熱く叫べ

湾多珠巳

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「いいかぁ、お前らぁ、国会が何を決めようと、ネットで誰がどう騒ごうと、おかしいことはおかしいって言わなきゃダメだぞぅ」

 その日の政経の授業の終わり間際、ゴジセンこと護持馬ごじま先生はいつものように、やたらと説教じみた一言を教壇から放った。

 季節はそろそろ夏を迎える頃で、受験のピリピリした空気はまだなく、俺たちはウザいと思いつつ、一抹の興味も交えて耳を傾けていた。いよいよ我が国初めての――というか、世界でも初めてなんじゃないかと思うが――〝自衛官選挙〟の立候補者が発表される時期に差し掛かっていたからだ。

 正式には「欠員自衛官補填選挙」とかそんな呼び名である。要するに定員割れが続いている陸海空の自衛隊員の補充分を、今後は毎年、十八~二十六歳の若い層の中から選挙という手段で確保しようというのだ。

 徴兵を義務化するとかいうのならまだ話は分かるが(むろん、話が分かりやすいというだけで賛成はできないが)、選挙である。なぜ軍人をそんな方法で選ぶ必要があるのか? 政策としては奇々怪々としか言いようがないものの、今の時代に生きる日本人の一人として何となく理解できないでもない。災害救助なんかの需要も年々逼迫してるし、自衛官が足りてないのはマズい、とはたいがいの国民が理解している。が、だからと言って志願してやろうという奇特な人材は多くはない。一方で、そこそこ健康でしっかりした意志のある人間なら、入ってしまえばそれなりに続けられそうな仕事ではあるのだ。となると問題は、潜在的な適格者に対し、いかにしてきっかけを作ってやるか、である。

 ぶっちゃけこれはババ抜きである。なんて言い方が現職の自衛官に失礼なのはわかっているが、自分は気が進まんけど誰か行けよ、と国民が顔を見合わせ合っている現状で、選挙という手段は、ある意味妙案と言えた。

 しかしながら国会でもギリギリでの可決だったし、世間一般では激しく拒否反応を示す層というのも少なからず存在するわけで――

「もともと政府なんてのは間違ったことばかりするもんだが、今回のこれははっきりと愚策だ! 高三にもなればわかるだろうっ? 世の中は間違いに満ちているんだ! 君たちも巣立つ前に、間違いを間違いとはっきり口にできる判断力と、常識と、それに勇気を養わなきゃならん!」

 護持馬はいわゆる左翼教師だ。若い頃は結構露骨に反戦平和とかを授業内で強く訴えた口で、自衛隊は憲法違反の暴力組織だからお前ら絶対関わるななどと色々コンプラ的にマズいことも口走り、あげく右寄りの教員とか保護者なんかともひと悶着も百悶着もあったらしいが、却って教え子が反発して何十人も自衛隊員になってしまったもんだから、定年近い今ではだいぶん丸くなったとかいう話である。……俺の目から見ると、丸くなったというよりは世の中全部に対してふてくされているという印象なんだが。

「日本国民はぁ、職業選択の自由があるっ。それに、精神の自由、良心の自由もだっ。今回の選挙だって、『立候補は本人の自由意思に基づいて』って条文があってだなぁ」

「そういうことを言い出すと、クラス委員とか生徒会とか誰も人間集まりませんよ」

 冷めた声で三方みかた芳子よしこが言った。キラキラネーム全盛の令和時代に信じがたいような古式ゆかしい名前の、まあ優等生の一人。ルックスもいいんだから、せいぜい先行き短い教師をヨイショしてやればいいものを、先生相手でも細かいことでいちいちツッコミたがる、ちょっと面倒なやつだ。

「って言うか、私、もう三年間ずっと学級委員長で、志願した覚えなんてかけらもなくて、何度も降りたいって訴えたんですけど、毎回担任の先生方が――」

「何っ!? そ、それはケシカランな。うん、今度の職員会議で議題に出しておこう」

「いやいや、会議の議題にするのはいいんですけど、今の仕組みだと、体のいいスケープゴートをどうやって見つけるかってことにしか話がいかないでしょう? 今回の選挙にしろ、目先の是非よりも、根本的な部分に欠陥があると思うんです。議論すべきはそこなんじゃないですか? あの、私考えたんですが――」

「とにかく、権利の不当な侵害には声を上げてプロテストしなけりゃならん。今の三方みたいにな。うん、自分の権利は自分で守らなきゃならんのだ。誰かが気を利かせて代わりに訴えてくれるかも、なんて思ってちゃいかんのだ。いいか? 戦うんだ。少なくとも、憲法は君らの戦いを後押ししてくれる」

「ですから先生、私が言いたいのはですね――」

 ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴った。一瞬仏頂面になった芳子は、それでも級長の務めをストライキまではせず、いつもより遅めに、チャイムの四フレーズ目に差し掛かってから、号令をかけた。

「起立。礼」

 政経は六限目の授業だったので、その後は掃除とホームルームだけだ。

 俺の班の清掃分担は教室だった。いつものことだが、何人かはバケツを持って行ったまま行方知れずになり、何人かは黒板消しを手にしたところで深刻な脳疾患に見舞われたらしく、クリーナーを前にして作業と無関係な会話に夢中になっている。俺はと言えば、あからさまなサボり芸を披露するのが昔から苦手なもんで、のらくらと一つ一つの机を後ろへ前へと動かして回ることに専念した。

 これだけ怠け者だらけでも、ごく少数のマジメちゃんたちがほうきとちり取りと雑巾でオペレーションの主要部分を完遂してくれる。まさに世の中の縮図だなあと思っていると、ふと、傍らでせわしくほうきを使っている芳子に、紀田手きだて叡子えいこが声を掛けているのが目に入った。

「さっきの、ゴジセンに何て言うつもりだったの?」

「別に。にっちもさっきもいかなくなってから、反対の大合唱やってもムダでしょって言いたかっただけ」

「相変わらず身もフタもないなあ。反論するにしても、もうちっと建設的にやってあげなよ」

 マジメ一本という印象の芳子と違って、叡子はほどよく肩の力の抜けた気さくなキャラだ。髪型にしろ、シンプルながらもささやかなアクセサリー付きのおさげ髪の芳子に対して、叡子はオールシーズンで思い切りよく(か何も考えてないのか)ベリーショートのおかっぱ頭。飾り気の乏しいルックスこそ賛否両論あるものの、内面的な部分、つまり性格・成績・運動神経等々全体的に高めの偏差値で、男子の間では割と評価が高い。

「だから、ちゃんと順を追って話してたってば。どうせ本人が逃げる気満々だったから、同じことだけどさ」

 一方、会話のスタイルについて言えば、議論を常にコミュニケーションの一環と考える叡子に対して、芳子はどこまでも計算ずくで意見を戦わせるタイプだ。そういう態度自体はきらいじゃないんだが、学校の先生相手にあまりにカリカリしてるのを見てると、ついからかいたくなってくる。

「そんだけ言いたいことあるんなら、ネットで論陣でもなんでも張ればいいじゃねーか。お前、あのじーさんいじめて遊んでねえか?」

 ちらっと俺を見て、そのまま無視するように見えた芳子だったが、急に何かを思い出したらしく、もう一度俺の顔をまじまじと眺め、妙にまじめに問いかけてきた。

仁実ひとみ君は今回の自衛官選挙ってどう思ってんの?」

「ええ? なんだよ、急に」

「いいから。仁実君の意見として」

「あ、それ私も聞きたいかも」

 叡子まで目を輝かせたのを見て、ちょっとうろたえてしまった。どういうわけか俺は芳子と似たような論客タイプと見られているらしく、時々思わぬタイミングで意見を求められることがある。毎回適当に喋り散らしてごまかしてるんだが、平均的高校生の目からだとそういう受け答え自体が一種の芸に感じられるようで、生徒総会でもホームルームでもやたらと指名を受けることが多いのだ。

「いやまあ……国会を通ったんなら、曲がりなりにも国民の総意ってことになるからな。前向きに受け入れるしかねえんじゃねーの」

「それってつまり、国から推薦を受けたら、仁実君自身、選挙に出るつもり?」

「万が一、そんなことが起きたらね」

「ほんとに?」

「だって他に選択の余地がねーんだろ? 交通事故に遭ったようなもんじゃないか」

 今回の選挙でいちばん問題になってるのは――よく考えれば恐るべきことながら――他薦であるということだ。で、その推薦者は人間ではない。AIなんである。

 いったいどういうアルゴリズムで選出するつもりなのかは知らんが、今どきのAIって基本ブラックボックスだから、理不尽な抜擢だと思えても有効な反論ができない。つまりは、〝立候補者〟に祭り上げられたが最後、逃げ道はないということだ。いや、拒否する方法がないわけではないが、おそろしく手続きがめんどくさいことになっていて、普通のメンタルの持ち主だと、たいていは諦めて立候補を認める心理に追い込まれるだろうとのこと(これは左派系ネット記事による)。

「よっぽどの理由がないと立候補者から外してもらえねーとか、クサじゃねえか。勝手にすりゃいい。そん代わり、何もしないけどね」

 黙って聞いていた叡子が、興味深そうに尋ねかけてきた。

「立候補はするけど、選挙活動は何もしないってこと?」

「そう。そこはさすがに個人の自由だろ? 出るだけで義理は果たしたんだし、選挙のスタイルなんてものにまで口出ししてほしくはないね」

 今回の選挙は承認選挙であり、競争率は全国一律、1.00である。ことさらに評判の悪い立候補者でない限り、全員当選するのがデフォルトだ。そこまでの出来レースを用意しているのだから、選挙活動など全くの無意味だろう。まあ逆に言えば、落選したらとてもみっともないことになりそうなので、一応の顔見せ巡行みたいな選挙運動はあるのかもしれないが、恥ずかしくていいから落ちてほしいというのなら、完全にほったらかしでいいということだ。

「そうか、そういう手があるんだ」

「ふうん、肝が据わってんのね」

 ちょっと感心したように女二人が俺を見つめるもんだから、つい慌てて視線を逸らした。また調子に乗って喋り散らしてしまった。こんな話、現実的に考えてるはずがないじゃないか。

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