崩壊の前の静けさ


アルケン号は静かに地球へと向かっていた。

ゲストロニオ消滅から4日――クルーはほとんど口を閉ざしたままだった。爆弾のことも、その後の静寂についても。タイズでさえ冗談を言わない。何かが、変わっていた。


ロンドンの高層マンション。レオナルド・チェッコリは通信室の端末を睨みつけ、歯を食いしばる。

“また繋がらない……”

赤ダイヤルを押す。応答なし。

また押す。応答なし。

怒りに任せて机を両拳で叩く。


「ロンド!宇宙のロバ野郎!しっかりしろ、応答しろっ!」


シーンと静まり返る中、レオナルドが呟く。

「……もう一回……」

ビープ音、反応ゼロ。

彼は顔を揉み、毒づく。

「凍れる壁野郎をこの手でぶっ殺してやる……」


そこへケイトリン・テレサが現れる。

オーバーサイズの白シャツとミスマッチなモコモコ靴下姿。紫リップはまだ残る。手にはブラックコーヒー。


「まだ無視されてるのね?」

「あったかみのない“ghosting”ってやつだ」

レオナルドは唸る。

彼女が笑いを噛み殺しながら付け加える。

「生きてないかもよ」

彼は背後からつんのめる。

「冗談、やめてくれ……」


船内――ダイニングルーム近く。

キンバリーはピンクのフーディと靴下でくつろぎながら、片手にポップコーンのボウル、もう片手でデータパッドを操作していた。


スティーブンはまっすぐ近づき、まるでロボットのように涼しい声で言った。

「食べるもの…ありますか?」


キンバリーはイヤホンを外して瞬きする。

「えっと…ポップコーンで良ければ?」

彼は黙って一粒取って噛む。目を見開く。


(心の声: *これは、神々しい…クリスピーなる奇跡…*)


無言でボウルを抱え、部屋を出て行く。

「ちょっと…それ、私のだった…」

キンバリーはぽつり、と呟いた。


休憩室のソファにドサッと転がるスティーブン。ボウルを膝に置き、無表情でポップコーンを頬張る。


そこへ突如、レインボーの嵐が――ではなく、ラナが入ってきた。キリッとした髪まとめ、胸がゆさゆさ跳ねる白制服で。


「スティーブン!」

「また、そのソファ?!」

「はい」彼は淡々と頷き、口に一粒ポップコーンを入れる。

「あんた、本当にここで寝たの?」

「はい」

「話をしてる間は食べないで」

彼はじっと見つめ、飲み込んでから呟く。

「もう一度言ってもらえますか?理解できませんでした」


ラナが手をあげた。

スティーブンはその手を静かに掴む。

「え、何してるの?」

彼の声は低く、驚き混じりだった。


ラナは真っ赤になり、一瞬固まる。

そして――膝蹴り。

「ぎゃあっ!」


スティーブンは崩れる。

「…なんでこんなに痛いの?」

ラナは背を向けながら淡々と言う。

「次に勝手に触ったら、本気で折るから。分かった、ダーリン?」


スティーブンは呻きながらソファへ倒れ込む。

そこへタイズが入ってくる。マグカップ片手に。


「ラナに蹴られたって?また?」

「また?」スティーブンが驚き返す。

タイズはニヤリ。

「そりゃ定番だろ、兄弟。」



アンナは遠くからその様子を見つめていた。

声は出さず、眉だけがぴくり。

何かが違う、スティーブン。


彼は…笑ってない。口笛もジョークも。

ただ、無口で無表情。


(心の声:*一体、お前に何があった?*)


彼女がその思いを口にした瞬間、スティーブンはちらりと彼女を見る。

それだけでアンナは背筋が凍った。


船は夕焼けの中、大気圏を突破。

ラナは総員集合を命じた。


操縦室前に集まったチームは、みな眠そうで整列姿勢。


ロンドンは雨模様。いつもの灰色。


格納庫の扉が重たく開く。


そこに立つのは――自宅のようで、自宅ではない景色。


ロンドがうっすら口を開く。

「まずは、このまま休め。ブリーフ後だ」


ラナが前に出て切り出す。

「追加情報です。新しくフィールド司令官が一人、私の補佐に着任します」


足音が近づく。


背筋の伸びた男。

栗色の髪を縛り、頬に傷、腕に鷲のタトゥ。

フィールドベスト、手袋、落ち着いた声と存在感。


「ラッソと申します。…報告いたします」


部屋が一瞬静まり返る。


キアラは思わず爪チェックを止めて凝視する。


ラナはじっと見つめる――3秒間も。


ロンドが口を切った。

「試してもらおう。今、やれ」


床が開き、二人が向かい合う。


ラッソは動かない。


ラナが蹴り、パンチ、回し蹴り。


だが、すべてラッソがかわす。


一度の反撃もなし。


汗ばむラナ。


「なんで反撃しないの?」


ラッソは微笑むだけ。

「試してるんですよね?」

「え?」

「だったら、踊るだけで良いと…勝手に思いました」


ラナはフリーズする。

そして、迸る力を込めて最後の回し蹴り。


ラッソは受け止めて止める。

手が重なり、息が止まりそうになる。


「私に怒ってるの?今来たばかりなのに」

ラナの頬が紅潮する。


「一応“承認”です」

彼はウィンク。


その夜――

全員、24時間の休暇を与えられた。ロンド曰く「火星よりも怖い金星の前に、せめて一夜落ち着け」とのこと。


スティーブンは空になったポップコーンボウルを抱え、基地の外へと向かう。


他のメンバーは勝手に動き出す。


キアラとタイズが入口に並ぶ。


「ねぇ、ドリンクまだでしょう?」キアラが軽く肘をつく。

タイズは眉を上げて返す。

「もちろん。でも“燃える系”は勘弁な」

「約束しないわ」キアラ笑う。


キンバリーは寝巻に着替えてベッドに丸くなっていた。

ガラスに映る彼女の影が揺れる。

「何が彼を変えたの…?」彼女が囁く。


アンナはベランダ前に立ち、腕を組む。

声はない。思考だけが嵐のように渦巻く。


ラナは自室でひとり、対ラッソ戦の反射を胸に抱えながら考える。

相手の顔、静かな強さ、そして…胸の高鳴り。


そしてスティーブン…



彼は“家”なんて知らない。


25歳。だが“帰る場所”は、もう無い。


だから彼は歩き出す。


霧の中、雨の匂いの中、薄暗い石畳。


若い男女が手をつなぎ、笑い交わしている角へと進む。


スティーブンは立ち止まり、じっと見つめる。


不意に肌がうずく。


表面は静か。内側は動く。何かが――覚醒する。


夜風に僅かに光る、黴から逃げるような緑色の雫が地面に垂れる。


彼は歩を進める。


カップルが気づき、振り向く。


「ねぇ、大丈夫?」女性が言う。


スティーブンは顔を曇らせる。


何も言わず、ただ…歩く。


静寂。

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