勇者になったが、バレると世界が滅ぶらしい ~勇バレ~

時織 虚

第1話『勇者の降臨、そして世界の終焉』

 どこまでも、白かった。


 床も、壁も、そしておそらくは天井も。境界が曖昧なその空間は、まるで純白の光そのもので満たされているかのようだった。


「……ここは?」


 篠宮蓮しのみやれんは、混乱のままに呟いた。

 ついさっきまで、俺は自室のベッドで寝ていたはずだ。それがなぜ、こんな場所に。


「ようこそおいでくださいました、勇者よ」


 凛として、それでいてどこか切ない響きを乗せた声が、静寂を優しく震わせた。

 声のした方に視線を向けると、そこに〝彼女〟はいた。


 腰まで流れる優美な銀の髪。神々しいまでの美貌を縁取る、慈愛に満ちた金の瞳。現実のものとは思えない完璧なプロポーションを、柔らかな純白のドレスが包んでいる。

 人ならざる、まさしく女神めがみと呼ぶにふさわしい存在。


 神々しいまでの美貌に、慈愛に満ちた金の瞳。しかし、その瞳の奥には、今にも泣き出しそうな、切迫した色が浮かんでいる。


「私はリアナ。私の管理する世界〝エヴァンティア・・・・・〟は今、滅亡の危機に瀕しています」


「勇者……? 世界の危機……?」


 あまりに唐突な言葉に、俺の混乱は深まるばかりだ。悪い夢か、あるいは手の込んだドッキリか。


 俺のそんな疑念を見透かしたように、女神リアナは静かに首を振る。


「まず、落ち着いてください、蓮。あなたをここに呼び出している間、下の世界の時間は。ですから、焦る必要は一切ありません」


 その言葉には、不思議な説得力があった。張り詰めようとしていた意識が、少しだけ弛緩する。


 リアナは俺に、まず自身の力を把握するように、と促した。


「これから、世界の状況と、あなたに課せられる〝極めて重要な制約〟を説明します。その前に、『鑑定かんてい』と心の中で念じて、ご自身の力を確認してみてください」


 言われるがままに、俺は心の中で『鑑定』と唱えた。

 すると、目の前の空間に半透明のウィンドウが浮かび上がる。まるでゲームのステータス画面だ。


【名前】 篠宮 蓮 (人間)

【称号】 異世界転移者、勇者

【レベル】 ―

【状態】 正常

【LP】 5


《スキル》

【ユニークスキル】

 ・『雷魔法』 Lv.10

 ・『記憶保持』 Lv.10

【スキル】

 ・『偽装』 Lv.10

 ・『鑑定』 Lv.10


「雷魔法……レベル10?」


 規格外、という言葉ですら生ぬるい。神の領域を示すレベル表記に、俺は息を呑んだ。

 そして、もう一つ。見慣れない項目が、やけに気になった。


「LP……? これは何です――」


 俺が意味を問うよりも早く、それは唐突にやってきた。


 ―――ギィヤアアアアアアアッ!


 脳内に直接響く、おびただしい数の絶叫。その悲鳴の奔流の中に、一瞬だけ奇妙な光景が混じる。血を吐きながらも、誰かを勇気づけようと優しく微笑む金色の髪の少女。何かを庇うように、大盾ごと砕け散る大男。俺はまだ、彼らが誰なのかを知らない。


 だが、凄惨なイメージの濁流に、思わず膝が折れそうになる。

 違う。この感覚を知っている。

 何もできず、ただ助けを求める声が遠ざかっていくのを聞いていることしかできなかった、あの日の無力感。

 まただ。また、俺は間に合わないのか――!

 焦燥が、俺の全身を焼き尽くす。


「リアナ様、詳しい話は後だ! 時間が止まってるって言ったって、彼らが苦しんでる事実に変わりはないんだろ!」


「待ちなさい、蓮! だから焦っては駄目だと……! 最も重要なの話が、まだ終わっていません!」


 リアナの悲痛な制止が、白の間に響き渡る。

 だが、一度燃え上がった使命感は、もはや俺の理性を麻痺させていた。

 すまない、リアナ様。

 でも、俺は行かなくてはならない。

 目の前の苦しみから、目を逸らすことなんてできやしないんだ!


「行かせてくれッ!」


 俺の体を、眩い光が包み込む。

 それが、始まりだった。

 そして、終わりの始まりでもあった。


 ◇


 光が収まった瞬間、鼻孔を突き刺したのは、噎せ返るような血の匂いと、獣の臓物をぶちまけたような腐臭だった。


 耳をつんざくのは、断末魔の悲鳴と、獣の咆哮。肉が裂ける生々しい音、骨が砕ける鈍い音、そして絶望に染まった男たちの嗚咽。

 胃の腑からせり上がってくる吐き気を、必死にこらえた。


 視界に飛び込んできたのは、まさしく地獄の絵図だった。

 豚のような頭を持つ巨躯の魔物(オーク)が、兵士の胴体を玩具のように掴み、軽々と引き裂いている。犬のような俊敏さで駆け回る魔物(ゴブリン)の群れが、倒れた兵士の喉笛に喰らいつき、その血肉を貪っている。

 空からは翼を持つ爬虫類のような魔物(ガーゴイル)が急降下し、その鉤爪で人の顔を躊躇なく抉り取っていく。


 完全に戦意を喪失し、ただ震えて死を待つ者。狂ったように剣を振り回し、しかしその刃は硬い鱗に弾かれ、絶望する者。

 ここは、一方的な虐殺の現場だった。


「間に合った……!」


 怒りが、俺の意識を塗りつぶしていく。

 違う。これは怒りじゃない。

 ただの、純粋な〝拒絶〟だ。この地獄を、俺は断じて許さない。


 天に掲げた右の掌に、世界のすべてが吸い寄せられるかのような感覚。

 空気が震え、大気が軋む。戦場の喧騒が、嘘のように遠のいていく。

 脳が理解を拒むほどの力が、俺という器から溢れ出そうとしていた。抑えられない。制御もできない。できるのは、ただその流れを、向かうべき先へと解き放つことだけ。


 唇が、凍てついたように動く。

 たった一言、この地獄を終わらせるための言葉を紡ぐ。


「―――消えろ」


 その瞬間、世界から音が消えた。

 悲鳴も、咆哮も、風の音さえも。視界が真っ白な光で塗りつぶされ、時間そのものが停止したかのような錯覚に陥る。

 空が裂けたのではない。

 天そのものが、巨大な雷の槍となって墜ちてきた。

 一条の閃光が地平の彼方までを貫き、世界を白一色に染め上げる。


 光が収まった時、そこにいたはずの魔物の軍勢は、影も形も残さず消滅していた。

 大地には、まるで神が爪で抉ったかのような、ガラス状に溶けた巨大な爪痕だけが、禍々しく刻まれている。


「……す、げぇ……」


 生き残った兵士の一人が、呆然と呟く。

 やがて、その呆然は歓喜へと変わった。

 一人の兵士が震える指で俺を指差し、叫んだ。


雷の勇者いかづちのゆうしゃ様だ……! 伝説は、本当だったんだ!」


 その声は、乾いた大地に染み込む水のように、瞬く間に周囲に伝播していく。疑いは熱狂に変わり、やがて兵士たちの間で揺るぎない一つのへと結晶した。

 彼らは俺を囲んで、涙ながらに、そして歓喜に震える声で、口々に叫ぶ。

 誰もが、俺を「勇者」だと信じて疑わなかった。


 その瞬間だった。


 パリン。


 世界に、亀裂が走った。


 まるで巨大な鏡が砕けるように。

 空が、大地が、兵士たちの歓喜の顔が。

 全てが音もなく砕け散り、光の粒子となって消えていく。


 


 砕け散った世界の破片が、音もなく俺の意識を飲み込んでいく。

 光も、音も、思考さえも、全てが無に還っていくようだった。


 そして俺の意識は、再びあの白一色の空間へと引き戻されていた。


「何が……起きてるんだ……? 俺は、みんなを助けたはずじゃ……」


 理解を超えた光景に、声が震える。

 救ったはずの世界が、なぜ。


 ただ、目の前で明滅するウィンドウ。


【LP】 4


 そこに浮かぶ、無慈悲に『1』だけ減った数字が、これが夢でも幻でもない、取り返しのつかない現実であることを突きつけていた。


 救済が、なぜ破滅に繋がったのか。

 その答えを知る者は、、女神以外にまだ誰もいない。

 かくして、英雄の最初の栄光は、世界の最初の終焉と共に、誰にも知られることなく消え去った。

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