京子(38歳)

深夜帯ラジオのジングルが流れ出す頃。

ようやく、モニターの中のキャラクターたちが命を宿し始めた。


寒くなったのをいいことに、今週は洗面所で顔と頭を洗うだけで風呂キャンを続けていたが、流石に少し自分の匂いが気になり出している。


── 今日は帰って風呂に入れるかも?


そう思っている所に萩原から、私が関わった作品のスタンプを添えて究極に短いお誘いメッセージが入る。


── 今日、どう?


最近してないから、したいのは山々だが…「今日は無理だ」と、私の都合がつく候補日をいくつか添えて返信した。


萩原は、かつて同じアニメ制作スタジオで働いていた男で、いわゆる「セックスフレンド」である。


嫌な奴じゃないけど恋愛感情を持てる相手でもなく、お互い純粋に肉欲を発散させるだけの関係性が、それぞれに職場が変わった今も続いている。


ただ、性欲を処理できる相手がいる事で、煩わしい恋愛感情に悩まされることなく仕事に集中できるのは、忙しい今の私にとっての最適解だった。


数日後、いつも使ってる安いラブホでお互いの欲求をぶつけ合い、一定の満足感と疲労感を得てベッドの上で呆けていると、私の乳首をこねくりながら萩原が言った。


「京ちゃん。俺、結婚することになったんで、この関係は今日で終わりね」


いつまでもこんな関係を続けていられないとは思っていたけど、今日このタイミングで萩原から言われるとは思っていなかった。


しかも、その理由が『結婚するから』って、何だよ。


「今後、セックスしたい時はマッチングアプリでも使って相手見つけてよ」


「京ちゃん、ちゃんとしたら若く見えるから、きっとモテるよ」


──コイツ、自分が結婚するからって何でちょっと上から目線なんだ?


”ちゃんとしたら”とか、お前に言われなくたって分かってる。


中学時代までの私は、バスケ部では全国に行くほどでありながらピアノや書道も嗜む、いわゆる文武両道の”お嬢様”で男子から何度も告られていた。


高校に進学してから友人の影響でBL漫画にどっぷりハマり、漫研に所属しコミケに通い、オタクな腐女子にクラスチェンジしてそのまま大人になった。


現実の男子よりも、二次元の世界で繰り広げられる精緻な愛憎劇、登場人物たちの繊細な感情の機微に、私はすっかり心を奪われたまま現実の男は視界に入らなくなり、当然のように寄ってくる男子もいなくなった。


それでも、高校を卒業する時には、まるで恋愛漫画の登場人物のような陽気で快活な同じクラスの男子に、私は勇気を振り絞って告白した。


「えっ!何で俺?お前、もっとオタクっぽい奴と付き合った方がよくない?」


確かに、その男子が言ったことはごもっともで、”憧れ”は現実の恋愛とは違うということが、その時に身に染みて分かった。


大学に進学してからは脇目も振らずにオタク道を突き進み、社会人になってアニメーター、漫画家アシスタント、ゲーム制作、と自分のオタク魂の赴くままに邁進し、実在する男性と恋愛している暇など一切なかった。


とはいえ、なんだかんだで私にも性欲ってものがあり、セックスへの好奇心と仕事の忙しさが相まって正気を失っていた時に、一緒に会社で残業していた萩原を私が襲ってしまったのが事の始まりだった。


一応は私も、萩原を恋愛対象として扱おうと努力した時もあったのだが、私が理想とする相手は未だに恋愛漫画の中に居る男性像のままで、生粋のオタク男子である萩原に「オレはお前とセックスするだけの関係でいいから、無理すんな」と諭され今に至っている。


セックスに限った話じゃないけど「もう出来ない」と思うとしたくなるもので、私は萩原に言われた通りマッチングアプリに登録し、新しい性行為の相手を探し始めた。


プロフィールの写真は身バレしない程度に加工はしたけど、私史上いちばん”ちゃんと”した写真を使ったおかげで沢山のメッセージを受け取った。


ただ、どの男も判で押したように画一的で、自分本位な性欲求がダダ漏れなので、そこから理想の相手を選ぶのは思った以上に面倒な作業になった。


「京子さん、お初です。もし宜しければお相手願います。」


やけにサッパリとして素っ気ないそのメッセージを見て「とりあえずコイツでいいや」と、その男に返事をして会う約束をしてみた。


初顔合わせは日曜日の昼過ぎ、相手の男はVネックシャツにジャケット、短髪という絵に描いたようなIT系ヤンエグファッションで現れ、またそれがよく似合うイケオジ顔をしていて、ちょっと笑ってしまった。


歳は、私よりちょっと上の42歳で独身。


婚活市場ではメチャクチャ優良物件と思われるその男が、なんでマッチングアプリなんぞで相手を探しているのか?不思議に思って訊ねてみた。


そいつは、小さなWEBサービスをいくつも運営している起業家で多忙を極めており、今は面倒な恋愛や結婚などには興味が持てないと言う。


それでも人並みに性欲はあって、ムラムラした時には風俗店に行ったり、マッチングアプリを使って「割り切り」の相手を探しているそうだ。


まぁ、私も似たような事情なので男の心境には充分に共感できた。


「京子さんこそ、相手には困らなそうだけど?」


私は私の事情を話し、お互いに「性欲処理困難民」としておかしな”親近感”を持って、手と手を繋いでホテルへと向かった。


ホテルのエレベーターで二人きりになった途端、男が私の腰に腕を回し身体を引き寄せ、私が男に身を預ける体制で唇を重ねた。


唇が触れ合った瞬間、全身の血流が下腹部に集まる初めての感覚に襲われ「コイツはヤバいかも?」と快楽への期待よりも微かな恐怖心が湧いた。


その予感は的中し、私の身体はその後エライ事になった。


その男は、萩原なんかとは比べ物にならない程”女の身体”を熟知していて、男の指技だけで私は何度も昇天してしまい、男のモノを迎え入れる頃には全身に力が入らず、性感に反応して性器からは潮を吹き、痙攣を繰り返す軟体動物と化してしまった。


私はそんな調子で我を失って乱れ狂っていただけだったが、男も充分に満足してくれていた様で、連絡先を交換し、また会う約束をして別れた。


そんな出会いから5ヶ月、なんだかんだ月2回ペースで逢瀬を重ねているが、私は我ながら陳腐に思える特別な感情が芽生えた事に戸惑っている。


相変わらず仕事は忙しいが、日に何度も彼からのメッセージを確認し、彼の素っ気ないメッセージが届くと私の心は舞い上がり、次に会う予定が決まっていない期間は「このまま会えなくなるのでは?」という不安で夜もろくに眠れなくなった。


彼と会える日のカレンダーには密かにハートマークをつけ、それを見るたびに私は奮い立ち、いくらでも仕事のやる気を漲らせることが出来た。


長く身体を交わし合った萩原にも感じた事がない、ただの性欲とは違う特別な感情──その感情の名前を私は知っている。


それは私が今まで何度も仕事で描いてきた、二次元に住む架空のキャラクター達がその心に宿していた「恋心」だった。


── 38歳にして、私にこんな感情が芽生えるとは。


彼にとって私がただの「性欲処理」の相手だという事は、彼が私に屈託なく語る風俗店の話や、マッチングアプリで出会った他の女性の話で嫌というほど思い知らされている。


私の気持ちを彼に打ち明けたら、この関係は壊れてしまうかもしれない。


それでも私は、この萌える気持ちを彼に伝えずにはいられない。


彼と会うのは、次で10回目──

カレンダーを見ると、奇しくも金曜日にハートマークが付いている。


ラジオで流れていた懐メロの歌詞を思い出し、私は「大丈夫」と3回、手のひらになぞって飲み込んだ。

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