放課後の魔法使い
@motimoti__3
第1話
「ね、学校にいる魔法使いの噂知ってる?」
放課後になり、机の横に掛けられたカバンに手をかけた深谷紬ははぁ?と顔を歪めた。隣の席に座る彼女は、その反応を待っていましたと言わんばかりにニコニコしたまま話を続けた。曰く、三階の第二理科準備室には魔法使いがいる。好きな人と結ばせてくれるだとか、家族仲を良くしてくれるとか。
「おもしろそうでしょ」
「……SFは小説の中だからおもしろいんだよ」
魔法なんかあるわけないし、どうせマジックとかなんかの類で騙してるんでしょ、と彼女に数日前に吐き捨てた紬は、今その第二理科準備室の目の前に立っている。扉にはめ込まれた硝子は黒い布で遮られており、中は見えない。代わりに眉を少しひそめた紬の顔が映っている。
「これは確認の為であって、別に好きな人と結ばれたいとか、そういうのじゃないから……」
いつも図書室にいる藤透先輩とあわよくばな関係になりたいと思って早一年。未だに話したこともない。藤先輩は三年生だから、もう時間が無いのだ。付き合いの長い彼女が噂に騙されているのは許せないし、噂が本当で藤先輩と付き合えたら、本当だったよ、って伝えてあげれば良いわけだし。
どこに向ける訳でもない言い訳を心の中でごちる。
夏休みが明けたというのに、まだ夏の暑さが残った廊下は放課後のせいもあり人は居ない。少しばかり緊張する心を落ち着かせて紬は準備室の扉をノックした。
ノック三回を二回。
彼女から教えられた魔法使いを呼ぶ方法。トイレの花子さんみたい、と突っ込んだのは記憶に新しい。立て付けが悪いのかぎぎぎ、と音を立てて開いた扉から男子生徒が顔を出した。
「……あぁ、待ってたよ」
目に掛かる長めの髪に、隈の残った眼下。厚めの眼鏡の奥には黒々とした瞳が広がっていた。制服は確かに私たちの学校のものだけど、私はこんな風貌の生徒は見たことがない。ただ、ヨレたワイシャツに緩く締められたネクタイは赤色で、三年生を示しているから紬が知らないだけかもしれない。
「待ってたって……そうやって魔法使い気取りですか?」
私は騙されないぞ、と強い意志を持って男子生徒を睨む。ここに来ることを私は誰にも言ってないのに、分かるわけがない。
「……気取りっていうか、本当に魔法使いだからなあ。ま、立ち話もなんだし入りなよ。叶えて欲しいことあるんでしょ?」
紬が刺々しい言葉を投げつけても、男は肩をすくめるだけでどこか掴みどころがない。根無し草みたいな人。そんな事を思いながらも、開けられた扉の奥に恐る恐る入れば、普通の準備室だった。怪しげな液体や機器だって、よくよく見れば化学の実験で使うものだ。クーラーが効いていて、廊下よりだいぶ涼しい。
「倉富先生が使っていいよ、って貸してくれてるんだよね」
「倉富先生が……」
倉富とは紬のクラスの副担任であり、所属する科学部の顧問だ。教師の癖に明るい茶髪で、自由奔放に実験するし、たまに炎出したりして火災報知器鳴らしたりするから、生徒よりも問題児としてこの学校では有名だ。この前は教頭先生にくどくどと説教されていたのを紬は知っている。
しかし、生徒の悩みには真剣に向き合ってくれるし、突飛な実験から凄い賞を受賞した事があるのも周知の事実である為、火災報知器を鳴らそうと学校は寛容しているのだ。そんな先生が許可を出しているのだし、と考えたところで頭を振った。倉富は科学者なのにどこか夢見がちだから、魔法を嬉々として信じるし、科学でも同じことが出来ないか考えるだろう。
「本当に、魔法使いなんですか」
勧められたソファに座らず、どうなんですか、と男に視線を向ければ紙とペンを持ったまま「疑われすぎてるなぁ」なんて呑気に言う。大昔ならともかく、お化けもCGで作る時代だ。魔法など有り得ない、と紬のように一蹴する人の方が多いだろう。
「本当に魔法使いだよ。そう言っても君は信じないと思うけど」
優雅にソファに座っている男はそうだなあ、と宙に視線をやり「見てて」と指を鳴らした。パチン、という音の後に水蒸気のような煙が出て、夏用の制服から分厚いローブに服を変わる男が「これで信じてもらえた?」とずり下がった眼鏡を押し上げた。
ただの早着替えなんじゃ、と口を開こうとしたところで男が「早着替えじゃないからね」と先に釘を打つ。指を鳴らしただけで煙が出るし、服も変わるし、まだマジックって可能性があるかもだけど……。
「ひとまず魔法使いだって事にします。私の話、聞いてくれますか?」
本当に納得したわけじゃないんだぞ、という意味を込めて紬は目の前の男を見つめた。ひょいと肩を竦めた男は、困ったように口を開く。
「だから、魔法使いなんだけどな……。まあ、いいや。それじゃ自己紹介から始めようか」
男は眼鏡の奥でニコリと笑った。紬がソファに座れば、男は満足そうに頷いて口を開いた。
「3年の大島剣。苗字で呼ばれんの違和感あるから名前で読んで」
「2年の深谷紬、です。あの、それで叶えて欲しい事があるんです」
分厚いローブを纏っているはずなのに、汗のひとつもかいていない男。もといい剣はサラサラと紬の名前を紙に書いた。なんだかカウンセリングみたいだ。テレビの中でしか見たことの無いカウンセリング室が頭の中に浮かぶ。
「その……私好きな人が居るんです。その人と付き合いたいんですけど」
「魔法信じてないのにそんなの願うんだ?」
紙から顔を上げ、黒い目を丸めて剣がまじまじと紬を見た。自分の言ったことが間違っているような小っ恥ずかしい気持ちになって「べ、別にいいじゃないですか!」と切り上げる。
「まぁそう怒んなって。からかってるわけじゃないから」
形のいい眉を下げた剣は、口角を上げて「んで?誰と付き合いたいの?」と続きを促す。
「……藤先輩です。藤透さん。剣先輩と同じ3年生なので、知ってますよね」
「あーうん、まぁな。よく知ってる」
視線を下に下げた剣は、そのまま紙にサラサラと情報を書き込んでいく。男にしては長いまつ毛が隈に影を作り、更に体調が悪く見える。名前とクラスと部活や委員会しか知らない紬が、今から藤と付き合えるようになるなんてほぼ有り得ない。
だから魔法に頼った。付き合えるなら嬉しいし、付き合えないなら、どうにか頑張る。
……まだ、どう頑張るかは決まってないけど。
「あらかた知りたいのは知れたしいいか。……じゃあ、ここからは代価の話でもしようか」
すっ、と瞳が細まって、何度か気温が下がった気がした。
「……私、バイトしてないし高額だと払えませんよ」
とんでもない金額吹っかけるんじゃないだろうな、と眉をひそめれば「違う違う!そんなんじゃないって!魔法も万能じゃないのにそんな詐欺まがいな事しないって!」と慌てて首を振られた。
「万能じゃない?」
紬の知る魔法は無から有を生み出す便利なものだ。ん?と気になった言葉を呟けば「今から説明するから」と剣は指を3本立てる。
「深谷ちゃんに知っといて欲しいのは3つ」
真剣な顔をするから、思わず紬も背筋を伸ばして頷いた。
剣の雰囲気とか話し方とか、動作一つ一つが実感を持っているせいで、少し前は怪しい、なんて思っていたのに今ではこれっぽっちも思えない。なんなら魔法もあるのかもしれない、なんて思い始めている。
「まず1つ。さっきも言ったように魔法は万能じゃない。使うには代価……例えば今日の夜ご飯だったり、そういうのが必要になってくる」
ちなみにローブになる為に筆箱に入ってる消しゴムを使った、と剣は言う。何でも自由に魔法が使える、って言われるよりも何か代価が必要な方が安心はできる。なんだか錬金術みたい、と紬は思う。
次に、と指を1本増やして2本にした剣は「魔法の効力は代価の価値に比例する」と例を持ち出した。
「大学に入る為に勉強するだろ?勉強時間はイコール自分の自由時間を削って努力した時間だ。やればやるだけ頭も良くなるし、入れる大学のレベルも上がる。努力は価値が高いから良い大学に入れる」
魔法も同じなんだよね、と言って剣は一旦言葉を区切った。
話の順序立てや例の出し方が慣れていて、もう何人もの人に説明してきた事が伺える。
また下がった眼鏡のフレームを押し上げる。
「つまり対価は願いの大きさに直結してるわけ。こうなりたい、こうありたいって言う願いに対して、お前はどのくらい出せんの?って話。あくまで俺が提示する対価は目安だから、値段が付けられないもの……例えば、記憶とかは自分の価値観によってそれぞれの対価になる」
例では時間を代価に出したけど、もちろん物でもお金でもなんなら記憶でもいいよ、と付け加えられる。
……思ったより代価は重要らしい。
ローブに着替えるくらいの簡単なことなら消しゴム1個の代価でいいけど、とんでもない願いならそれ相応のものを差し出さなければならない。魔法によって確実に願いが叶うからギャンブルほど危険性はないだろうが、ものによっては魔法を使う事を後悔するんじゃないだろうか。
例えば、自分の存在してた記憶を周りから消す、とか。魔法で世界征服できたとしても、それは随分虚しい結果になるような気がする。
ゾッと身を震わせる紬に気がついているのかいないのか、剣は3つ目なー、と気の抜けた声で始める。
「3つ目はー、えっと、まあ今回はいいか。深谷ちゃんに知っておいて欲しいのは2つね」
剣は2本の指を立てて「理解した?」と首を傾げた。サラリと右目に掛かっている長めの髪の毛が動いて、案外サラサラ髪なんだ…なんてどうでもいい事を思う。不健康そうな顔してるけど、思ったより整った容姿はしているらしい。
「理解は、しましたけど……。それって私の願いだとどれくらいの価値が必要か分かるんですか?」
「いい質問だね。分かるよ」
お金で例えれば分かりやすいよな、と剣は指を折って数え始める。5本目を折ったところで「こんなもんかな」と紬の目の前に指を広げた。
「ご、せんえん……?」
「はずれー!」
残念っ!と語尾に星が着く勢いで声を作った剣に身を引けば泣き真似をされる。私が悪いのかな、と思わなくもないが、剣のペースに巻き込まれている気がして紬はなにも言わないことにした。
「ま、茶番もここまでとして……。実際は500万かな」
「ごっ……!!」
5000円でも高いと思ったのに、まさかの500万に紬はクラクラと目眩がする。顔を青くした紬に、剣がお金で例えた場合だからね?と念押ししてくる。
「500万に代わる価値のもの、深谷ちゃんは持ってる?」
剣は楽しげ瞳を歪めた。その姿はヘンゼルとグレーテルに出てくる魔女のようだった。
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