花の降る

雨宮鈴

真っ当に生きろ

花が降っている。赤黒い花がばらばらと。




「死んだ人やペットのことを考えている時、あの世で花が降るんだって」

人にも動物にも愛情深い彼女は、亡き愛犬の話をしてそう言った。花のシャワーの中で嬉しそうに駆ける犬の姿が私の目にも浮かんだ。とても幸せそうな光景。


私も考えてみた。自分で死んでいったあいつのことを。

あいつは私が知らぬうちに、いつの間にかこの世からいなくなった。


最期に会った時のことを覚えている。雨が降っていた。私が15歳の梅雨、高校の通学路でたまたま出会し、二言三言交わして別れた。

「あぁ」

「元気?」

そんな具合だったと思う。あいつは二十代半ばくらいだったろうか。かつてあいつに抱いていた親しみも、忌々しい憎悪もその時は感じなかった。いや、本能的に感じないようにしていたのかもしれない。当時の私には、あいつのことを思い出すことすらとても苦々しいことだった。


おそらくそれから数年後にあいつは死んだ。死んだと人づてに聞いたのはそれからさらに何年も経ってからのことだった。あいつが死んだ理由は知らないし、誰もわからない。




高校生の時、私は大変具合が悪かった。


一番最初は布団から起き上がれなくなり、とにかく体が重く何の気力も起きなかった。学校に行けなくなった。次第に妄想や幻聴も表れ、悪口を言われている気がしたり、鳴ってもいないはずのサイレンの音が聞こえたりし出した。いよいよもって日常生活が困難になっていた。私自身、自分の状況に困惑していたし、混乱もしていた。地獄のような日々だった。思い返すと、かろうじて見た目だけ“人間”の形を留めていたに過ぎなかった。


眠れない日も続いた。運良く眠れても悪夢にうなされてばかりいた。

実家の畳の敷かれた居間に母と二人。具合の悪い私に付きっきりで心労が酷かった母は、それでも眠れない私の話を聞いてくれた。「実は、ちっちゃい頃に、あいつに虐待を受けていた」私がこぼした一言で母の表情が変わった。


母は次の日、私を精神科に連れて行った。

十年以上誰にも話さず黙っていたことを初めて話した。私は幼少期、何年もの間、性的虐待を受けていた。


精神科を受診してからは、さらに闘いの日々だった。私は覚えていないが、言葉が話せなくなったこともあったし、一人では何もできない人形のようになったこともあった。人は辛すぎることを記憶から抹消できるらしい。器用な防衛本能だなと思う。




それからもう、二十年経った。


私はかつて、性的虐待の被害者だった。だった、と言い切りたい。もう被害者ヅラもやめたい。降りたい。それは、苦しみから解放されたいという想いのみからではない。私の中にも、その加害性を認めているからだ。時に、他人に対して性的欲求を持つことは、悍ましく心底気持ちが悪いのだ。


私は今も闘っているのかもしれない。その相手は、もう現世には存在していないあいつかもしれないし、私自身なのかもしれない。


そして、今でも夢を見ることがある。夢の中で叫んで目が覚める。


「真っ当に生きて償え」


その言葉は私自身にも降りかかっている。




赤黒い花びらが今日もばらばらと降る。まるで血溜まりのように。綺麗だろ。









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花の降る 雨宮鈴 @amamiya_rin

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