第5話 魔獣討伐②

5話 魔獣討伐②


周囲には、戦いの爪痕が色濃く残っていた。

折れた木々、踏み荒らされた大地、焦げた空気。


そして――何より問題なのは、この場所にまだ残る“瘴気”だ。


瘴気とは、魔獣が通った後に必ず残していく負の気。


目に見えぬ毒のように、じわじわと人の体を蝕むそれは、大人であっても長く留まれば無事では済まない

……まして、体の弱い者なら、なおさらだ。


この光景が何を意味するのかを、彼女は痛いほど理解していた。

リリアナは、かつてこの瘴気のせいで、大切な人が苦しんだことを思い出す。

その記憶は、今でも胸の奥に深く残っていた。


だからこそ、魔獣を倒した後に必ずやらなければならないことがある――それが「浄化」だ。


魔獣討伐は騎士や冒険者、魔術師たちが担当し、浄化は神官が行うのが一般的だ。

 

しかし、リリアナは異なる。彼女は〈光〉の魔術において、誰よりも強い浄化能力を持っていた。


騎士も神官もいないこの場所で、討伐も浄化も一人でやってのける。それが、リリアナ・フォン・アルトフェルドという少女だった。


「……じゃあ、ここ一帯を綺麗にしてから帰りましょ」


そう呟くと、リリアナはそっと目を閉じ、静かに両手を組む。祈りとともに紡がれた旋律は、やがて風に乗り、森全体へと広がっていった。


その声は澄みきっていて、どこか懐かしさを感じさせる優しい歌声。


やがて、リリアナの足元から小さな光がぽつ、ぽつ、と灯り始める。

まるで星が舞い降りるように、無数の光が浮かび、彼女の身体を中心に円を描くように広がっていった。


その光が地面に触れるたびに、黒ずんだ土は潤いを取り戻し、

しおれていた草花は新たな命を得たかのように芽吹いていく。


「……本当に便利すぎますね、その力……」


どこか呆れたように、でも心底感心した様子で、カイルが後方からぼそりと呟いた。


その視線を受け、リリアナは得意げに微笑んだ。


「んふふ! これでみんなが、この山でピクニックとかできたら素敵でしょ?

ちょっとずつ平和な土地を増やして、平和な世界で色男とイチャイチャするのが私の夢だもの!」


「……前半と後半の落差、どうにかしてください。残念なお嬢様」


カイルが容赦のない評価を口にするが、リリアナは気にした様子もなく、再び軽やかに歌を紡ぎ出した。

その声はまるで澄んだ泉のように美しく、旋律が風に乗って森全体に響き渡る。


その瞬間、さらに光が広がり、傷ついた木々に新しい緑が芽吹き、荒れ果てていた大地はよみがえっていった。

まるで最初からここが“聖域”だったかのように。


鳥たちの声がどこからともなく聞こえ始め、静寂だった森が命の息吹に満ちた場所へと生まれ変わっていくのを感じた。


リリアナの白銀の髪が光を受けて輝き、まるで神話の中の女神のように神々しかった。


歌い終えた彼女は満足げに微笑み、そっと息をつく。


「……これで完璧ね」


 優しい声が森に溶けてゆく。そのひとときは、まるで世界が彼女を中心に回っているかのようだった。


 だがその静寂を破るように、カイルが一歩、控えめに口を開く。


「……まことに麗しい光景です。ですが、お嬢様――」


 一拍おき、真面目な声で続けた。


「この一帯を“聖域”にするのは結構ですが……いささかやりすぎです。

これ以上、魔力を無駄に放出されるのは、お体にも良くありません。」

 

リリアナはぷくりと頬を膨らませ、むぅっと口を尖らせながらカイルを睨み返す。

その瞳は、まるで星のようにきらきらと光を宿していた。


「もう! 無駄じゃないわ!」


子どもじみた拗ね顔とは裏腹に、その声にはまっすぐな熱がこもっている。


「こうやって平和な場所を増やしていけば、いつか全部の土地が平和になるんだから!」


ひとつの信念を掲げるように、胸を張るその姿に――カイルは小さく息をついた。


(この方は……本当に、変わらない)


どれほど強い力を持とうと、それに酔うことも、奢ることもない。

ただ、当たり前のように“優しさ”を広げようとする。誰かに命じられたわけでもなく、損得でもなく、ただ、それが当然であるかのように。


光は、意識して放つものではなく、ただ、そこにあるだけで世界を照らす。


――お嬢様は、そういう方だ。


そんな彼の心情をよそに、リリアナはくるりと振り返り、にこっと屈託のない笑みを浮かべると、明るく言い放った。


「さあ帰りましょ! お茶には蜂蜜をたっぷり入れてね! 甘くないと、気力が出ないんだから!」


その無邪気さに、カイルはまたひとつ、ため息を落とす。

けれどその頬には、確かに笑みが浮かんでいた。


「かしこまりました、お嬢様」


すると、リリアナがふと何かを思い出したように、ぱっと手を打つ。


「――あ、あと魔獣の回収お願いー! 持って帰って、領地のみんなにお裾分けしよー!」


「……はぁ」


カイルは半ば呆れたように眉をひそめたが、それでも慣れた様に歩を進める。

リリアナの背後――あちこちに討伐された魔獣の骸が静かに横たわっていた。

 

カイルは詠唱をすると、淡い光が彼の手元に集まり、魔法陣が地面に浮かび上がる。

魔獣の身体は、その光に包まれながらゆっくりと浮かび上がり、何もない空間へと吸い込まれるように消えていった。


「……処理と解体は領地の加工班に委託ですね。解毒と鑑定も必要になりますが、まあ想定の範囲内です」


「ありがと、カイル〜! さすが優秀執事!」


リリアナがひらひらと手を振るのに、カイルは小さく頭を下げながらも、ぼそりと呟いた。


「褒められるたびに仕事が増えていく気がしますが……気のせいでしょうか」


それでも――その声音には、どこか楽しげな響きが混じっていた。


♦︎♢♦︎


扉が開き、リリアナが降り立ったその瞬間――


「リリアナァァァ!!」


ドンッと突風のような勢いで、豪奢な屋敷の扉が吹き飛ばんばかりに開いた。

そこから飛び出してきたのは、兄のユリウスだった。


「無事で、よかったぁぁぁぁ!!!!!」


「うわっ、兄様!?」


悲鳴混じりに抱きしめられ、リリアナの足が宙に浮く。

まるでぬいぐるみのようにぐるぐると振り回されながら、彼女は必死に叫んだ。


「ちょ、まって、頭が回るっ! 目が! 目が!!」


「帰ってきてくれて……うう、また泣くところだった……!」


「……って、もう泣いてるし!!」


目尻を拭いながらなおも感極まる兄に、リリアナは呆れつつも、ほんの少し口元を緩めた。


屋敷の中では、母・エリザベートが両腕を広げて待ち構えていた。


「まあまあまあ、リリアナ……! また無茶をして……あなた、本当に……!」


ふわりと抱きしめられた瞬間、リリアナの肩から力が抜けていく。


母の香水のやさしい香りと、ふわふわのドレスの感触――

それは、幼いころから変わらない、懐かしくて安心する匂いだった。


「ごめんなさい、でも、ちゃんと浄化も再生もしてきたし……」


「その“してきたし”が問題なのよ! 森を更地にして帰ってくる娘なんて、貴族界広しといえど、あなたくらいでしょうね!」


「ち、違うもん! 更地っていうか、あれは……気持ちの整理整頓っていうか……!」


「気持ちを整理するのに森が一つ消えるなんて、どこの淑女なのかしら……!」


「ていうか……なんで知ってるの?」


「もちろん、カイルが報告してくれたからに決まってますわ!」


「カイルー!!」


ぎくりとした声をあげたリリアナに、側にいた執事カイルは一礼してみせた。


「万が一に備えて、魔力痕跡から位置を追跡いたしました。お嬢様が誰にも告げずに出発されたものですから、念のため――」


「……たしかに言ってなかったけど、でも、そんな大げさな……」


そのとき、玄関から父・クラウス公爵が姿を現す。

威厳を湛えたまま、静かにリリアナに声をかけた。


「無事で何よりだ、リリアナ。だが次は――」


――ピシィ。


その手には、胃薬の包みがしっかりと握られていた。


「……もう少し、私の寿命を延ばす努力もしてくれ」


「……はい、父様……」


しゅんと肩を落とすリリアナ。

クラウスはごほんと咳払いを一つしてから、そっと彼女の頭を撫でた。


「とはいえ、瘴気の浄化まで一人でやり遂げたのは、立派だった」


「ふえっ……? あ、ありがとうございます……?」


撫でられるのは、少しくすぐったい。でも、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


家族の温もりに包まれて、リリアナの中のざわめきが、ようやく穏やかに静まっていった。


「さて、では改めてティータイムにしましょうか。今日は特別に、蜂蜜を三倍にしたお菓子をご用意しておりますの」


母が優雅に微笑みながら言うと、リリアナの顔がぱあっと輝いた。


「ほんと!? やったー!! 疲れた後は糖分よね!!」


「……甘やかしすぎでは、エリザベート」


「いいえ。愛ですわ、クラウス」


夫婦が目を合わせて穏やかに笑い合う中、兄はため息まじりにリリアナの頭をぽんぽんと撫でた。


「まあ、無茶はほどほどにね。次また“消息不明”になったら、兄様、リリアナに追跡魔法かけて、転移魔法で強制お迎えに行くからね?」


「えええ!? 過保護だよ!!」


「リリアナ?何か言ったかい?」


「むぅ~~……!」


家族の笑い声が広がり、使用人たちも微笑ましそうにその様子を見守っていた。


こうして、にぎやかであたたかなアルトフェルド家の夜が、またひとつ、静かに更けていくのだった。


 

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