世界で一番ふしあわせな貴女

宮脇なお

美奈子(43歳)

「どれどれ…どんな男からメッセージ来てるかな〜?」

最近よくTVCMで見かける求職サービスのコマーシャルを思い浮かべながら、慣れた手つきでマッチングアプリのアイコンをタップする。


今朝ポストしたアプリの募集告知には、5件ほどのメッセージが入っている。

男たちのしょーもないメッセージとプロフィールをチェックして”お相手”を探す。


30代後半、IT企業勤務、趣味は映画鑑賞と筋トレ

――そんなアテにもならない情報に興味はない。


重要なのは、いかに面倒なく安全に取引ができるか?って事。


もう既に定型化しているメッセージを送る。

マチアプの監査に引っ掛からない様な隠語を使い、単刀直入にこちらの希望する条件を告げる。

ここでグダグダと質問してきたり、値切ってくるような相手は”ナシ”だ。

15分程度で"ピコン"と通知音が鳴った。


「OKです」


短い返信。相手も、こういうやり取りに手慣れているのが分かる。

自分の年齢を考えれば少し強気な提示額だったハズだが、短時間で即決するとは”大当たり”の可能性もある。

ここ数年、こんなやり取りばかり重ねて、すっかり”勘所”も身についてきた。


思えば、元夫が実家の家業を継いだのが全ての始まりだった。

家業を継ぐ事に私は初めから反対していたし、アイツだって結婚する時は「そのつもりは無い」と言っていたのに…


ヘルニアだか腰痛だかで入院し弱った両親にほだされ、うだつの上がらない会社勤めから逃げるように、家業である田舎にあるしょぼい工務店を継いだ時から、順風満帆だった私の人生は崩れていった。


結局、元夫は工務店の仕事も上手くいかないまま雇っていた若いパート事務員と浮気し、家族を捨てて出ていった。TVや小説で聞いたような陳腐な”よくある話”だが、いざ自分の身に降りかかると絶望的だ。


私は離婚する事を選び、高校受験を控えた娘と二人で生まれ育った土地を離れ、見知らぬ東京の近郊都市に引っ越した。


駅徒歩15分。家賃7万ほどの2DK。地元ではクルマ無しの生活など考えられなかったが、今は望むべくもない。


娘は、憧れていた”東京”に近い高校に通える事を前向きに捉えていたが、生活を支える”大人”の身としては正直、生きていくだけで相当にキツい。


家事の一切を嫁に任せる夫であったし、子供が出来てからはロクに働けず、家族の面倒を見ているうちに歳を重ね、なんの資格もキャリアもない40代の女性になった。

夫と別れ、どうにかありついたコールセンターでのパート職も、それだけでは稼ぎが少なすぎてどうにもならない。


養育費も途絶えがちになり、自分より若い同僚ばかりのパート先では、物覚えの悪い中年女性はお荷物扱いされ肩身が狭い。

見知らぬ土地に越してきたばかりで、愚痴を吐き出す相手もいない。

不安に押しつぶされ、電気を消した部屋で天井を眺めては毎日泣いていた。


慎ましやかな生活でも娘に人並みの暮らしをさせる事が、私が生きている意義であるし、私の人生をダメにした者への復讐でもある。


「やはり男性に支えてもらわなければ生きていけないのか?」


そんな事を考えていた時、ふと、パート先の同僚が話していたマッチングアプリの話を思い出した。とりあえず最初は「異性と話して、少しでも気が紛れれば。」くらいの気持ちだった。


ある時、メッセージのやり取りをしていた男性から、私の言葉の端々から何かを察したように援助を提案された。


「失礼ですが、もしかして少々お困りですか? よければ、微力ながらサポートしましょうか?」


きっとその男は”そういう事”になれていたのだろう。

でも私は、男のその提案に光明を見る思いだった。

まさか、私にそんな援助をしてもらえる価値があるとは。

まさか、私がそんな援助を受けとるハメになるとは。

まさか…まさか…


とにかく、弱りきっていた私はその言葉にすがった。

娘の将来のためなら。人生を立て直すためなら。自分にそう言い聞かせた。


そして、一度は二度になり、二度は三度になり、気づけばマチアプを通じて得た糧は私たちの生活を支える「柱」となった。


約束の場所は、近くにホテル街のある駅前。

待ち合わせの時間より少し早めに行き、近くの喫茶店で待機する。

待ち合わせには敢えて遅れて行って、先に着いている男を確認する。

オカシな人じゃないか?風体はどうか?清潔感はあるか?

外見から分かる事は少ないが、このファーストインプレッションはリスク回避には重要で、毎回のことだが緊張する瞬間だ。


喫茶店でレモネードを半分ぐらい飲んだところで「つきました」とメッセージが入る。「今、駅についたので、そちらに向かいます。」とメッセージを入れ、残りのレモネードを飲み干し店を出る。


待ち合わせ場所が見えるところで、事前に連絡を貰っていた情報を頼りに相手の男性を探す。紺色のスーツに茶色い革カバン、メガネ…

多分、あの小太りなスーツ姿の人。年齢は50代くらいに見える。

プロフィールとは大分ズレているが見た目はごく普通。とりあえず容姿から警戒すべき点は見当たらない。


おずおずと男性の顔を覗き込み、マチアプのニックネームで呼びかける。


「美奈子さん?」


男性が安堵の表情と共に私の名前を呼んだ。私は小さく頷いた。


「はじめまして」


儀礼的な挨拶を交わし、ホテルに向かう。

メッセージのやり取りでは慣れた感じではあったが、男性も少し緊張していたようだった。それは私にとっては都合が良い。

あまり慣れた男性だと、無理な要求をしてくる奴も多い。


ホテルに入るとバスルームをチェックし湯を張り、タオルを用意する。

夫と暮らしていた時に身についた習慣だ。

先にソファに座る男性と距離を置くようにベッドに腰掛ける。

大事な契約を履行するため、私はおずおずと口を開いた。


「あの…先にいただけますか?」


男は「あ…」と呟き財布を取り出す。


この関係は”契約”に基づいたもので、間違っても「恋人」なんかじゃないってことは、初めにちゃんと分からせなければならない。

約束した”お手当”をわざとうやうやしく受け取り「ありがとうございます」と私は優しく微笑んだ。その笑顔は当然、娘に見せるものとは違う営業用の笑顔だ。


男性は最初はたどたどしく、私に幾つかの質問を投げかけた。

普段は何をしているのか?いつもこんなこと(!)をしているのか?


「…こんなこと」


自分が”真っ当”では無いことを、愚鈍な男の無遠慮な言葉で突きつけられる。

男は、真っ当な職を持ち、真っ当な家族と、真っ当に暮らす生活で抱える、真っ当な不平不満を私に吐露した。


「…ダルっ」


私は辟易とする気持ちを隠して、適当に当たり障りのない返事を返す。

そんな意味の無い言葉を交わすより、サッサと事を済ませてしまいたい。

時間は有限だ。


やがて男性は意を決したように、私の隣に座る。私は動じず男性に少し寄りかかる。

男性が手を私の腰に回す。私はその手を拒まず近づく顔にそっと瞼を閉じる…


男性の湧き上がる欲望に身を委ね、自身の中に僅かに感じる快楽と不快をやり過ごし小一時間が過ぎた頃、男性は満足げな表情でベッドを降りる。


シャワーを浴び、ホテルの部屋を出てエレベーターに乗り込む。

ふと鏡に映る自分の顔から目を逸らした。

今や、男との関係を”生業”としている自分は醜悪な顔になっていて欲しい。と思いながら、そんな自分の醜悪な顔は見たくない。とも思う。


別れ際、男と連絡先は交換しなかった。

また機会があれば会ってもいいが、定期的に会う間柄になる気はなかった。


男と別れ駅へ向かう道すがら、私はスマホを取り出しマッチングアプリを開いた。新しいメッセージがいくつか届いている。


「次の、良さそうな相手はいるだろうか?」


私の指が、画面をスライドする。

しばらくは、この生活は変えられそうにない。

私の身体が”どこかの誰かさん”の欲望を満たせるうちは、それを差し出そう。


私と娘の”幸せ”の糧とするために。

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