第6話. ルクス
「夕食をとって、風呂に入って、就寝か……言葉だけ聞けば、まるで健全そのものだな。」
「夕食ではイエティを喰い、浴場では石鹸を拾わせ、寝室では官職を求める雪男たちが尻を差し出す……俺が実際に見てきた光景だ。」
ゾッとするような表情で、ルクスが言った。
なるほど、尋常じゃない趣味だ。
人間なら精も根も尽きて死ぬだろうが、さすがは雪男――繁殖力が桁違いだった。
問題は、それだけではなかった。
「それに明日の午前中は、男奴隷たちを捕えて“染める”そうだ。昼食は今日と同じく裸エプロンのイエティたち。夕食は“供養”……もっと知りたいか?」
「……いや、もう十分だ。」
最後の一言がヒント였지만、それ以上は 듣고いられなかった。
もはや狂気の国家だ。国家というより、皇帝の遊び場といった方がしっくりくる。
急激に疲労が押し寄せてきた。
――少なくとも、俺にとっては何の役にも立たない情報だった。
「供養? それは何だ?」
もちろん、大魔導士にとっては意味があったのだろう。
ルクスの口元に、不気味な笑みが浮かぶ。
大魔導士が拷問のために手を動かしかけたが、俺がそれを制した。
「やめとけ。あんまり責めるなよ。」
「しかし、カルマ様……」
「ルクス。今日のことは悪かった。だが、もう済んだことだ。」
「お前……!」
「行け。少しでも休めるといいな。」
ドン! ドン!
言い終えると同時に、足音が近づいてきた。
「失礼いたします!」
敵隊長エルド。以前見たことがある強者だ。
俺が扉を開けると、彼は深く一礼した。
「ルクス伯爵、陛下がお呼びです。」
「……あっ、ああ……!」
「ご案内いたします。」
言葉を失いかけたルクスを、エルドが有無を言わさず連れて行く。
部屋には、再び俺と大魔導士だけが残された。
「お前も行け。少し一人になりたい。」
「了解です。部屋の前に警備を配しておきます。」
「ああ。ありがとう。」
背中を預ける覚悟を込めて礼を言い、部屋の灯りを落とした。
――そして、二日という時が過ぎた。
異変というものは、いつだって突然やってくる。
「うわあああああっ!!」
庭を眺めていた耳に、突如として悲鳴が響いた。
ドン! ドン! ドン!
その直後、轟音と血の匂いが押し寄せる――
部屋を出ると、廊下には地獄のような光景が広がっていた。
「うっ……!」
鼻を突く異臭に思わず口を押さえ、嘔吐感が込み上げる。
切り裂かれ、引き裂かれ、無残な姿で血と内臓をまき散らしながら死んでいくイエティたち。
彼らの体毛はすべて青く――つまり、俺を護るために配置された魔法使いだった。
「おい……おい、大丈夫か?」
鼻を押さえながら、その中の一体に近づいて声をかけた。
この展開は、俺の記憶にはない。
今朝、ケバブを温めてくれたあのイエティは、体が折れ曲がり、自らをケバブにしていた。
「ヤツ……強かっ……た……ド、ラ、ゴ……ッガハァ!!」
「ふふ。まだ喋る余力があるの?」
バキィッ!
頭部が踏み潰され、赤毛のイエティが姿を現した。
獣のように荒々しく、それでいて甲高い声――
その声の持ち主は、数少ない金女区域の女性だった。
「……敵隊長、オリビア?」
「知ってたのね? フフ、嬉しいわぁ。可愛いドワーフちゃん、何か言いたいことは?」
「た、助けっ……ゲフッ!」
敵隊長の手には、血塗れになったルクスの頭髪が握られていた。
彼は呻き声を上げながらも、もはや抵抗すらできない。
反対の手でダガーを舐めながら、イエティは不気味な笑みを浮かべていた。
「……」
右側に置いてあった木剣を手に取る。
身体の奥から力が湧き上がるのを感じながら、俺は静かに気を高めた。
オリビアは笑みを浮かべたまま、その様子を見つめていた。
わかっている。今戦っても、勝てるはずがない。
「皇帝が……俺を連れて来いと命じたのか?」
「オッホホ! そんなの、前からずーっとよ。」
スパァン!
頬が切られ、血が流れた。
頭を逸らしたが、かすったらしい。
壁に突き刺さったダガーはブーメランのように戻り、オリビアの手に収まった。
彼女は再びそれを舐め、毛を逆立てながら吠えるように叫んだ。
「“準備”は整ったのよ! この皇国を再び立ち上げる準備がッ!!」
「くっ……!」
圧倒的なプレッシャーが空間を支配する。
――皇帝から感じたあの威圧感と、まったく同じだ。
強者の気配。それに触れた瞬間、俺は悟った。
自分が知っていた設定は、すべて間違っていたのだと。
「さあ、始めましょうか? 私の“鳥籠”で、どんなふうに育ててあげようかしら。オッホホホ!」
ゆっくりと、毛むくじゃらの怪物が歩み寄ってくる。
「し……くそ……」
詰んだ。完全に詰んだ。
『敵隊長』の中でも最強、そして最も残虐だと名高いオリビアに捕まれば、もう光を見ることはないだろう。
何としてでも逃げなければ――!
動かない身体を引きずり、俺はゆっくりと這い始めた。
距離は縮まる一方だ。どうすればいい? 何を――
「ライトニング・スピア!!」
「うっ……!?」
カッ!!
迫ってきたダガーに目をつむった瞬間、聞き慣れた詠唱が響き、俺を救った。
「カルマ様! ご無事ですか!?」
――大魔導士だった。
「申し訳ありません、カルマ様! 敵隊長たちの足止めに手間取ってしまいました!」
彼の周囲には、かつての青ではなく、黒みを帯びた深い藍色のマナが渦巻いていた。
その力はすぐにオリビアの威圧感を打ち消し、彼は彼女を睨みつけながら叫ぶ。
「早く行ってください! あの者には、ハマン様の隠れ家の場所を教えてあります! 皇帝が動く前に、急がねば!」
彼の指が指し示す先――そこにはルクスが倒れていた。
瀕死の彼を見て、俺はゆっくりと首を横に振った。
……ダメだ。
アイツは、確実に――災いを呼ぶ。
「一人で行く。」
「で、ですがカルマ様っ!」
「ハマンの隠れ家なら知ってる。ルイスから聞いた。」
そう言い残し、俺は窓から飛び出した。
魔法がかかっていたのか、地面に着地しても衝撃は驚くほど軽かった。
直後、貴賓室から爆音が響く。
どうやら、激戦が始まったようだ。
「見つけたぞッ!」
「そいつを捕まえろ!!」
もちろん、外も安全とは程遠い。
無数の毛むくじゃらどもが、俺に向かって突進してくる。
――走れ、走れ、走れ。
こういうときは、ドワーフの小さな体が役に立つ。
何度かギリギリの場面もあったが、そのたびに木剣を振るって突破した。
……いや、もしかしたら俺は、この状況を楽しんでいたのかもしれない。
ドワーフ。戦いを宿命づけられた種族。
――戦うこと、それこそが、俺の血に刻まれた衝動だった。
「止まれえええっ!!」
「ハァ……ハァッ……!」
だが、どれだけ倒しても、敵の波は尽きることがなかった。
回避できているのも、奴らが“生け捕り”にしようとしているからに過ぎない。
俺は武器を持っているが、奴らは素手だ。
まだ怪我人は出ていないが、徐々に囲まれ、振り払うのが困難になってきた。
ドン! ドン!
包囲網のように、雪男たちが四方から迫ってくる。
――捕まったら、きっとそのまま“皇帝の天国”へ直行だ。
「カルマーーッ!!」
ドカン!
絶体絶命のその瞬間――
真紅のイエティが、地を蹴って突進してきた。
――ルクスだ。
満身創痍だったはずの彼が、黒いオーラをまとって現れた。
あの大魔導士と同じく、異質な気を纏っている。
ルクスは肉弾戦で突っ込んでいく。
拳一閃、雪男の頭が壁にめり込んだ。
「グワァアアッ!!」
背後からの不意打ちに、毛玉どもはなす術もなく倒れていく。
彼との距離が、一気に縮まった。
「大魔導士が魔法をかけてくれた! 今のうちに逃げよう!」
握られた手が、異常に力強い。
彼は片手だけで群がる雪男たちをなぎ倒しながら、猛スピードで駆け抜けていく。
そう――彼は、“魔王”の力の欠片を宿す者だった
「……」
沈黙が落ちた。
――クソッ。もう、こうなるしかないのか。
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