優しさは静かに走り出す

面接当日。

緊張の面持ちで店の事務所に通された優也は、深呼吸ひとつして背筋を伸ばした。


「ではこれから面接を始めます。店長の村田です。よろしくお願いします」

目の前に座る店長は、柔和な雰囲気をまとった五十代半ばの男性だった。


「金田優也です。よろしくお願いいたします」


「金田君は接客業の経験は……無いんだね?」

履歴書をめくりながら店長が尋ねる。


「はい。接客業は初めてで、不安もあります。ただ、分からないことはしっかり質問しながら、一生懸命取り組んでいきたいと思っています」


その言葉に、店長は小さく頷いた。


「…うん、その姿勢があれば大丈夫。では、明日から来られるかな?」


「はい!ありがとうございます。よろしくお願いいたします!」


こうして優也の新たな職場での挑戦が始まった。


 


翌日――。


「今日から入った金田君です」

店長の紹介を受け、優也はスタッフの前で深く頭を下げる。


「よろしくお願いします」


「じゃあ、金田君の教育係は広瀬さんにお願いするよ」


「分かりました」

そう応じたのは、落ち着いた雰囲気の若い女性だった。


「金田さん、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


その後、業務の流れや店舗ルールの説明を受けた優也は、広瀬の言葉に助けられた。


「では、これで一通りの説明は終わりです。分からないことはありますか?」


「いえ、とても分かりやすかったです。ありがとうございます」

少し照れたように微笑む広瀬に、優也もぎこちなく笑い返す。


「じゃあ今日は研修ということで、私の仕事を見て覚えてくださいね」


「はい。お願いします」


 


午前の業務が終わり、広瀬が声をかける。


「では、休憩にしましょうか」


「分かりました」

休憩室に向かいながら広瀬が再び尋ねる。


「ここまでで分からないことはありますか?」


「今のところは大丈夫です。ありがとうございます」


「そうですか、じゃあ休憩室をご案内しますね」


 


その日の勤務が終わる頃、広瀬が声をかけてきた。


「今日は一日お疲れ様でした。慣れるまでは大変かもしれませんが、何かあればいつでも聞いてくださいね」


「はい。ありがとうございます」

優也は丁寧に頭を下げた。


 


その帰り際のことだった。

バックヤードで重そうな段ボールを抱えるパートの楠木さんの姿が目に入る。


「よいしょっと……はぁ……」


優也は思わず声をかけた。


「あの、あとどれくらい残ってますか?」


「あら?あんた、新人さんかい?勤務時間過ぎてるなら、早く帰りなさいよ」


「でも、これだけですよね?終わらせたらすぐ帰りますから」


10分後――。


「ありがとう。助かったよ。でも、これからは時間が過ぎたらちゃんと帰りなさいよ」

楠木はそう言いながら、優也の行動にどこか感心したような表情を浮かべていた。


 


そして1週間後のお昼休憩。

店長が電話を切ると、ため息をついた。


「はぁ……困ったなぁ……」


「どうかされたんですか?」と広瀬が尋ねる。


「実はね、山田さんが体調崩して入院することになったんだ。当分の間、休まれるってさ」


「それは大変ですね……」


「明日、代わりに出てくれる人を探さなきゃいけないんだけど…」


「でしたら、僕が出勤しますよ」

優也がすっと手を挙げた。


「えっ?でも金田君、明日休みじゃ…」


「大丈夫です。体力は余ってますし、時間もありますから」


「そうかい……じゃあ、申し訳ないけど頼んだよ。でも、くれぐれも無理はしないでね」


「はい」


そのやり取りを聞いていた広瀬が、少し心配そうに優也を見つめていた。


 


その日の仕事終わり。


「金田さん」

広瀬が声をかけてくる。


「あ、広瀬さん」


「…無理してませんか?」


「…あの、無理してないですか?」


優也は一瞬手を止めて振り返る。


「え?あぁ、大丈夫ですよ。ほんとに暇なんで」


その軽い調子に、佳子は少しだけ眉をひそめる。


「いや、そうじゃなくて……ほんとに、“無理してないですか?”」


その言葉には、心の奥を覗き込むような真剣さがあった。

優也は一拍置いて、少し視線を落とした。


「……そんなことないですよ。僕、少しでもこの会社の力になれたらって、そう思ってるんです」


佳子は短く「…そうですか」とだけ言ったが、その表情はどこか引っかかるものを感じているようだった。


そのとき――。


プルルルル……

優也のスマホが鳴り響いた。


「すみません、ちょっと……」

そう言って通話に出る。


「もしもし、あ、兄貴?どうしたの……え?……あぁ……分かった。すぐ行くよ」


通話を終えた優也は、明らかに動揺した様子で画面を見つめたまま黙り込んでいた。


「どうかしたんですか?」

佳子が心配そうに声をかける。


「……実はさっき、兄から電話があって。母が買い物の帰りに突然倒れて、救急車で運ばれたって……。今、病院に運ばれてるそうで……兄から、様子を見に行ってくれって頼まれたんです」


その目は不安に揺れていたが、すぐに顔を引き締めるように立ち上がった。


「すぐ行かなきゃ……」


「金田さん、電車通勤ですよね?」


「え? あ、はい」


「だったら、私の車で送ります」


「えっ、でも……」


「いいから、早く乗ってください」

強くも優しい声だった。


「……すみません、本当にありがとうございます」


 


――病院の駐車場に到着すると、優也は車のドアを開けながら頭を下げた。


「広瀬さん、本当に助かりました。感謝してもしきれません」


佳子は、少し戸惑いながらも言葉を継いだ。


「あの……私も心配なので、よければ一緒に行ってもいいですか?」


「えっ……あ、はい。ありがとうございます」


優也は小さく頷き、二人は並んで病院の自動ドアの中へと歩き出した――。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る