クラスの真ん中にいるあの子は、ただのカガミでした

江野 実

第1章 クラスの真ん中

第1話 はじまりを選ぶ目


 俺はたぶん、空気を読むのがちょっと得意だ。


 教室の中でどこに居るべきか。誰と会話をするべきか。最初の数日で、そのクラス内での自分のポジションは、ほぼ決まる。

 人間関係の波に呑まれずに泳ぐためには、必要以上に目立たず、かといって埋もれもしない絶妙なポジショニングを狙うことが肝心だ。

 それを意識せずにのんびり構えてる奴ほど、あとで後悔することになるだろう。自分は、そんな後悔だけは絶対にしたくない。

 入学式当日の朝。少し肌寒さの残る春風に背中を押されながら、俺はそんなことを考えつつ、ゆるやかな坂道を歩いていた。


 今日からしばらくの間、毎日通うであろう高校は、これまでに比べると家からは少し離れた位置にあり、徒歩だと三十分から四十分程度かかる。

 ただ、その通学路の途中には小学校からの記憶が詰まっていて、ほとんど変わらない景色が少しだけ心を落ち着ける。


 校門が目の前に見えた頃だった。


「あ、翔太郎。おはよ」

 声の方を向くと、光り輝く長い黒髪を静かになびかせた、少し背の高い女子が立っていた。

 高野優花たかのゆうか。幼稚園からの幼馴染で、小学校でも中学校でも、その大半が同じクラスだった。

「あー、優花か。おはよ」

「また一緒だね。高校でもよろしくね」

 優花は少しだけ笑って、手をひらひらと振った。それだけの仕草なのに、妙に印象に残る。

「しかしまた同じ学校なんて、本当に長い付き合いだよな。まさか呪いってやつ?」

「言い方ひどくない?それじゃ、心底嫌がってるみたいじゃん」

「別にそうじゃねえよ。ただの冗談だし」

「そういうところだよね。相変わらずのノンデリ男」

 なんだろう。向こうから話しかけてきたくせに、妙に棘っぽい。でも、その棘っぽさが、逆になんとなくあたたかい空気。

 彼女との距離感は、いつもこんな感じだった。


「ついさっきまでお母さんと一緒だったよ。久々に翔太郎に会えるの楽しみだって言ってたのに……タイミング悪かったね」

「そうなんだ。ウチの母さんなんて、支度めっちゃ遅くてさ、ダルいから先に出てきたよ。おばちゃん元気?」

「元気だけど、そのおばちゃんっていうのは直接言わないでね。たぶん怒るから」


 優花と互いに最近の家庭事情を話したりしつつ、クラス分けが貼り出されている掲示板へと足を進める。

 掲示板を見ると、優花とは今回もまた同じクラスだった。



 入学式を終え、期待と不安を込めて新しい教室の扉を開けると、空気がピリッとした。

 一人、二人と着席しているものの、誰もが緊張した顔で、周囲の様子を探っている。無理もない。クラスの大半がほぼ初対面で、ここから一年間の人間関係を築いていくわけだ。誰だって、慎重になる。

 教室をざっと見渡す。そして自分にとっていい感じの席に当たることを願いながら、黒板に貼られた座席表を見る。

 俺の席は、窓際の四列目だった。前に出すぎず、かといって隅でもない。見られすぎず、でも目立たなすぎない。ちょうどいい場所だ。


「お疲れっす!よかったよ、また翔太郎と一緒で!マジ助かるわ!」

 背後から聞こえた騒がしい声。振り返らなくてもわかる。

 岸本治樹きしもとはるき。中学の頃からずっとこんなテンションだ。声が大きくてうるさいけど、悪いやつじゃない。

「あー、はいはい。お前は相変わらずうるせえな」

「そりゃそうだろ!親友とまた同じクラスになったんだからさ」

「……え、そうだったっけ?」

「はあ!?お前は相変わらずひでえな」


 治樹とそんな冗談を交わしていると、すぐに優花も合流し、自然と三人で言葉を交わす。

 別に仲良しグループってわけじゃないけど、見知った顔があるだけで場の緊張がふっと緩む。

「なんか、見慣れたメンバーが揃ってるだけで、ちょっと安心するね」

 優花がふと窓の外に目線をやりつつ、そう呟いた。

 やっぱりみんな考えることは同じだ。



 始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。四十代くらいの、いかにもベテラン教師という風貌の男性だった。

「えー、みなさん入学おめでとうございます。今日から、このクラスの担任をすることになりました、田辺たなべです。担当科目は現代文だけど、実は古典の方が好きです。だから質問は現文より古典のことを聞かれた方が嬉しいです。みんな一年間よろしくな」

 クスクスっとした笑い声が少しだけ聞こえる。よくわからないけど、彼なりに場を和ませるための冗談を言ったつもりだろう。

「じゃあ早速で悪いけど、それぞれ簡単に自己紹介をしよう。一人ずつ立ち上がって、名前とみんなに一言。好きなものでも目標でもなんでもいいぞ」

 クラスの面々が一人ずつ立ち上がり、順番に自己紹介をしてゆく。

 クラス分けの最初に訪れる地獄の時間だが、それを共有することで、少しずつ空気がほどけていくのが分かる。


石川航いしかわわたるです。趣味はスポーツ全般で、特にサッカーが好きでーす。適当に絡んでくれたら、こっちも適当に絡みに行くんで、よろしくお願いしまーす!」

 軽いノリに対して笑いが起きると共に、女子がざわつく。たぶんこのイケメンが、今後男子の中で一番モテるに違いない。


 それに続く女子も、それなりに上手くやっていて、教室の雰囲気は悪くない。

中村千尋なかむらちひろです。えっと……好きなことは映画とかドラマとかを見ることです。あ、でも、ダンスも好きなので、そっちも頑張りたいと思ってます。何かオススメの曲とかあったら教えてください。よろしくお願いします」

 控えめだけど、自分の特徴を上手くまとめた自己紹介。ルックスや雰囲気的にも、これまでモテてきた側であろう女子だ。


 そして——


「じゃあ次、内野陽南うちのひなみ


 田辺からその名前が出た瞬間、教室の空気がふっと変わった。俺の隣の席の女子が、椅子を静かに引き、立ち上がる。

 綺麗にまとまり、少し茶色がかったボブカット。かなり整った顔立ち。制服の着こなしも完璧で、姿勢まで絵に描いたように美しい。そんな彼女が、立ち上がって一礼する。


「はじめまして、内野陽南です。入学を機に、こっちに引っ越してきました。小説と音楽が大好きで、小説はラブコメ系をよく読みます。音楽はK-POPを聴くことが多いんですけど、アニメも好きなので、アニソンもよく聴きます。みなさんとは、いろんな話が出来たらいいなって思っています」

 表情、声のトーン、間の取り方、すべてが話し方の教科書に出来るレベル。というより、教科書よりも強いインパクトを与えられる雰囲気すら感じる。

「……最初はちょっと緊張してると思うんですけど、早くこのクラスに馴染めるように頑張りますので、よろしくお願いします」


 一瞬の沈黙。


 そのあとに、ぱちぱちと拍手が広がり、教室がざわめいた。

 まさに大正解。そう思えるほどの見た目と声質で、周りが彼女に好感を持つには充分な説得力だった。

 でも、俺はどこか落ち着かない気持ちになった。

 どうしてそう思ったのかは、その瞬間にはわからなかったが、直感的に自分とは合わなさそうな女子だと感じた。


世良翔太郎せらしょうたろうです。えーと、特別な趣味はまだこれといってないんですけど、色々なことに興味はあるので、気軽に話しかけてもらって、色々と教えてもらえればと思います。よろしくお願いします」

 自分の無難な紹介の後も、クラスメイト達の自己紹介は続く。

 だけど俺の頭の中には、内野陽南の言葉と笑顔だけが頭に残っていて、そのことをずっと考えていた。

 優等生ぶってるわけでも、進んで目立とうとしてるわけでもない。だが俺からすると、なんとなく全てが予習済みとでもいうように見えてしまっていたのが、引っかかる原因だろうと考えた。

 つまり、俺は彼女にちょっとした警戒心を持ったのだ。

 隣の席に目をやると、彼女はまっすぐ前を向いていて、微動だにしない。


 教室には、自己紹介後の笑い声とざわめきが戻っている。

 そんなとき、少し斜め前に離れた席にいる優花が、ちらっと俺の方を見て、視線がぶつかった。目が合った瞬間、「なんでもない」とでも言いたげに顔を逸らしたけど、その優花のいつも通りの感じに、少し気分が晴れたような気がした。


 そのとき、内野がふいにこちらを見て、そしてごく自然に——笑った。

 その瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 確かに女子に笑いかけられたときはドキッとするものだが、これは方向性が違う。


 あれは、恐らく誰にでも見せるであろう、正解の顔だ。

 でもその表情の奥に何があるのか。まだ俺にはさっぱりわからなかった。


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