね。
皆川 作家のお前は考慮しない。用があるのは作家になる以前のお前だ。
高森 私は今を生きている。過去に私は存在しないよ。
皆川 過去の積み重ねが今のお前だろう。
高森 違うね。過去は断続的な今の積み重ねでしかない。今も昔も、私は私だよ。
皆川 俺を助けるつもりはないということか。
高森 そうは言っていない。
皆川 そういうことだろうが!
皆川、机を叩く。
藤崎、怯えてお盆を落とす。
藤崎 あっ……。
藤崎、慌ててお盆を拾う。
高森 ……藤崎君を怖がらせないでくれるかな。
皆川 何が。
高森 他人にものを頼むときは、それ相応の誠意を見せるべきだという話だよ。
皆川 だからこうして、お前の家に来たんじゃないか。
高森 私の家に来た以上、敬意を払うべきは、私だけではないだろう。
皆川 ……。
高森 君の頼み事は一週間前の事件についてだ。違うかい?
皆川 ……その通りだ。
高森 君が焦る気持ちは理解できる。が、焦りは人から冷静さを奪うものだ。君の要望を受けるか否かは、君の態度次第だよ。
皆川 ……。
皆川、藤崎に正対し、頭を下げる。
皆川 すまなかった。
藤崎 いえいえ、そんな!ちょっとびっくりしただけですから!その、頭を上げてください。
皆川 高森も、すまない。
高森 構わないよ。私も、強く言いすぎた。
皆川 この一週間、ずっと気を張りっぱなしだったんだ。警察に、仕事に、新聞にといった具合で。
高森 人の噂も七十五日。とはいえ、そこまでは待てないかい?
皆川 私は良いんだが、妻と娘が。
高森 確かに、女性には少々酷か。
皆川 だから、お前に頼みに来たんだ。前の仕事は辞めてしまったとはいえ、お前の能力は信頼できる。頼む。この通りだ。
皆川、頭を下げる。
高森 ……私は、探偵でも警察でもない。必ず、という約束は出来ないよ。
皆川 引き受けてくれるのか?
高森 善処はするよ。少なくとも、奥さんとお嬢さんの不安を取り除けるくらいには、ね。
皆川 ありがとう!恩に着る!
高森 大げさだよ。それに、出来るという保証はない。
皆川 それでも構わない!お前は約束を破らないからな。
高森 それは買いかぶりというものだよ。
高森、湯飲みを持つが熱くて飲めない。
高森 まだ熱いな。
皆川 そうか?
皆川、お茶を一口飲む。
皆川 ちょうど良い温度だぞ。
高森 君の舌は鋼鉄で出来ているのかい?
皆川 お前が猫舌なだけだろう。
高森 猫は好きだよ。でもこれだけはどうにも承服しかねる。
皆川 だったら冷まして飲めば良い。
高森 お茶は熱いうちに飲みたいじゃないか。
皆川 お前は昔から変わらないな。
高森 君もね。さて、さしあたって君の屋敷に行きたいんだが。
皆川 いつでも構わない。家の者には話を通しておくから、好きなだけ見て行ってくれ。
高森 君は一緒にいなくていいのかい?
皆川 仕事は待ってくれないからな。
高森 大変だね。同情するよ。
皆川 何、そんなに悪いものでもないさ。仕事をしていると気が紛れる。
高森 そういうものかな。
皆川 そういうものだ。では、私はおいとまする。くれぐれもよろしく頼む。
高森 約束は守るよ。安心したまえ。
皆川、玄関から出て行く。
藤崎、少し先回りして玄関の戸を開ける。
皆川、藤崎に会釈し去って行く。
高森、お茶が飲めない。
藤崎 高森先生。
高森 皆川の身に起こった事件について、だろう?
藤崎 どうしてわかったんですか?
高森 君はわかりやすいからね。
藤崎、高森の横に座る。
藤崎 一体、どんな事件があったんですか?
高森 少し長くなるよ。
藤崎 喜んで!
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