あけ美(50歳)
ティロリ♪ティロリ♪
フライヤーから多量のポテトを引き上げ塩を振り手早くバギングしていると背後で”あけ美さんすご〜い”と、吉原さんのわざとらしい感嘆の声が聞こえてきたが無視した。
祭日にも関わらず平日と同じシフト体制だった為に目の回る忙しさで、5時間勤務の疲れもピークに達していた所で、次シフトで出勤してきた優奈ちゃんの声に救われた。
「おはようございま〜す♪あけ美さん、お疲れっす」
優奈ちゃんに諸々の引き継ぎをして、シフトを上がる準備をしていると吉原さんが寄ってきて「もう上がってもいいかな?」と聞いてきた。
(ここで働きだして3ヶ月も経つのに、まだバイト初日の感覚なの?)
私の中に、吉原さんへの悪感情が湧いたのを優奈ちゃんが素早く察知して、
「今度あけ美さんの”ポテトの呼吸”伝授してくださいね〜お疲れ様でした♪」
と、人気アニメをもじった軽口でその感情を一掃してくれた。
私の息子より5つも年下の優奈ちゃんは、ちょっとギャルっぽいけど礼儀正しく明るい娘で、バイト先での一番の仲良しだ。
孝之の彼女も、優奈ちゃんくらい聡明で明るい娘だったら良かったのに…
息子の孝之から紹介された裕子さんは、気立ては良さそうだが何処かよそよそしく、私は一見して「この娘とは仲良くなれなそうだ」と気落ちした。
孝之は裕子さんと籍を入れるつもりらしく、結婚資金を貯めるため「来年から仕送りの額を減らすから」と一方的に言ってきた。
私がここのバイトを始めてから、かれこれ10年にもなる。
昼のシフトではバイトリーダー的な存在として、何代目かになる現店長からも「あけ美さんがいれば安心」と信頼されている。
3ヶ月前に入った新人バイトの吉原さんの教育も、私が受け持つ事になったのだが、今この”吉原さん”の存在が私を最も悩ませている。
吉原さんは子供が二人居て、その長男が息子と同級生だったので小学校から中学卒業するまではPTAや学校行事で何度か顔を合わせている。
確か旦那さんは何処かの有名企業に勤めていて、奥さんがバイトする必要など無い家なのだと思っていたが、次男が家に引き篭もっていて大変らしい。という噂を数年前に聞いた。
障害を抱えた夫を持って貧乏生活を送ってきた私なんかとは大違いの、恵まれた家庭だと思っていたのだが…人生とはままならない。
吉原さんはバイトをするのも学生の時以来だそうで、まぁ何をやらせても要領が悪くてトロいのですぐに辞めると思っていたのだが、未だに続いていて顔見知りの私にまとわりついてくる。
貧しさの為にずっと働き続けている私を何処か見下していて「この人が出来るなら私にも出来るはず」と思っているのをうっすらと感じる。
バイト上がりで吉原さんに捕まると、会った事も無い旦那さんの愚痴を延々と聞かされるので「この後、用事あるんで先帰るね」と言って急いで着替えバイト先を後にした。
実際に用事があるのは本当で、その日はマッチングで繋がった男との初顔合わせがあるので、帰って身体に染み付いた油の匂いを落としたかったのだ。
私は息子が中学生になって多少時間の余裕ができると、バイトをするより先にマッチングアプリを使って男性からの援助を貰う生活を始めた。
夫には15年前に起こしたバイク事故の後遺症による身体麻痺があり、ずっと障害者雇用枠で働いているので稼ぎは一向に上がらず、子供にお金がかかる間はとにかく家計は火の車だった。
夫は自身の負い目から、私が援助交際して生活費を稼ぐのを黙認していた。
私は高校生の時にダイヤルQ2を使って”ウリ”をやっていたので援助交際する事に抵抗は無いが、「何でこんな歳にもなって…」と思わない訳でもない。
一応、昼のバイトも始めたけどいくら稼いでも収入は全然足りないので、息子から仕送りを受けている今でも、自分で使うお小遣い分は男性からの援助で賄っている。
収入と体調のバランスを考え、定期が2人、新規は3人までと上限を決めているが、今は定期枠が空いているので、今日会う男は「定期候補」として多少いつもより気合を入れて身なりを整えた。
待ち合わせた近所のコンビニに少し早めに着きイートインから駐車場を眺めていると、知らせを受けていたシルバーのワゴンが入ってくるのが見えたので私はコンビニを出てその車に向かった。
運転席の男は、近付く私を確認して軽く手を上げる。
歳の頃はプロフィールにあった通り50代前半くらいで、温厚そうな顔立ちをしていて短い髪には少し白髪が混じっている。
私が助手席側に回り込むと身を伸ばしてドアを開けてくれ、「スムーズにお会いできてよかったです。待ちました?」と声を掛ける一連の挙動で、こういった事に慣れている男だということが分かった。
男は会話も軽妙でホテルに着く頃にはお互いの緊張も解け、肝心の行為についても至ってノーマルな内容で、おかしな要求をされることも無く、男は私を適度に悦ばせ、また自分自身も満足した様だった。
事が済んだ後のベッドの上で、この男に心の中で二重丸を付けながら定期的に会える相手なのか探りを入れると、同じ地域に住んでいる事が分かった。
近くに住んでるなら会い易いが、地元で鉢合わせしてしまうデメリットもあるので、私は自分の個人的な情報は明かさないままローカルな話題を交え男の素性を聞き出していった。
男は、次男が引き篭もりで家の中で暴れるため家には居たくない事、そのせいで夫婦の関係も冷え切っている事、長男は大学を卒業し逃げるように家を出ていった事など、自身が抱えている悩みを私に打ち明けた。
そして── 諸々の話を総合すると、その男は吉原さんの旦那さんだという事が分かった。
その事実に、私はここ数十年で一番心が躍った。
その日以降、私はその男に最善を尽くして接し、月に2〜3回定期的に逢瀬を重ねる様になり、もう4ヶ月ほど関係が続いている。
吉原さんの旦那は、付き合ってみると優しく紳士的な”良い男”だった。
こんなに良い旦那を持って、金銭的な不自由もなく暮らしてきた吉原さんを妬ましく思ったが、今その旦那は私と定期的にセックスを交わす仲となり、「”あの”吉原さんの旦那を寝取っている」と思うと爽快でたまらなかった。
おかげで吉原さんを疎ましく思うことも無くなり、バイト上がりに吉原さんの愚痴を聞くのが何よりの楽しみになった。
「あけ美さんのウチって、旦那さんともう長いのよね?」
ある日、珍しく吉原さんが私の家庭について尋ねてきた。
「そうね、今年で26年目かな…」
しかし、私たち夫婦は息子の結婚式に揃って出席した後に離婚する事を、すでに話し合って決めている。
夫は「今まで、障害を抱えたオレを見捨てず一緒にいてくれてありがとう。これからはオレの面倒など見ずに自由に生きてくれ」と私に言ってくれた。
「あけ美さんみたいに、仲のいい夫婦が羨ましいわ〜」
「ウチはもうダメかもしれない…だいぶ前から性交渉も無くなって、夫は他所で浮気してるみたいなんだけど、私も出来るなら浮気してやろうかな〜とか思うのよ」
その言葉を聞いて、私の中にドス黒い感情が膨らんでいくのを自覚した。
この女は、自分がどれだけ恵まれた環境で生きてきたのか分かっていない。
金に困って男に身を売る様な目に会った事もなければ、あんなに優しく甲斐性のある旦那が居ながら、それを大事に思うこともない。
人生においても要領の悪い能無しのクセに、文句だけは一丁前のこの女を地獄に突き落としてやりたい──
「私の夫婦円満の秘訣を、吉原さんに内緒で教えてあげよっか?──吉原さん、マッチングアプリって使ったことある?」
私は、吉原さんを道連れにして堕ちる穴を二つ掘り始めた。
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