少女の国、疑問符の霊

Case:1

 二〇二四年。

 十月六日。

 日曜日。

 午後十一時七分。

 網戸の向こう、ベランダで、紅祢がロングピースを吸っている。ずいぶんと気温も低くなり、すっかり夜風が肌に心地良い季節になった。もう少し下の階に住んでいれば、鈴虫の羽音が聞こえるかもしれない。

 私はスマホを見つめて、色々なサイトをハシゴして、ある物を探している。もう二月も前から悩んでいるのだが、一向に決まらない。勉強の時間もあるので、日に日に床に就く時間が遅くなってしまっているのも、最近の悩みの一つだ。

「あのさ、紅祢」

 ロングピースを吸い終えて、ビールの空き缶を灰皿代わりに火を消した紅祢が室内に戻ってきたタイミングで、声をかける。もっと早くにこうしておけば良かったのだ。二日前になってでは、時間管理が甘いどころの話ではない。

「ん?なに?」

「明日か明後日、時間ない?」

「えっと、明後日の………五時半以降なら」

 八日か。どうやらその日は早上がりらしい。が、しかし、

「明日はバイト?」

「そうだよ。なんで?」

「あー………」

 明後日、つまり十月八日は、紅祢の誕生日だ。前々から何を贈ろうかと考えてはいたのだが、好意を自覚したからか、プレゼント選びに悩むことになってしまった。それ自体は青春の一ページ程度で済む話なのだが、今日はもう誕生日当日の二日前。流石に時間をかけ過ぎだ。

「紅祢の誕プレ。サプライズにしようかなーとも思ったけど、よくよく考えたら、紅祢って何好きなんだろうなって」

 なので、多少味気なくはあるが、本人に選んでもらいたいのだ。

 と、紅祢が私の前に座って、じっと、私の目を見つめてくる。

「え、なに」

「分かんないの?」

「え?」

「わたしの好きなもの」

 マイナーな映画と、漫画とアニメと、夜遊び。つまるところ、

「サブカル文化」

 である。ここにゲームが入っていないのが、なんとも彼女らしい。もっとも、それは私もなのだが。

「そうだけど違う………」

 もういい、と不機嫌になり、少し移動してマットレスの上に寝転ぶ紅祢。

 恋愛漫画であれば、鈍感主人公が首を傾げる場面だろう。だが生憎と、私にはラブコメ主人公としての適正はない。今の反応の理由にも察しがつく。

 察しはつくが、果たしてそれが事実なのか、どうか。確かめる術は直接本人に質問することのみだが………しかし、もし違ったのなら。その場合、を壊すことになる。それが恐ろしく、何よりも嫌だ。

 能之との時は、こうではなかった。中学二年で女子大生と付き合うことになった時もそうだ。なんとなく………そう、なんとなくで、なのだろうなという程度で、簡単に交際に至ったのだ。以前と今のこの違いは、いったい何なのだろう。今回の好意は、どこが違うというのだろうか。

 今、この場で────紅祢かのじょに、好意を伝えたとして。その答えは、どちらになるのか。先程の………いや、これまでの、今までの反応からして、十中八九なのだろうとは思う。が、しかし、残りの一割二割が頭を過るのだ。首を横に振られたならば、どうなるのだろうか、と。

 考え無しの楽天家。それを卒業しようとした弊害、なのだろうか。考え過ぎな心配性になってしまったらしい。

「あー………明後日さ、付き合ってよ。そういや、まだ映画も観に行ってないし」

 現在公開中の映画の中に、私と紅祢が好む作品があるかどうかは分からないが、下調べをせず、映画館で見たい作品を探すというのも、それはそれで面白いものだ。

「憶えてたんだ、わたしの誕生日」

 寝返りを打って、紅祢がこちらを向く。

「そりゃ憶えてるでしょ」

「わたしも。零の誕生日、憶えてる」

「えっと、ありがと?」

 私の誕生日は、六月二十七日。紅祢と出会う十日前には、私は十七歳になっていた。東京に来ていなければ、それまでのように、能之達にカラオケで祝われていたのだろう。初めて一人で過ごした誕生日の夜は、予想に反して、心地良かったものだ。上京したばかりの私は、幼稚な解放感に浸っていたのだから。きっと、夜の世界の全てが、自分の支配下にあるように感じていたのだろう。だからこそ、一人きりの生誕祭が、心地良かった。

 しかし、次は、できれば。

「────六月」

 紅祢が、ブランケットから顔を覗かせる。

「次は、わたしの番ね」

 そして短く、そう言った。

 来年もこうしていようと、紅祢は言ったのだ。

「ん、頼んだ」

 というのも、案外悪いものではないのかもしれない。時間はあるのだ。特に、私達のような人間にとっては。ならば、それで良いのだろう。

 心の底からそう思えたのならば、どれだけ良かったことか。

 まただ。

 ブランケットから覗かせた、口元を隠した状態の、紅祢の表情かお

 またあの顔だ。

 死を想う顔。

 危うさが、日に日に増している。気温が低くなると鬱になる、という人間はそれなりに多いと聞く。冬季鬱というやつだ。だが、紅祢の場合は、そうではないのだろう。何しろ出会ったのは七夕の夜で、夏真っ盛りで、それからずっとなのだから。

 紅祢は────きっと、ずっと、死にたいという感情を、情動を、抑え込んで生きている。死にたい理由は何か、まだ死んでいない理由は何か。その根本を解決しなければ、あの表情が消えることはないのだろう。だが、それを彼女は、間違いなく、望まない。

 また、踏み込めない。

 いや、踏み込むべきだ。

 わずかでいい。

 このままだと、明日の朝起きたら紅祢の姿が消えていそうで、怖い。その恐怖を払拭し、あの表情の頻度を少しでも減らすには、半歩未満でも踏み込むべきだ。

 だって、が瓦解したならば────それこそ、私は、生きている理由が分からなくなってしまうだろうから。

「紅祢」

 ブランケットの隙間から右手を入れて、彼女の左手首のアームカバーに触れる。隙間から包帯が見えるのも、もう、いつものことになってしまった。

「大丈夫」

「………なに、が?」

 何に対して大丈夫と言っているのか、心底理解ができない。紅祢の瞳は、そう言っていた。

「私、いるから。だから、大丈夫」

 少なくとも、この六畳半の部屋の中には、私もいる。だから、きっと大丈夫なはずだ。日毎夜毎に大気中に静けさが増していく時期には、一人の部屋は広く、寒く感じられるものだから。

「────ん」

 安心してもらえた、と思っていいのだろうか。程なくして紅祢は、静かな寝息を立てて眠りに就いた。その姿はまるで置物か人形のようで、これもある種の幽霊なのだろうか、などと思ってしまった。私の記憶を食べる、生霊のようだと。

 私自ら取り憑かせた、私の脳内が生み出した、呪いにも似た生霊かんじょうだ。




    少女の国、疑問符の霊




 十月八日。

 新宿駅。

 午後五時四十三分。

 スマホで連絡を取り合って、バイト終わりの紅祢と合流した。東京駅周辺でプレゼントを探そうかとも思ったが、アクセサリーショップならば、この周辺にもある。金も下ろしてきたし、アガットあたりにでも入ろうか。

「なにか買ったの?」

 スマホをショルダーバッグに仕舞うと、中を覗いた紅祢が、黄色いレジ袋を見て首を傾げた。

「CD。タワレコ行ってたから」

「なんてバンドのCD?」

「SUNAHAMAってやつ」

 聞いたことあるかも、と紅祢。

 SUNAHAMAは、全国ツアーやZepp横浜でのワンマンライブを行うなど、かなり名の知れたグループだ。ジャズロックというジャンルで、日本でここまで人気が出るのも珍しいし、何よりガールズバンドが選ぶ音楽としては異質にも見える。リーダーは東京藝術大学を中退してまで音楽活動に専念した、という話もあり、その尖った姿勢は音楽性にも表れているので、非常に私が好むところなのだ。

 現在はリーダーが妊娠していることから活動休止中だが、ネット上では活動しているし、メンバー同士の仲も非常に良いと聞く。育児が落ち着けば、活動を再開してくれることだろう。

「零って、本とかでもそうだけど、あんまりダウンロード版とか買わないよね」

「ダウンロード版は味気ない。実物買って、直に触ってこそだよ」

「免罪体質者みたいなこと言ってる………」

 槙島聖護も、"本とは自身の感覚を調整するためのツールでもある"と言っていた。それは音楽においても同じだと、私は考えている。ので、古臭いと言われようとも、これからもCDと紙の本を買い続けるのだ。

 もっとも、最近はレコードブームが再来しているらしいので、古臭い趣味ではなくなっているかもしれない。いづみのように、若い世代でレトロカメラを好む者もいる。大半はただのお洒落アイテムとしてしか見ていないだろうが、そこから本物の、面倒臭いマニアに成長したりもするだろう。

 と、話しているうちに、目的の店の前まで辿り着いた。新宿タカシマヤ二階、アガット高島屋新宿店だ。ハイブランド品を取り扱う店、というわけではないが、ターゲット層がせいぜい二十代中盤あたりまでと考えると、安物というわけでもない。というより、私達のような底辺人間からすれば、十分に高級品である。

「いらっしゃいませ」

 店内に入ると、すぐに女性定員が近付いてきた。ダウンロード版は味気ない、などとネット嫌いを装った発言をしてみたが、普段は服もアクセサリーも通販で取り寄せているので、こういう店に来るのは、実は初めてだったりする。なので、多少緊張しているというか、身構えてしまうのは仕方の無いことだろう。

「本日はどのような物をお探しでしょうか」

 自分達で探すのではなく、店員に相談して探すのが普通なのだろうか。仮にも店員は販売のプロなので、好みを伝えれば相応の物を出してくれるだろうが………こういう商売は、客の予算の範囲内で、最も高額な商品を売りつけてくるものだ。二人で見て回る方が良いかもしれない。

「ペアブレスレットってありますか?」

 そう思っていたのだが、紅祢が店員にそう尋ねてしまった。しかし、ブレスレットはいいとして、何故にペアを探しているのだ。こいつへのプレゼントと言ったはずなのだが。それに、アガットは確か、ペア系のアクセサリーはあまり取り扱っていなかったと思うが………

「申し訳ございません。当店では、ペアリングやペアブレスレット等は取り扱っておらず………。もしよろしければ、ご予算をお教えいただいて、その範囲内で同じ物を二つ購入される、というのはいかがでしょうか」

 なんとも商売上手なことである。というか、私のは必要ないと何度言わせれば気が済むのだ。

「いや、紅祢の誕プレ買いに来たんだから、私のはいいでしょ」

「えー。いいじゃん、おそろ」

 いいじゃん、と言われても。

 確かに、余裕を持たせて口座から十万下ろしてきているが、だからといって必要以上に出費を重ねる必要もない。必要がない、というより、旅行で使う分や秋冬の衣服代、家具などを考えると、あまり余裕もないのだ。

 まぁ、プレゼントに関しては金を惜しむつもりはないが、しかしそれは、紅祢へのプレゼントに限定した話。私のアクセサリーは、ネットで適当に買えばいい。

「じゃあ、おそろが誕プレってことで」

 そう言われると何も言い返せない。仕方が無い、ここは私が引き下がるとしよう。

「分かった。で、お嬢様はどんなのがお好みで?」

 普段の服装は派手だし、ピアスやリングなどのアクセサリー類も、日常的に身に付けている。が、私も紅祢も服装の系統が頻繁に変わるので、これといった好みがよく分からない。ここは素直に、店員の力を借りつつ、やはり本人に決めさせるのが良いだろう。

「シルバーで、チェーンかプレート、ハーフバングル………ですね」

 店員が紅祢の好みを聞く。

「大変失礼ですが、お二人のご年齢をお尋ねしてもよろしいでしょうか」

 どの程度の予算があるのか、というアタリをつけるための質問だろう。大学生程度に見られていたとして、店員が想定しているこちらの予算は、おそらくせいぜい三、四万といったところか。

「わたしは十九で、この子は十七です」

「学生さんでしたか。では、お値段を抑えて………」

「いえ、十万以内なら大丈夫です」

 手切れ金も残っているし、禁煙禁酒をした効果か、出費も大分抑えられている。合計十万を超えたとしても、近くにATMさえあれば、一応会計は済ませられるのだ。

「では、こちらなどいかがでしょう」

 特に詮索することもなく、店員が私達を商品の前に案内して、プレートブレスレットを見せる。成程、プロ意識とはこういうものをいうのか。

「プレート部分、もう少し細身のやつってないですか?」

「申し訳ございません。シルバーのものですと、現在取り扱っているプレートタイプのものは、この商品のみとなっております」

 むう、と紅祢が唸る。もう少し細身のデザインであれば、彼女の好みだったのだろう。

「こう………全体的に細身な感じで、ワンポイントで主張してる、みたいなのが………」

 服装に似合わず、随分と落ち着いた好みだ。

「そうなりますと、やはりチェーンかハーフバングルですね。では、こちらはいかがでしょう」

 次に店員が見せたのは、留め具が少々特徴的な、細身の二連チェーンのブレスレットだ。先程の紅祢の要望に沿ったデザインな上に、二連チェーンであることで、私達のような派手な服装にも比較的合わせやすい。

「外側のチェーンはオーソドックスなタイプですが、内側は切子チェーンに似た形状となっていて、四角いクラスプがワンポイントで全体を引き立てるデザインとなっています」

 お値段税込み一万九千八百円、二つ合わせて三万九千六百円。予想していたよりも、ずいぶんと安い。この店の商品の中でも、最も手頃な価格帯の物だろう。

「これがいい」

 と、私を見て言う紅祢。もう少し高い物でも良かったのだが、本人が気に入ったのならば、これが最も良いのだろう。

「じゃあ、これを二つ」

「ありがとうございます。お包みいたしましょうか?」

「お願いします」

 何にせよ、気に入った物があって良かった。時間的に、この店で見つからなければ、今日中に別の店舗を回るのは難しかったかもしれない。プレゼント選び以外にも、まだ予定が一つあるのだから。

 店を出て、スマホで時刻を確認する。午後六時十二分。まだ間に合うか。しかし、アガットでプレゼントを買うのであれば、表参道の青山本店でもよかったかもしれない。そちらの方が、次の予定の目的地に近いのだし。

 十九分発の電車に乗るとして、到着予定時刻は二十八分。二十三分発ならば三十一分だ。事前に閉店間際に受け取りに行く、と伝えてはおいて良かった。

「ちょっと表参道の方行きたいんだけど、いい?」

「いいけど」

 表参道に何用だ、と首を傾げる紅祢。誕生日に欠かせないものを受け取りに行くのだ、とだけ伝えて、改札へと向かう。

 二十三分、埼京線に乗って渋谷へ。銀座線に乗り換え表参道に着いたのが、定刻通り三十一分。四番出口から外に出て、目的の店周辺へと向かう。受取時間まで周囲を散策して暇を潰し、ケーキ屋の前に着いたのは、午後六時四十九分のことだった。

「キル・フェ・ボン………ここ見たことある、ケーキ美味しい店って」

 一階の外壁が白く、二階の外壁が煉瓦造りの建物。ここが誕生日ケーキを予約した店、キル・フェ・ボンである。

 予約をしたのが、大体二週間前。一日の予約受付数に上限があるので、予約の予約というよく分からない事態にもなったが、問題無く注文することができた。

「ケーキまで用意しててくれたんだ」

「そりゃね」

 まだ捻くれる前は、私も普通に、家でケーキを囲んで祝われたものだ。紅祢はどうだったのだろう。前に聞いた話では、両親は彼女に興味がなかったと言っていたので、祝われたことすら無いのかもしれない。それなら、今夜はせめて、盛大にやるとしよう。………騒音トラブルにならない範囲内で。


「ね、もう開けていい?」

 アパートの下で、紅祢がブレスレットを着けたいと言う。もう家の前だというのに、堪え性というものがないのか、こいつは。

「帰ってからでいいじゃん。階段上がるだけだぞ」

「えー、今すぐがいい」

 植え込みの前で、子供のように駄々を捏ねる紅祢。減る物といったら時間くらいだし、今日は彼女の誕生日なので、多少は良しとしてやろう。

「ふふ。ほら、いいでしょ。お揃い」

 私の手首にもブレスレットを着けた紅祢が、満足そうに笑う。一つで十分ですよ、と思っていたが、確かにこれは悪くない。ペアルックではなく、全く同じ物を二つというのは、案外悪くないものだ。

「そういえば、言ってたね」

「なにが?」

「お嬢様って。言うかバカって言ってたのに」

 夜の歌舞伎町で、そういえばそんなやり取りをした気がする。よく覚えているものだ。

「ねね。もう一回言って」

 前回は断られたが、今回ならどうだ────とばかりに、紅祢が悪戯娘の表情で、顔を近付ける。やはりこの女、顔がいい。顔がいい女の頼みは断れない。これは全人類に科せられた、神の呪いである。神も所詮は凡夫ということか。

 それに、ケーキがあるからと、結局今日も映画を見に行けなかった。ならば、その詫び替わりということにしよう。

「はいはい。満足したならさっさと帰りますよ、お嬢様」

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