託された物語……?
昼を少し過ぎたころ、帳場に戻ってきたおばちゃんは、いつになく険しい顔をしていた。
「近所のお嫁さん達が寄ってってね」
「うん」
「裏山の方で犬が吠え止まないんだって。夜中に子どもが勝手に外へ出て歩いてたとも言うんだよ。夢遊病みたいに」
湯呑みに茶を注ぎながら、おばちゃんは声をひそめた。
「それと、数軒で井戸が……かれたって。猫が帰ってこないとか──去年の夏はそんなこと無かった。どうにも、村の空気が落ち着かない」
叔父さんはちゃぶ台の端に広げたノートから顔を上げ、眼鏡を軽く押し上げた。
「今まで狙われたら逃げきった記録は無い。だが──千穂さんが狙われていても、未だ捕まえられていない理由が、なにかあるはずなんだよ」
叔父さんは鉛筆を削りながら、考え込んだ。
「今は欲しいものが手に入らないから、縁を辿って、周囲にも揺らぎを及ぼしているのかもしれない」
千穂は唇を噛んだ。
(やっぱり……私のせいなんだ。私が呼ばれてるから、周りまで巻き込んでる……)
靴下越しに右足の小指を押さえると、そこにある痣が脈打つように感じられて、胸が苦しくなった。
「だけど、悪いことばかりじゃない。千穂さんのお父さんと弟さんは距離のおかげで……標的から外れているかもしれないね」
「……うまく説明できないんだけどさ」
隣で座っていたタカミオが、不意に低く口を開いた。
視線は自分の左手の薬指に落ちている。
「守れって。もう失うな、って脳の中でずっとグルグル回ってるというか、そういう気持ちなんだよね」
千穂は顔を上げた。
(守れ……? 何を……?)
叔父さんは二人を見比べ、しばらく沈黙した後、静かに言った。
「龍が実在すると思うかい」
唐突な問いに千穂は答えられず固まった。
叔父さんは眼鏡を外し、レンズを布で拭きながら続ける。
「科学的に言えば、龍なんて生物は存在しない。骨も化石も、確かな痕跡は見つかっていない。研究者としては“居ない”と言わざるを得ない」
一拍おいて、声を落とす。
「でも、じゃあなぜ繋がりのない時代、世界各地で龍の伝承がある?ヨーロッパでも、中国でも、日本でも。まるで同じものを見たように語り継がれている。不自然だろう。……『居ない』証明は、誰も成功していない」
おばちゃんが茶碗を置き、ため息をついた。
「ほんと、どこ行っても龍って言葉は出てくるもんねえ」
叔父さんはノートの端に鉛筆を置き、言葉を継いだ。
「雪子は望んで人柱になったわけじゃない。地獄の口を塞ぐために、無理やり捧げられたんだ。だが、そこで完結しているなら、もう伝承は続かないはずだ。雪子が犠牲になって口を閉じたなら、次代の女当主に徴が現れるなんて筋は残らないはずなんだよ」
千穂は息を詰めた。
(……ほんとだ。終わってるなら、私に痣なんて出るはずない)
叔父さんは目を細め、結論を口にした。
「それでも続いている。四代ごとに徴が現れるという筋が残った。つまり、雪子の犠牲はただの終わりじゃなかった。……託されたんだ。意志か、力か、あるいは未完の物語か。今を生きる者に。千穂さん、そして澪に」
茶の間の空気がしんと静まった。障子の外で風鈴がひとつ鳴り、濡れた風が通り抜けていった。
千穂は右足を抱え、タカミオの薬指に浮かぶ痣を見た。
(生まれ変わりじゃない……託された者……? それなら、私たちはどうすればいいの)
「それに」
叔父さんが淡々と語る。
「千穂さんが地獄の口に捕まらない理由。守られているからだ、と思えないかい?」
答えの出ない問いだけが、胸に重たく残った。
守られている、守れ、誰が何を?
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